44話 邂逅
堰を切ったように涙が流れ始めてから、どれほどの時間が経ったのかも分からない。
それほどまでに、時間など気に留める余裕も無い状態でいると、ふいに耳にノック音が響いた。
そして、その音がきっかけとなり、ふと我に返った私は泣き声がバレないよう意識しながら、ノックに対し言葉を返した。
「……っティナ? ごめんね、もう少し一人に――」
「僕だよ」
私の言葉を遮るその声は、ジェリーのものだった。
――ジェリーのノックなのに、分かる余裕も無いだなんて……。
涙こそ止まらないが、心に悲しみや怒りや悔しさ以外にジェリーという刺激があったため、少し気の昂りが収まった。
そんな私に、ジェリーは扉の向こうから言葉をかけてきた。
「リア……っ……僕たちが、っ誘ったから、グスッ、こんなことになっちゃったっ……。ううぅ……ごめんね……うっ……」
扉越しに声をかけてくるジェリーが、どうやら泣いているということに気が付いた。
そのため、心配で居ても立っても居られず扉を開いたところ、号泣しながら必死に手の甲や手首の内側で、溢れる涙を拭うジェリーが目に入った。
言葉をつっかえながら、何度もごめんねと謝るジェリー。そんな彼の姿を見て、酷く心が痛んだ。
――やっぱり私が泣いてばかりじゃいられない。
ジェリーを何とかしてあげないと。
そう思うと、自然と涙が止まり、私は泣いて目元を擦るジェリーの手をそっと握り声をかけた。
「ジェリー、おいで」
その言葉にジェリーは頷きを返し、私は手を繋いでジェリーを部屋の中に入れた。
そして、椅子まで移動し膝の上にジェリーを軽く横抱きにして乗せ、彼を抱き締め言葉をかけた。
「ジェリーは何も悪くないわ。むしろ、誘ってくれて私はすごく嬉しかった。これは、誘ったジェリーたちじゃなくて、マティアス様が起こした問題よ」
「ううっ……リアっ……」
そう声を漏らすと、ジェリーは涙を流しながら強く抱き締め返してきた。
それから五分ほどが経った頃、ジェリーは気分が落ち着いて泣き止んだ。
だが、余裕が出来た分、ジェリーは私の顔を見て泣き跡に気付き、立場が逆転したかのように慰めの言葉をかけてきた。
「リアが誰よりも頑張ってるの、僕はちゃんと知ってるよ。リアは何も悪くないよ!」
「うん……ありがとう……」
「あと、僕だけは何があっても、絶対にずっとリアの味方だよ。僕じゃ頼りないかもしれないけど、リアのためだったら何でもする!」
こんな言葉を皮切りに、ジェリーはその後も必死に考えを巡らせるような表情をしながら、思いつく限りの慰めの言葉を私にかけてくれた。
――一番慰めてくれるのが、こんな小さな子どもだなんて……。
そんなことを思った時だった。ジェリーが極めて真剣な表情で、とんでもない提案をしてきた。
「リア、マティアスお兄様と一緒に居なくていいよ。リアがまた傷付いちゃう……。まだシーズンでしょ? 僕と一緒に王都に行こうよ。ね? そうしようよ……」
確かにジェリーの言う通り、まだ社交期のシーズンは終わっていない。
もう一度行ったとしても、別におかしな時期と言う訳でもない。
だが一つ、私には懸念があった。
「ジェリーを道連れにするなんて……」
そう声を漏らすと、ジェリーは必死な顔をして力説を始めた。
「リアも知ってるでしょう? こないだ熱が出たけど、すぐに元気になったから、お医者さんも王都に行けるくらいの体力は付いたって言ってたよ! それに、お父様もいるっ……。ねえ、僕と行こう?」
そう言うと、ジェリーはお願いだという声が聞こえてきそうなほど、ウルウルとした視線を向けてきた。
こんな子どもの無計画な提案に乗るわけにはいかない。
普段だったらそう考えるが、私はいつも通りの正常な判断が出来なかった。
……結局、ジェリーの提案に乗ってしまったのだ。
そして、すぐにでも行った方が良いだろうということで、私たちは明朝、王都に向かうことが決定した。
――決まったからには、早く手配しないと……!
泣くのは後からでも出来る。
今は、準備のために動くしかないわ。
マティアス様と離れられると考えるだけで、本当に気が楽になった。その感情を原動力とし、私は早速ジェロームたちに指示を出すべく、ジェリーと共に部屋から出た。
すると、私の部屋の前の廊下には予想外なことに、ティナとイーサン様、そしてジェローム、デイジーが揃っていた。
そのため、私はちょうど良かったと、四人に先ほどジェリーと話して決まったことを告げることにした。
「明朝、ジェリーとともに王都に向かいます」
そう言うと、四人は「えっ」と声を漏らしながら、口をポカンと開けた。私の突飛な発言に驚いたのだろう。
しかし、四人のその反応は脇に置いて、私はジェロームとデイジーに指示を出した。
「ジェローム、御者の手配お願いします。ティナも連れていくので、三人乗れる馬車の用意をお願いします」
「――っ! はい、承知いたしましたっ」
「デイジーは、ジェリーの荷物を手伝ってあげてくれる?」
「はい! お任せ下さい!」
驚きの反応を示していた二人だったが、私の指示には即座に真剣な眼差しで答えてくれた。
そして、ジェロームとデイジーとジェリーは、手配や準備のためにこの場を去り、残ったのはティナとイーサン様と私の三人だけになった。
すると、残ったメンバーの一人であるイーサン様が、唐突に口を開いた。
「知らせなく王都に行ったら、不都合があるかもしれない。俺が今から、早馬で父上に知らせに行くよ。それで、エミリアさんとジェラルドが一緒に王都に向かってるってことと、兄上の所業を全部伝える」
そう言うと、イーサン様は「どうか、そうさせてくれないか?」と訊ねてきた。そのため、私は咄嗟に質問を返した。
「イーサン様がヴァンロージアを離れても良いのですか?」
「やることは済ませてるから気にしないで。ほんの一部にしかならないだろうけど、せめて、そうでもしてエミリアさんに償いたい。盾になるとか言いながら、エミリアさんを助けられなくてごめんっ……」
そう言うと、イーサン様は眉間に皺を寄せ、酷く痛ましげな表情をした。そんな罪悪感を抱いた様子のイーサン様を見て、私は思ったままを返した。
「謝らないでください。もっと踏み込んで止めに入っていたら、きっと暴力沙汰になっていたと思います。ジェリーに暴力で解決しようとする姿を見せたくありませんでした。むしろ、私の願いを聞いてくださって、ありがとうございます」
――そもそも、義弟が兄嫁のために夫の盾になるだなんてことがおかしいんだもの。
そう思いながらイーサン様の顔を見つめると、彼はギュッと悔しそうに歯を食いしばり、「本当にごめんっ……」と声を漏らした後、私やティナと目を合わせながら言葉を続けた。
「今から準備して、俺は直ぐに王都に向かう。エミリアさん、ティナさん、くれぐれも気をつけて。ジェラルドのことを、どうかよろしくお願いします」
そう言うと、イーサン様は急いだ様子でこの場を去って行った。
こうして、この場に残ったのは私とティナの二人になった。そして、私はそのティナの手を取って言葉をかけた。
「ここに来てから、あなたを振り回してばかりでごめんなさい」
「何を仰いますか。エミリア様のためなら、たとえ火の中、水の中、私はどこでもついて行きますからね!」
そう言われ、鼻の奥がツンと痛み、目から涙が零れそうになった。だが、グッと堪え私はティナに言葉を返した。
「うん……ありがとう。あなたがいてくれて良かったわ」
そう言うと、今度はティナがグッと唇を噛んで泣くのを我慢した。
しかし、しんみりとした空気を払拭するように、「さあ、エミリア様も準備をしましょう」とティナが口を開き、私たちは明朝に向けて準備を始めた。
◇◇◇
次の日になり、朝の六時頃私とジェリーとティナはひっそりと王都に向かった。あまり目立たずに行きたかったため、見送りはジェロームとクロードとデイジーだけだった。
そして、出発してからお昼まで、順調に王都に向かって着実に進んでいた。そのせいか、昨日の反動による緊張の緩みもあり、私たち三人は皆うつらうつらとした状態になっていた。
だが、突然馬車にガタンと強い衝撃が走り、私たちの意識は一気に現実へと引き戻された。
「どうしたのですか!?」
ドアを開けティナが御者に訊ねた。すると、御者は困った様子で説明を始めた。
何でも、ここの地域では雨が降ったため、地面に所々ぬかるみがあり、そこに見事にはまってしまったのだという。
その説明を聞き、ぬかるみに嵌まっただけなら、そこから抜けたらまた走れるだろう。そう考えたが、現実は時に残酷だった。
ぬかるみの中の岩が車輪に引っかかっていることに気付かず、力任せに抜け出そうと前進した影響で、車輪の輻が折れてしまったのだ。
――これ以上は動けないわ。
どうしましょう……。
初めての出来事に戸惑い、何とかする方法は無いかと辺りを見回したそのとき、私はあることに気付いた。すると、それと同時にティナが口を開いた。
「本当はもっと移動する予定でしたが、無理に動くのは危険です。幸いここはパイム領。泊まる場所もありますし、父から馬車も借りられる可能性があります。ここからは少し遠いですが、私の実家に行きましょう」
その言葉を聞き、神は私たちを見放さなかったのだと安堵した。
それから、二十分ほど歩き続けたところで、ようやくティナの実家であるパイム男爵の屋敷が見えてきた。
すると、ジェリーがティナを見上げておもむろに質問を投げかけた。
「あれがティナのお家なの?」
「そうですよ。ヴァンロージアの屋敷よりは小さいですけどね……」
そう言って、ティナが軽く苦笑いをした。だが、ジェリーはきょとんとした表情で言葉を返した。
「大きさは関係ないよ。綺麗な家だし、自然いっぱいで素敵だよ?」
その言葉を聞き、私はかつての自身の言葉を思い出した。すると、隣にいたティナは嬉しそうに笑いながら、ジェリーに話しかけた。
「ジェラルド様のお優しさは、エミリア様譲りですね!」
そう言われて、ジェリーは何か思うところがあったのだろう。
「えへっ、えへへ、そうかな? ふふっ」
滅多に聞かない変わった笑い声を出しながら、ジェリーは嬉しそうに笑った。
そんなジェリーを見て、私は少し安心した。
それに、このやりとりを見て、昨日の今日で暗い気持ちのままだった私の心は少し癒された。
そんな中、私たちは屋敷に到着したため、ティナが門兵に声をかけた。すると、門兵は驚いた様子で「ティナお嬢様!?」と叫び、急いで私たちの来訪を執事長に伝えに行った。
その後すぐ、執事長が出てきて、私たちは玄関へと足を踏み入れた。
――久しぶりに来たわね。
懐かしいわ……。
そんなことを思っていると、執事長が私たちに話しかけてきた。
「どうぞ、談話室へご案内いたします。旦那様は外に出られておりますが、遣いの者が呼びに行きましたので、そろそろ戻られるはずです。ご安心ください」
そう伝えられたため、私は案内に従い一歩踏み出そうとした。
だが、そのタイミングで背後の玄関のドアが開き、誰かが入る音がした。
――パイム男爵かしら?
そう思い、私は振り返ろうとした。しかし、雨上がりの少し濡れた場所を歩いたせいだろう。
思いのほか靴が床で滑り、振り返りの動作に勢いがつきすぎて、転けるように後ろに身体が傾いた。
――嘘でしょ!?
ここで転ぶなんてっ……!
強い衝撃を想像して、私は思わず目を瞑った。
だが、いつまで経っても身体が床に叩き付けられる衝撃は来なかった。
その代わり誰かによって背中を支えられる感覚がした。
――痛く……ない。
どうして……?
転けなかったことを不思議に思い、私は恐る恐る目を開けた。
すると、思いもよらぬ人物が視界に入った。その瞬間、私の声とその人物の声が重なった。
「カ、カリス殿下……!?」
「エミリア!?」
私の背中に腕を回すカリス殿下と視線が交わった。
そして、驚いたまま時間が止まったかのように、私たちは互いから目が離せなくなった。
 




