81. タイダル公国へ(3)
イザベラとの再会の後、シャイナとエスカリオットは客間へと案内された。
「シャイナ様のお部屋はこちら、エスカリオット様のお部屋はお隣のお部屋です」
優雅な白い扉の部屋の前で侍女が言う。エスカリオットはシャイナの奥の部屋を案内されるようだ。
「シャイナ、明日の午後、城下町でお前を連れて行きたい場所があるんだがいいか?」
別れ際にエスカリオットが聞いてきた。
「いいですよ。イザベラ嬢とは明日の午前中過ごす事になってますし、午後は暇です」
シャイナの答えにエスカリオットは微笑んで、「しっかり寝ておけ」と離れていく。
「はーい、お休みなさい」
シャイナはそう声をかけて、あてがわれた部屋へと入った。
荷物を置いて、付いてきてくれた侍女が浴室の場所を教えてくれる。
「何かお手伝いする事はありますか?」
「いえ、全部自分で出来ますので」
「分かりました。では後ほど簡単な夕食をお持ちします。ごゆっくりお寛ぎください」
侍女が退出して、扉が閉まる。
一人になったシャイナはきょろきょろと部屋を見回した。
「…………ひろい」
用意された部屋はシャイナの家のダイニングよりも広かった。
「…………大きい」
部屋の一角にあるベッドはキングサイズでやたらと大きい。
「…………ふかふか」
足元の絨毯はふかふかで、緻密な柄が描かれている。
「豪華だあ……」
案内された部屋はおそらく、それなりの地位の者を泊める部屋だと思われた。
浴室を覗いてみると、ピカピカの大理石の床に大きな猫足バスタブが鎮座している。
「おおー」
感嘆の声をあげるシャイナ。
そんな風に部屋を堪能していると夕食が運ばれて来た。パンとスープに魚のムニエルのあっさりしたメニューで美味しそうだ。
食事を持ってきた侍女に食後に風呂の手伝いがいるかと聞かれて、それはすっぱりと丁寧に断った。シャイナは生粋の平民なのだ、誰かにお風呂の世話をされるのは遠慮したい。
一人が落ち着くのだと伝えて侍女には下がってもらった。
ふと、隣の部屋で過ごしているはずのエスカリオットは風呂の世話をさせたりするのだろうか、と考える。
誰かがエスカリオットの肌に触れるかと思うと、モヤモヤした気持ちがわき起こった。
(いかん、束縛が強いと思われるのはこういうとこだぞ。エスカリオットさんは貴族だったんだし、普通の………あ)
貴族らしくお世話されるエスカリオットを想像し、その裸の上半身を思い描いてしまったシャイナは頬を赤くする。
想像の中のエスカリオットの色気がすごい。さすがシャイナの美しく麗しい黒豹だ。
シャイナは慌ててモヤモヤと共に、色っぽいエスカリオットを打ち消した。
気を取り直して夕食を食べだすが、何だか物足りない。エスカリオットが来てからはずっと二人で食べていたので、向かいに愛しい黒豹がいないとちょっと寂しい。
「………」
しんとした部屋に、シャイナの使うスプーンと食器が触れ合う音だけが響く。
(食事を持って、隣にお邪魔しようかな)
そう思い付くが、いやいや子供じゃないんだし、と頭を振った。
そうだ、子供ではない。夜、異国の地で部屋がバラバラの恋人を訪ねて行くのにどういう意図があるのかくらいはシャイナにも分かる。
お風呂エスカリオットを想像していたのもあって、ちょっと想像が膨らんでしまった。
(そ、そそ、そういうのも、その内にするんだろうけどさ)
真っ赤になりながらシャイナはパンを口に詰め込む。
こういう事を考えるようになっただけでも大きな進歩である。エスカリオットの恋人宣言と慣らしは着実に成果をあげているようだ。
(その内だもん、まだだもん)
シャイナはパンの味に集中して、大人な考えを追いやった。
明日は午前中はイザベラと砂ネズミ達を見て、午後はエスカリオットと城下町へ行き、夕食はイザベラとコーエンとの晩餐である。
シャイナは疲れを残してはいけないと、さっさと風呂に入って就寝した。
❋❋❋
翌日、シャイナはイザベラと共に朝から砂ネズミ達のお世話をした。
グロリオーサ公爵邸では三匹だった砂ネズミは六匹に増えていた。繁殖しないようにと雌と雄で分けていたはずが、嫁入りでバタバタしている時に一緒にしてしまい、あっという間に増えたらしい。
「一番多い時は14匹もいたのよ。いろんな方に貰っていただいてこの六匹だけ残したの。これがお父さんで、この子がお母さん。後は娘達よ」
イザベラがにこにこと説明してくれる。
これ以上増やさない為に、お父さんはお父さんなのに小さめのケージで一匹暮らし、お母さんと娘達は大きめのケージで五匹暮らしだ。
おやつ用の薄いせんべいをやると両手で持って、パリパリと食べている様が可愛い。永遠に見てられそうだ。
「名前があったりしますか?」
「そういえば名前は考えた事なかったわね。でも“お父さん”と“お母さん”はもはや名前かしら」
「ふふ、そうかも」
シャイナはしばらく砂ネズミ達を眺め、その後はイザベラに教わりながら彼らをお風呂に入れた。
このお風呂はなかなか大変だった。
砂ネズミ達は濡れるのが嫌いらしく、結構本気で暴れる。それを逃げないように、でも傷つけないように優しく掴みつつ手早く洗わなくてはいけない。
洗われた子達は茫然自失としていて可哀想な気もするけれど、イザベラによるときちんと洗わないと皮膚病になったりするらしい。
苦行が終わった子には再びおやつのせんべいをあげる。パリパリとそれを食べると、その顔に生気が戻った。
「お風呂の入れ方は、コーエン様……大公閣下にも私が教えたのよ」
少し得意気にそう言いながら、イザベラはコーエンへの呼び方を言い直した。
(ふーん……きっと二人だと名前呼びなんだな)
シャイナはニマニマしながら「そうなんですねー」と相槌を打ち、砂ネズミ達を洗った。
昼食はお洒落なテラスでイザベラと共に摂った。
銀のお盆に乗せられた、たくさんの一口大のサンドイッチにフルーツ、香しい紅茶をシャイナはいただいた。
午後からはエスカリオットと城下町へと出かける。
遠出はしないようなので徒歩だ。シャイナとエスカリオットは二人でのんびりと城を出た。
「午前中は公国の騎士団を覗いてたんですよね? どうでした?」
「数人、知り合いがいた」
「よかったですね」
「そうだな。シャイナは?」
「私はイザベラ嬢と砂ネズミ達をお風呂に入れました」
ネズミ達のお風呂の様子を話しながら市場を抜け、幾つか区画を抜けた所で一旦街並みが途切れた。
通りを一本隔てた先の区画は明らかに新しい。
建物や通りは最近整備されたもののようだ。
「新しく造られた区画ですね」
「ああ、おそらくこっちだ」
「おそらく?」
「昔の面影がないからな」
(昔の? 新しいエリアなのに?)
不思議に思いながらシャイナはエスカリオットの後に続く。
シャイナとしては漠然と今日はエスカリオットの思い出の場所であるとか、先祖の墓とかに行くのかと思っていたのだが、進んでいくのは新興住宅地みたいな所だ。
やがてエスカリオットは小さなパン屋と雑貨屋の前の小さな広場で立ち止まった。
「ここに俺の実家があった」
エスカリオットはぽつりと言う。
「ここに?」
シャイナは辺りを見回す。パン屋も雑貨屋も小さな広場も全て新しい。
「ご実家は取り壊されたという事ですか? 家がないって家門がないだけじゃなくて?」
エスカリオットは元貴族である。シャイナは家がないというのは家門が存在しない、という事だと思っていたのだが、物理的にもなくなっていたようだ。
「家名ももうないが家もないな。この辺り一帯は戦争中に疫病が流行ったエリアで封鎖された」
「…………」
シャイナは言葉を失った。
だってその封鎖された中にエスカリオットの実家はあったのだ。
「治癒魔法の使い手の多くは戦場で、国はこのエリアを諦めた。封鎖してほとぼりが冷めた頃に亡くなった者をまとめて火葬し、建物は取り壊された。今の街は戦後に新たに築かれたようだ」
「…………」
ほとぼりが冷めた頃、それは疫病の患者が死に絶えた時だと分かった。ここは見捨てられたのだ。
シャイナの鼻の奥がツンとしてくる。
「俺は戦場に居て、報せだけ受けた」
「…………エスカリオットさん」
「そんな顔をするな。もう十年以上前の話だ」
エスカリオットがくしゃりとシャイナの頭を撫でる。
「墓参りのようなものだな。共同墓地もあるが実感が湧かなくて行った事はない。まだこっちの方がしっくりくる気がした」
シャイナはぐすっと鼻をすすった。
油断すると目からも何かが溢れそうだが、それは全部鼻へと回した。
「……ぐすっ、ずずーっ、すんっ、ぉえっ」
喉に鼻水と涙が一気に流れ込み、えづいてしまう。
「……大丈夫か?」
「……ばい、だいじょぶです」
何とか応えるとエスカリオットが笑う。
「シャイナと一緒なら来てもいいかと思った」
そう言ったエスカリオットを見て、シャイナは心の中でエスカリオットの家族に誓った。
(絶対に幸せにしますからね!)




