第五十九話 あなたの腕に抱かれて
【させません】
勝手に動きやがったわたしの手を、わたしは無理やり押し込めました。
わたしの手はギル様の胸に触れる寸前で止まっています。
ギリ、ギリと、わたしと魔王のせめぎあいが始まっていました。
「ローズ……!」
【ギル様、今のうちに……】
さっきまでのわたしなら、殺してくれと頼んだでしょう。
だって見てくださいよ、この姿。
頭からは角が生えていますし、尻尾も揺れてるんですよ。
こんな可愛くない姿、ギル様に見られたくありませんし。
魔族に成り果てたわたしなんて、と悲観ばかりしていました。
でも、もう違います。
【今のうちに、わたしを助けてください!!】
わたしが全身全霊で叫ぶと、ギル様が目を見開きました。
言いたいことは分かっています。
(そんな都合のいい方法なんて、あるわけない)
わたしの身体は既に魔王のもので、魂は魔族に変質しつつあります。
方法なんて分かりません。どうやればいいのかも知らないです。
わたしが死ぬことだけがギル様の救いになると思っていました。
でもだからどうしたってんですか?
わたしは推しに対する想いだけは、誰にも負けません。
確かにローズ・スノウはホムンクルスで。
初代聖女の細胞を培養したに過ぎない人間の成り損ないですけど。
ギル様なら、きっとなんとかしてくれます。
何よりわたしは思い出したんです。
一度目の絶望を。恐怖を。決意を。
そう──
わたしはもう、我慢しないって決めたんですから!!
「よく言った」
ギル様は微笑み、
「あとは任せろ」
次の瞬間、わたしの口が熱いものに塞がれていました。
目の前にギル様の綺麗な瞳が見えます。
みえ、ます?
え。
え。
え。
待って。ちょっと待って。
わたし、ギル様に口づけされています!?
【~~~~~~~っ!】
驚天動地のわたしが思わずギル様を突き飛ばそうとします。
最後の力をそんなところに使っていいのかって話ですけど、だってとにかく動揺して、ギル様の唇が触れて、うわ、舌が、嘘、ここまでやるのですか!?
【Alaaaaaaaaaaaaaaaaa!】
わたしはハッ、と我に返りました。
ようやくギル様の意図に気付いたのです。
魔王がわたしの中で苦しんでいました。
「……っ」
わたしの中にギル様の魔力が入り込み、魔王の思念を侵食してるのでしょう。
第八魔王の意志が強すぎたのが幸いしたのか、区別はつきやすいはずです。
わたしの聖女の部分だけを残して、魔王がやられていきます。
…………いや、それはいいんですけど。
この口づけ、いつまで続けるつもりですか!?
さっきからずっと、ギル様の瞳が目の前にあって落ち着かないのですけど!
しかもわたしと目が合ったことが分かると、ギル様が柔らかく目を細めるのですけど!
はぁぁ~~~~~~~~なにそれ、好き!
貪るように唇をついばまれて頭がくらくらします。
というか。
わたしを離すまいと抱きしめて口づけを続けるとか熱烈すぎて死ねます!?
【……フザ、ケルナ。コンナ、オカシナ、カンジョウ……!】
あぁ、
怒りと憎しみしか知らない哀れな第八魔王よ。
お前はこの想いの尊さを知らないのですね。
これは一種の病気のようなもので、全然消えてくれないのですよ?
確かに戦争は悲惨で怒りと憎しみに満ちています。
どうしようもない人間だってたくさんいるし。
誰かの痛みを誰かが引き受けて世界は回っています。
でもね。
人類は愚かで救いがたくはあるけれど……。
それでも、一つだけ確かなことがあります。
愛は偉大だってこと。
そう。 いつだって人間は、愛の力ですべてを解決してきたのですから!
──憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ好き。
──憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ好き好き好き好き好き好き好き好き。
──ニクイ好き。好き。好き。好き。好き、ギル様、大っっ好き!!
第八魔王は魔族が集めた怒りと憎しみの権化です。
ならばそれ以上に、わたしのギル様愛してるパワーでねじ伏せましょうとも。
もちろんわたしだけじゃ絶対に無理でしたけど。
弱った第八魔王になら──
ギルティア・ハークレイは、絶対に勝ってくれるから!!
【コンナ、バカナ………コト、ガ……】
「ローズの口で、それ以上喋ってくれるな」
ギル様はようやく口を離して、不敵に言います。
「俺の女の中から、消えろ、魔王っ!!」
【GIIIIIIIIAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!】
わたしの身体から黒い煙が噴出して、角や尻尾やらが消えていきます。
わたしの中にいる第八魔王が消えていくのが分かりました。
……本当に、倒してしまったんですね。
「やっと──頼ってくれたな。ローズ」
「ギル様……」
「もう君にだけ背負わせない。君が背負う物は、俺も背負う」
「……はい」
わたしはギル様の胸に頭を預けました。
こうして触れていると、本当にどうしようもない愛おしさがこみ上げてきます。
人間はよくもこんな心を制御しているものですよ、まったく。
「お慕いしています、ギル様」
「あぁ、俺もだ。ローズ」
そうしてわたしたちは再び顔を近づけて。
ぽとり、と。
わたしの小指が落ちました。
「あ」
落ちた小指は光の粒になって消えていきます。
……あぁ、そうですか、もう。
ギル様は愕然と目を見開きました。
「そんな……なぜだ。魔王は、確かに!」
「はい。ギル様のおかげで魔王は倒しました」
でも、それ以前にわたしは限界でしたからね。
耐用年数を遥かに超えて生きた特異個体と言えど、ここが限界でしょう。
神聖術の使い過ぎに、魔王化までしたのです。
むしろ今、形が残っていることが奇跡と言えました。
「これが寿命です。仕方ありませんね」
「……っ、嫌だ。嫌だ嫌だ。俺は、もっと君と……!」
子供のように駄々をこねるギル様。
彼らしくないそんな仕草も、わたしを思ってこそだと思えば嬉しいです。
わたしだって、本当はもっとこの人と生きていたい。
その想いを確かめたばかりなのに、現実は残酷なものです。
……とはいえ、まだ少しだけ時間が残されていました。
「ねぇギル様」
わたしは口元に笑みを浮かべてギル様を見ます。
「最期に、デートしませんか?」