80.タイダル公国へ(2)
さて、ただ今シャイナはタイダル公国へと向かう馬車の中である。旅程は四日の予定だ。
ハン国が用意してくれた馬車は、目立たぬように見た目は質素だが中はしっかり金がかかっていて、車内は広く、座席はふかふかで揺れも少ない。
御者は傭兵団長でもあるマックスが務めている。気心も知れているし、気楽な旅だ。
もちろん、マックスはいざという時の護衛要員でもある。
そんなのんびり馬車旅なのだが、シャイナの機嫌はあまりよろしくなかった。
目の前の二人のせいである。
「シャイナ殿の付けた義手にはどんな効果があるんだい? 素材は何かな?」
「黒龍の骨です。電撃が使用出来ます」
コーエンがシャイナの隣に座るエスカリオットに話しかけ、エスカリオットが答える。
「電撃? すごいな。小さいのも出来る?」
「静電気のようなものなら」
「へえ、私でやってみせてごらん」
「お戯れを」
「いいから。減るもんでもないだろう」
「……痛いですよ」
「平気だよ、ほら」
コーエンが右手をエスカリオットの前にかざして、エスカリオットは渋々義手の左手でそれに触れる。
ばちっと音がしてコーエンはびくりと手を引いた。
「はは、本当だ。結構痛いな」
「ですから言ったでしょう。大丈夫ですか?」
「少しじんじんしているだけだ」
エスカリオットが気遣わしげにコーエンの右手を確認して、コーエンが微笑む。
「…………」
馬車内でのエスカリオットとコーエンは終始こんな感じなのだ。
そう、イチャイチャイチャイチャ……
イチャイチャイチャイチャイチャイチャしている(シャイナ談)。
(昔の主だか何だか知らないけど、それは私のエスカリオットだぞ)
苛つきながらコーエンを睨むと余裕の笑みを返された。
「!」
その挑発にシャイナの視界か赤くーー
「シャイナ、殺気が出ている。閣下も面白がって煽らないでください」
「はっ」
エスカリオットに頬を掴まれて我に返るシャイナ。
「いやあ、楽しいよね」
「最悪、燃やされますよ」
「ふふふ、燃やされるのは困るな。それにしてもエスカリオットはおしゃべりになったね。シャイナ殿のお陰だろうか」
コーエンがシャイナに向き直る。
「えっ」
「こんなに柔らかな雰囲気も本当に久しぶりだ。きっとシャイナ殿と一緒にいるからじゃないかな」
「そ、そうかな……」
「よく笑うようにもなったし、シャイナ殿への目つきはとても優しい」
「へ、へえ」
「髪の毛や肌にも艶がある。衣食住が安定していて、心が満たされているのだね。シャイナ殿と暮らす事で」
「えへへ」
美しい黒豹が褒められた上に、それをもたらしたのが自分だと言われてすごく嬉しい。先ほどまでの苛つきをすっかり忘れてシャイナは照れた。
「…………」
「……エスカリオット、君の殺気はちょっと怖いな」
「シャイナで遊ばないでください」
「いつもこんな風に遊んでいるのかな?」
「…………」
「いいね、君の肌艶もよくなるわけだ」
こうしてシャイナがコーエンに転がされつつ、馬車旅は順調に進んだ。
❋❋❋
大したトラブルもなく四日目の夕方、シャイナ達は無事にタイダル公国へと入る。
旧タイダル国は戦争で負ける前はハン国の三分の一ほどの広さの国土を誇っていたが、公国となった今はその大部分が削られ、少し大きめの領地程度の広さである。
城の本城は破壊され、大きな公園になっていて、現在の城は元は離宮だった建物を改装して利用していた。
コーエンが単身でハン国へ行った事は秘されており、病気療養中となっているので馬車は城の正門ではなく、裏門より入る。
事情を知る少数の人が待っていて、馬車が止まるとその中の老齢の執事っぽい男が進み出た。
「ご無事で何よりです。大公閣下」
「留守の間、ご苦労だった。手紙で報せた通り、エスカリオットもいるよ」
臣下の礼をとった老人にコーエンが告げ、老人はコーエンに続いて降りてきたエスカリオットに恭しく頭を下げた。
「……今の俺はただの護衛だ」
エスカリオットがそう言うが、老人は頭を下げたままだ。
「此度は本当にお疲れ様でございました。何の力にもなれず申し訳なかった」
老人が静かに言い、エスカリオットは「あなたが気にされる事ではない。頭を上げてくれ」と答える。
「しかし貴殿が辛苦をなめている間、私は……」
老人は頭を上げ、顔を歪めて言い募った。
これは邪魔してはいけないな、とシャイナはエスカリオットの横をすり抜けてそっとマックスの側に寄った。
「マックスさん、あの方は? エスカリオットさんとはお知り合いのようですが」
「高位官僚で戦争末期は“タイダルの最後の良心”と呼ばれていた方だ。戦後は爵位と立場を返上して大公閣下の相談役をしている」
マックスが小声で教えてくれた。
老人はぽつりぽつりとエスカリオットに質問し、エスカリオットが淡々と答えている。エスカリオットが答える度に老人の表情が和らいでいく。
シャイナはそんな二人を見守った。
シャイナの知らない騎士時代のエスカリオットを知る人物。そこにはシャイナの知らないエスカリオットの戦争時代もある。
エスカリオットが過去について語る事はほとんどない。たぶんこれからも話さないのだろうとも思う。
少し寂しい、というより、悔しい。
話してくれない事にはではない。純粋に知らない事が悔しかった。
だが無理に話してもらいたい訳でもない。
過去を知りたいか、と聞かれれば返事は、”エスカリオットが知ってほしいなら知りたい”だ。
だからそれについて悩んでいるとかでもないのだが、こういう場面を見せられると少しソワソワというかチクチクはする。
シャイナが何とも言えない、悔し寂しの心境で佇んでいるとエスカリオットがシャイナに目線を送り、老人がシャイナを見た。
ぺこりと軽く会釈すると、目を細めた後で会釈を返してくれた。
悔し寂しの気持ちが和らぐ。
エスカリオットは過去は話してくれないが、こうしてシャイナを故郷に連れてきて、古い知り合いに紹介してくれている。きっとエスカリオットなりに自分をさらけ出してくれているのだ。
(十分じゃないか)
シャイナは胸を張った。
老人とエスカリオットの話す間に、コーエンがシャイナの方へとやって来る。
「イザベラがシャイナ殿に会いたがっているんだ。会ってくれるかな? 城に部屋も用意してあるから二、三日滞在してくれると嬉しい」
「あ、えーと」
シャイナはちらりとマックスを見た。
「俺の事は気にするな。俺はただの護衛だが、あんた達は客人の意味合いが強い。馬も休めた方がいいしな」
「もちろん、マックス殿の部屋も用意してある」
コーエンがにっこりと告げる。
「え、いや。おれ……私は街で宿でも取りますよ」
遠慮するマックスの横にはエスカリオットとの会話を終えた老人がやって来た。
「閣下をお送りいただいたのです。無下にする訳がないでしょう。ささ、こちらへ」
「いや、ほんと、いいですよ」
「いいえ、こちらへ」
そうして老人は「宿の方が気楽なんだが……」とぶつぶつ言うマックスを引っ張って連れて行った。
「ではシャイナ殿、行こうか」
「はい」
シャイナはコーエンとエスカリオットと共に通用口より城へと入った。
元々の離宮は何代か前の王の寵姫の為に造られたものらしく、内部の柱の装飾や扉のデザインは軽やかで優雅なもので統一されている。
壁に掛かる絵画は天使や花のモチーフが多い。シャイナは絵画よりも、魔物の頭骨や鎧なんかの方が好みだ。絵画を横目で見ながら廊下を進み、やがて応接室へと通された。
応接室ではイザベラが待っていて、三人を見ると穏やかに微笑みつつ、瞳を輝かせた。
久しぶりに会うイザベラは、公爵家で会った時よりもふっくらとして大人っぽくなっている。
(顔色もいいし、幸せそうだな)
健康的なその様子にシャイナは嬉しくなった。
イザベラは瞳を輝かせながらも、大公夫人として落ち着き払って立ち上がると三人を迎えた。
「ご無事のお帰り、何よりです。大公閣下」
イザベラがコーエンに簡易な礼を執り、コーエンが歩み寄る。
「ただいま。何事もなかった?」
「はい、公務は恙無く進んでいます」
「ありがとう。突然すまなかった」
「いいえ、出来るだけの準備をしていただいたお陰です」
「任せるのが君だから何とかなったんだよ。ところで君は?」
「はい?」
イザベラの穏やかな笑みが少し崩れる。
「イザベラ自身は大丈夫だったかい? 疲れてない?」
そうやって気遣うコーエンの声には温かみがあった。
「私は……はい、大丈夫です。あなたがご無事でさえあればそれで」
イザベラは一瞬くしゃりと顔を崩し、でもすぐに元の微笑みに戻して答える。目元だけが僅かに赤く、イザベラはそっと目を伏せた。
「私の事は心配いらないと言ったよ」
コーエンは優しく労うようにイザベラの肩を抱く。イザベラは真っ赤になって「お客様がいますから」と身動ぎして体を離した。
(あー……これ、仲いいんだ)
生温かい目になるシャイナ。イザベラのお付きの侍女も“よかったですね、物凄く心配してましたもんね”というように、にこにこしている。
「シャイナ殿にご挨拶をしてもよろしいですか?」
イザベラはコーエンとの再会の後、コーエンに了解を取るとシャイナにも嬉しそうに微笑えんだ。
「お久しぶりです、シャイナ殿。また会えて嬉しいです」
「私もですよ。お元気そうで何よりです」
「はい。……あの、ジュバクレイの魔法陣を勝手に閣下に渡してしまい、すみません」
「お役に立てたのであれば、どういう使い方でも構いません」
「よかった。こちらにはいつまで?」
「うーん……明日、か明後日まで、でしょうか?」
店を閉めっぱなしにはしておきたくない。滞在は長くて三日だろう。
「明後日までにしませんか?今日はお疲れでしょうからゆっくりお過ごしください。明日は砂ネズミ達を見ていただきたいし、晩餐も一緒に出来たらと思っているんです」
イザベラが期待に満ちた声で提案してきた。
祖国に縁があり、しかも同年代のシャイナと会えた喜びが伝わってくる。
年相応にはしゃぐ様子が洩れ出ていて、シャイナも思わずにっこりした。
「では明後日までにしましょう。朝の内にはこちらを発ちますね」
シャイナの返事にイザベラは嬉しそうに頷いた。




