第四十九話 ひび割れる心 ※ギルティア視点
ローズはセシルのことを嫌っている。
少なくとも俺はセシルが側妃を打診した時のローズを見てそう思った。
だからこそ奴のようにローズに婚約する輩が出ないように舞踏会に誘った。
これ以上、彼女が他の男にとられるような不安を抱きたくなかったのだ。
セシルが側妃になれと言った時、心臓が縮み上がるほど怖かったから。
それなのに──
「お前は、俺と先約があったはずだが」
「はい、すっぽかしました」
ローズは悪びれずに言った。
「わたし、ギル様よりセシル元帥を選ぶことにしたので」
「……っ!」
セシルの金髪と似たインペリアルトパーズのネックレス。
セシルの瞳の色と同じ空色の綺麗なドレス。
奴の色に染まっているローズを見て、俺は血が沸騰するような衝動に駆られた。
「ま、そういうことだからさ」
セシルが笑った。
「君がもたもたしている間にローズは貰ったよ」
「……」
ローズを物扱いするセシルをぶん殴りたくなった。
そしてそれ以上に、俺に対して何の説明もなくセシルの手を取るローズに問いただしたかった。
別に、俺よりもセシルに惹かれたというなら構わない。
いや思うところは多大にあるのだが、それならまだ納得できる。
だが──
(なぜお前は、そんなに悲しそうなんだ?)
一見すると無表情に見えるが、案外こいつは分かりやすい。
微妙に眉は下がっているし、視線は下を向いたまま、俺のほうを見ようとしない。それが、いつものように悪女を演じる彼女の姿に重なって──
「ローズ」
「ダメですよ、ギル様」
ローズはセシルの腕に抱き着いた。
公衆の面前で、胸を押し付けるように、自分の物だと主張するように。
「わたしはセシル様のものなので。ギル様は妹と踊ってあげてください」
「……なに?」
「ギルティア様」
声をかけてきたのは人目を惹く金髪の女だった。華やかなエメラルド色のマーメイドドレスを身に纏い、藍色のかんざしをつけている。ギルティア・ハークレイの恋人だと全身で主張しているような女は優雅にカーテシー。
「お久しぶりです。ギルティア様。今夜のお誘いありがとうございます」
「……何のつもりだ」
「いやですわ。ギルティア様から誘ってくださったのに」
女の色香を撒き散らしながら、大聖女は下品にも俺に抱き着いて来た。
胸に頭を預ける彼女の行動に周囲から黄色い悲鳴が上がる。
「お姉さまに袖にされてお困りでしょう? わたくしにしませんか?」
ささやくような声は胸元に頬を寄せるユースティアだ。
「舞踏会に誘っておきながら他の男の手を取り、仲の良さを見せつける性悪な姉などギルティア様に相応しくありません。わたくしならギルティア様を満足させて差し上げます。ギルティア様だけを見ていますし、ギルティア様以外に目もくれません。あなただけの大聖女として祈りを捧げましょう」
ユースティアは艶美な笑みを浮かべた。
「だから、わたくしの手を取ってください。あなたと一緒なら、わたくし……」
「話にならん」
「!?」
俺はユースティアを押しのけた。
「貴様がローズにした所業の数々、既に聞き及んでいる。大方、姉の上司を誘惑して嫌がらせでもするつもりだったのだろう。いいか、俺は貴様のような陰険な女が死ぬほど嫌いだ。たとえローズに拒絶されたとしても、貴様のような女の手を取ることは絶対にないと知れ」
「な、ぁ」
何を驚いているか知らんが、不愉快すぎて燃やさなかったことを感謝して欲しいくらいだ。ローズがされたことを思うとコイツの顔を見てるだけで縊り殺したくなる。
(そもそもローズはなぜこいつをけしかけた……? まるで示し合わせたようだったが……)
と、俺が思考していると。
「は、話が違うじゃない。あいつは自分の言う通りにしたらギルティア様を私の物に出来るって言ってたのに……! まさか、また騙したの……!? 一蓮托生だって、あいつがそう言ったのに……!」
頭を抱えて狂ったように首を振るユースティア。
やはりこれもローズの策略だったようだが、それにしても様子がおかしい。
ユースティアはまるで何かに怯えているようで、しきりに周囲を気にしている。
「いや……いやっ、私はあなたには必要なの。ねぇお願い、頼むから守ってよ! 私はもう二度とあんなところに戻りたくないのぉ!」
「……大聖女様はお疲れのようだ。衛兵!」
「はっ」
「静かなところで休ませて差し上げろ」
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああ!」
ユースティアは金切り声をあげて兵士に連れられて行く。
およそ大聖女らしからぬ悲鳴に他の者達も戸惑いを隠せないようだ。
「今の、どういうことなの?」
「もしかして『死神』様が大聖女様を……?」
「あぁ恐ろしい……見てあの凶悪な目……近づいたら殺されるわ……!」
俺を避けるように周囲に空間が空き、俺はため息を吐いた。
いつもなら気にならない周囲の目が今は癪に障って仕方がない。
そんな俺の元に、ワインレッドのドレスを着た女が近づいて来た。
「災難だったわね、ギル」
「……アミュレリア」
俺は目を見開き、周囲に視線を巡らせる。
セシルはローズとバルコニーに出て涼んでいるようだが、本来なら正妃候補であるアミュレリアと過ごすべきだ。従姉を蔑ろにするセシルに再び怒りを覚えつつ、俺は問いかける。
「お前は……聞いていたのか。ローズのことを」
従姉殿は首を振った。
「いいえ。何も」
「……そうか」
「もしかしてあなたも?」
「あぁ」
本来、セシルはアミュレリアへの相談なしに側妃を決めるような奴ではない。
そもそもまだ婚約者の段階で側妃を作ろうとする行動自体に問題がある。
魔導機巧人形の交渉の時は冗談だと思っていたが……。
「どういうつもりなのかしらね」
「……さぁな」
「先ほどの大聖女様の奇行も気になるし、あなた何も聞いてないの?」
「俺が知りたいくらいだ」
「……そう」
俺は横目でアミュレリアの顔を覗き見てそっと息をついた。
太陽神教会の熱心な信徒でローズを尊敬していたアミュレリアだ。
自分の婚約者を寝取るという所業にショックを受けているのかもしれない。
「ローズ様、あんな男のどんなところがいいのかしら……」
ん?
「セシル殿下よりもっと素敵な男が近くにいるのに……ねぇ?」
「……お前、ショックじゃないのか?」
アミュレリアは苦笑した。
「別に、元々政略結婚だし。あの人との間に愛はないもの」
「……そう、なのか」
そういうものなのだろうか。
幼い頃から王妃教育を受けて来たアミュレリアにとって、セシルはその程度の存在なのか。正妻の余裕ともとれるが……いや、違うな。
「馬鹿か、俺は。いや、馬鹿だ」
「……?」
女の言うことを真に受けては行けない。
表面上はいくらでも取り繕える生き物なのだと、ローズから学んだだろう。
(思うところがないわけがない、か)
「少し行ってくる」
「あ、ちょっとギル!?」
俺はアミュレリアの制止を無視してバルコニーへ。
舞踏会に参加してそうそうに二人の世界を作るとは良い度胸だ。
ローズには報連相というものをもう一度叩き込まなければならない。
(お前がどれだけ悪女面しようと、俺は)
その時だ。
「……」
バルコニーにいる二人の影が、重なった。
夜の闇に包まれてその姿ははっきり見えないものの──
それは、唇を重ねているように見えた。
「……………………」
「ねぇギル、やっぱりやめたほうが……ギル?」
追いついて来たアミュレリアが顔を覗き込んでくる。
「どうしたの、顔真っ青よ? 大丈夫?」
「……なんでもない」
頭が痺れて上手く働かない。
先ほど見た現実を脳が拒否して吐き気がこみ上げてきた。
「……少し、気分が悪い。先に失礼する」
「ギル!?」
あぁ、俺は本当に馬鹿だ。
いつだってそれが大事だと気づいた時には手元から離れている。
胸のなかに、ぽっかりと穴があいたような気分だった。
『わたしは絶対に、あなたを一人にしません!』
あんな言葉、信じるべきじゃなかったのに。
◆
──同時刻。某所。
「だから、お願いします。サーシャ様も協力してください!」
「いやでも、さすがにそんな……」
「いいからやるんです! サーシャ様、散々私に課題を押し付けてきましたよね。その借りを今返してください!」
「うぐ。それを言われたら……分かった、分かりましたわよ! 協力すればいいんでしょ!?」