第五十六話 ローズ・スノウ(前編)
製造番号六○二番。それがわたしの名前でした。
いえ、名前というのは正確ではありませんね。
識別番号、と呼ぶべきでしょうか。
なにせ同じ顔をした人たちがたくさん居ましたから。
まったく同じ身体をしたわたしたちを呼ぶのに神官たちは苦労してしました。
首にかけられたIDタグを見て判断していたようです。
名前を付けることで自我が発露し反抗されることを恐れたんでしょう。
聖女は教会の意のままに動く道具じゃないといけませんでしたから。
尤も、生まれた当初はわたしに自我はありませんでした。
枢機卿から受けた命令を淡々とこなす、人形のようなものだったかと。
ホムンクルスの核となる部分にそういった命令が刻まれていたようですね。
生まれた時には既に成体だったので、言語野とか文字の読み書きにも問題ありません。聖女として生きることに些かの疑問もなく、また他の聖女の顔も知りませんでした。神殿の地下から『出荷』された者達は仮面をつけられるので。
最初の記憶は、わたしを製造番号六○二番と呼ぶ神官の顔。
その次は、初めて戦場に出た時の記憶です。
あれは相当悲惨でした……。
わたしの隣でバタバタと聖女が死んでいきました。
魔族たちも兵士を治療する聖女を厄介だと思っていたのか、執拗に後方部隊を攻撃してきましたからね。神官の盾となれと言われれば黙って死に、魔導爆弾を身体に巻き付けて敵陣に特攻。数十人の聖女が一斉に爆死するさまを、わたしは一生忘れないでしょう。疑問を持つことすら許されませんでした。逆らおうという反逆の意志を抱いた時点で、ホムンクルスの核に埋め込まれた術式が発動し、壮絶な苦痛を味わうようになっていましたから。
聖女たちは大量に『消費』されていきました。
もちろん、このわたしだって例外ではありません。
わたしを担当していた神官──今は枢機卿になっていますが、当時は彼も新任でした。魔族がにじり寄ってくる恐怖に耐えきれず、わたしを盾にして逃げ出しました。
もちろん従いましたよ。わたしは聖女なので。
人類様の役に立ち、彼らを守って死ぬことが誇りだと胸に刻まれていたので。
だから身を挺して彼を庇い、わたしは危うく死にそうな傷を負いました。
……でも、助かったんですよね。
そこからです。わたしに自我が芽生え始めたのは。
恐らく負傷した時にホムンクルスの核が損傷し、何らかの不具合が出たんでしょう。教会へ反抗する意思を持っても痛みを感じませんでしたし、聖女に話しかけても頭が痛くなりませんでした。
だけど弊害もありました。
自我が芽生えたことで、どうしようもなく怖くなったのです。この時はまだ感情を知りませんでしたけど……戦場を前にした震えは間違いなく恐怖でしょう。わたしは死にたくない一心で神聖術を磨き、気付けば初代聖女の再来だと言われるようになりました。
名前も付けられましたよ。
製造番号六〇二番だから、六〇二。
白い肌は雪のようだから、ローズ・スノウ。
あの時は滑稽でしたね。
神官たちはわたしが他の聖女と同じだと思って居ましたから、ぺらぺらと聖女計画のことを話してくれました。何も分からない人形の振りをして情報を集め、どうやらわたしたちは造られた存在なのだと知り、大量に『消費』されていく妹たちの怒りと悲しみを、わたしは感じるようになりました。
散々大聖女として聖女を使い倒していたわたしがですよ?
おのれの愚かさに吐き気がしてしばらく何も喉を通りませんでした。
だってわたしは見ていたのです。
死ぬ寸前に同じ顔の聖女が見せた、確かな恐怖を。
神官たちは造られた聖女に感情なんてないと言います。
けれど、どんな形であれ生き物ですから、感情は芽生えてくるんですよ。
死というのは生物に絶対的な概念ですからね。
神官の道具となり、生きる意味も見いだせずに消費されて死ぬ。
教会の手となり足となり人類のお役に立って死ぬ。
かつてはそんなことを本気で信じさせられていたわたしですけれど。
自我が芽生えてからは、常々考えていました。
──生きるとはなんでしょう?
──人間とはなんでしょう?
──心とは? 感情とは?
わたしは、何のために生きているんですか?
わたしは心を病み、肉体にガタが来ていたこともあって大聖女を引退しました。
ですが、魔族たちの攻勢は終わらず……。
ガルガンティアが半壊した時になると、わたしは再び前線に駆り出されました。
そんな時に出逢ったのが、リネット様です。
『い、いや! 私はまだ死ねないんです。まだ、死ねないんです!!』
『そうなんですか?』
『だってまだ、推しと話してないもん。推しと話すまで死ねないもん!』
リネット様は戦場にいながら生きる意志を抱いたお方でした。
臆病でありながら、腕を失うことを恐れ、推し活というものに勤しんでいたリネット様。群れを守るために戦うのではない生き様にわたしは興味を抱きました。
『リネット様。推しとはなんでしょうか』
『推しっていうのは……応援したい人っていうか、この人のためなら尽くせる!って思う人……ですかね』
『そうなんですか』
『推しがいたら人生華やぎますよ。心が豊かになるんです』
心は見えないものです。
人間は見えないものに振り回されて大変だなと思っていました。
けれど同時に、どうしようもなく眩しかったのだと思います。
それは道具として消費されるわたしでは持ち得ないものでしたから。
『……心。推しがいれば、心が分かりますか』
『きっと分かります。聖女様には、推せる人いないんですか?』
『推しという概念を初めて知りました。興味深いです』
『あはは。そうですか……なら』
ごろんと転がって、リネット様は笑いました。
『聖女様にも、いつか推せる人が現れたらいいですねぇ』
リネット様は、わたしに『心』を教えてくれました。
誰かを推す、推し活というものが、心を育むのだと仰いました。
けれどわたしには応援したい人なんていません。
わたしの周りにはクズばかりでしたからね。
わたしの妹たちを大量に消費する神官。
ホムンクルスたちを道具として扱い意のままに操る枢機卿。
聖女を神の使いと崇め、人としての距離を取る兵士たち。
この世界のどこに、推せる人が居るというのでしょう。
一時は推し活の概念を教えたリネット様を怨みもしましたね。
だって知らなければ、わたしは自分の欠陥に気付かなかった。
大量に消費される聖女たちを悼み、悲しむこともしなくてよかった。
生きる意味を、こんなに考えることなんてなかったのに。
……。
…………。
………………。
リネット様と出会ってから魔族たちの攻勢は激しさを増しました。
まぁなにせガルガンティアが半壊していましたからね。
『見つけたぞ大聖女ッ!! お前を殺せば俺たちの勝ちだ……!』
あとはもう、聖女たちを殺せば魔族たちの勝利は確定したようなものでした。
そう、わたしは自分のことに必死で全然知らなかったのです。
人類の希望を。人類や魔族に『死神』と恐れられる英雄の存在を。
わたしが魔族の刃を受けようとしたその時でした。
──ズガァンッ!!
と、すごい音を立てて、あの人が現れました。
治療所に攻め込んでいた魔族たちは一瞬で消し炭になりました。
そしてあの人は──ギルティア・ハークレイ様は言ったのです。
『大丈夫か』
わたしの世界に光が差し込んだ瞬間でした。
差し出された手を、わたしは取ったのです。





