変化の結果 (1)
冬の気配が近付いてきた頃、雪が降り出す前にユーリたち家族は南にあるカリラ湖の城へと拠点を移した。
家族水入らずの休暇――という名目で。もちろん、最大の目的はユーリが人目を避けて子どもを生むためだ。
グランツローゼの城ではユーリの妊娠は公の秘密になっていたが、それでも。無事に出産が終わるまでは、信頼できる人間以外は遠ざけることになっていた。
カリラ湖の城にはユーリ、ミーナ、ルティ、ナーシャとマティアス……それぞれの化神たちだけ。
連絡係としてグライスナー参謀もしょっちゅう城を訪ねてきていたし、近くの町ではナーシャの従者となったオレーク・カルロフや宰相ノイエンドルフの部下たちが常駐している。実はバックハウス隊長も、結構頻繁に町に泊まりに来ているとか。
それでも、グランツローゼの城に比べれば本当に人がいない。家族だけで過ごせる時間を、ルティは大切にした。
「ペルー!どこにいるのー?」
ルティの呼びかけに、もぞもぞと動いていた雪がぼふっと吹き出し、中から毛と雪でもふもふになったペルがひょっこり顔を出してきた。
ペルは雪から這い出て、ぶるぶると身体を振る。雪を振り払って歩き出すと、また柔らかい雪の中へとペルは徐々に沈んでいった……。
「やっぱり雪の中のお散歩は無謀だったね。お城に帰ろうか」
雪の中からペルを救出し、ルティが言った。
ルティに抱っこされ、ペルはふわふわの尻尾を振っている。
自分たちの供をしてくれるマティアスと手を繋ぎ、ルティはカリラ湖の城へと帰った。
季節は冬――この城へ来てから、間もなく二ヶ月が経つ。ユーリは臨月となっており、明日にもルティの弟か妹が生まれる頃であった。
「お。ルティ、フェルゼンが来てるぞ」
城へ戻る途中、フェルゼンの気配に気付いてシャンフが言った。
シャンフの視線の先を追ってみれば、たしかに見慣れた鎧が。
「フェルゼン、一緒にお城帰ろう」
ルティの呼びかけにフェルゼンはすぐには動かなかったが、しばらくすると城へと帰っていくルティたちに離れたところからついて来る。
城に着くと、それ以上近付いて来ないようにしているフェルゼンに、ルティはまた呼び掛けた。
「フェルゼン、今日はお城に泊まっていって!」
「家族水入らずの休暇だろう。無粋な邪魔者にはなりたくない」
ずっとカリラ湖の城でルティたちを見守っているくせに、毎日こんな調子でルティの誘いを断ってくる。
もう、とルティは頬を膨らませた。
「だったら、今日は私が招待する!お客様として泊まっていって!ほら、入って!」
返事はなかったが、やがてフェルゼンは城へと入ってきた。
暖炉のある談話室で、ユーリたちは寛いでいた。手触りの良い長椅子に二人ともゆったりと腰かけていて、帰ってきたルティを見てユーリが笑顔で手招きする。
ルティはユーリの隣に座り、ペルはミーナの膝にちょこんと飛び乗った。
「お帰りなさい。ちょうど温かいお茶とお菓子を用意したところだったんです。ルティ様も――」
「ミーナ」
にこにこと話すミーナに、ルティは眉を吊り上げる。
あら、とミーナは笑った。
「申し訳ありません――ルティも、せっかくですから召し上がってください」
「敬語もいいって言ってるのに。お母様も、ミーナにそう言って」
このお城に着いてから、ルティはユーリのことを母と呼べるようになった。そしてこの城を出る時も、ずっとそのまま。もう自分たちの母娘関係は正式に発表されることになっているし、ミーナもルティの親なのだ。
だから敬称も敬語もいらないと改めて主張したのに、ミーナはなかなか癖が直らない。
「あっ。赤ちゃん、動いた」
ユーリにぴったりくっついていたから、ユーリのお腹からポコポコとした感覚が伝わってきて、ルティはそっと手で触れてみる――ユーリはゆったりとした衣装を着ているので、視覚的にはあまり認識できないのだが、すっかりお腹は大きくなった。
ユーリは華奢なほうなのに、お腹だけぽっこり大きいから、なんだかとても不思議な気分。
「赤ちゃん、もうすぐ会えるね。ナーシャも楽しみ?」
お茶を配ってくれているナーシャに向かってルティが言えば、もちろんだよ、とナーシャも心からの笑顔で答えた。
「とても待ち遠しい――ただ、僕自身は何もできず、すべてユーリ任せなのが申し訳ないかな。こういう時、男は無力だね」
……たしかに。
赤ちゃんはとても楽しみだけれど、無事に出産が終わるかはユーリ次第。自分たちは待つことしかできない。
ルティは大きくなったユーリのお腹に耳を寄せる。そんなルティの頭を、ユーリは優しく撫でてくれた。
巻き戻り前の世界では、ルティに弟や妹はいなかった。
巻き戻り前にはなかった運命。逆に言えば、どんな結果になるのかは分からないということ。元気に生まれてきてくれるのか――ユーリが無事でいられるかどうかも分からない。
運命が変わったことを無邪気に喜んでいたけれど……。
運命が変わる――それが、必ずしも巻き戻り前より良い結末に変わるとは限らないということを、自分はまったく考えていなかった。
次の日、まだ夜も明けきらぬ早朝から、ユーリの出産は始まった。
出産の準備が始められるのを、ルティはすやすや眠っていて気付かなかったのだが、城に侍医まで呼ばれると、さすがに人の出入りで騒がしくなって目を覚ました。
「ルティ、ユーリに陣痛が来たってさ。出産が終わるまでは、部屋は入らないようにって言われた」
目を覚まして何事かと廊下を覗いていたら、シャンフがやってきてそう説明した。
ルティは素直に頷き、自習したり、絵を描いたり……ユーリの部屋には近づかず、城で大人しく過ごしていたのだが、日が暮れてくると、だんだん不安で堪らなくなってきた。
……だって、いつまで待っても誰も何も教えてくれないから。
子どもは生まれたのか、ユーリは無事なのか――まだ出産は終わっていなくて報告するようなことがないのだ、と周りからは慰められたけれど、耐えられなくなってきて、ルティは何も手が付かなくなってしまった。
一緒に待つマティアスにくっついて、彼にぎゅっと抱きついた。マティアスは、ルティを労わるように優しく抱きしめ返してくれた。
ナーシャも立ち入り禁止となっているのは同じで、不安がるルティを慰めつつも、彼も上の空で部屋の中を意味なくうろうろしている。ヒスイやシャンフも、さすがにいまは無言だ……。
静かな部屋に、誰かの足音が響く。
「ルティ――生まれたぞ。元気な男の子だ」
部屋に駆け込んできたセレスが言い、ルティはぱちぱちと目を瞬かせた。
ルティだけでなく、部屋にいた全員が、一瞬何を言われたか理解できないでいたことだろう。ナーシャもぽかんとしていた。
「男の子――私の弟!」
ようやく理解できたルティが喜べば、セレスも笑顔で頷く。
ルティはぴょんとマティアスから飛び離れ、セレスに駆け寄った。
「ユーリが、まずは君に会わせたいと望んでいる。ナーシャはもう少し待っていてくれ」
セレスに連れられ、ルティは早足でユーリの部屋へ向かった。
部屋からは、仕事を終えた侍医たちが出て行くところで。セレスにちらりと振り返った後、ルティは控えめに扉をノックする。
部屋はシーンとしていて……扉が開くと、ミーナが顔を出した。
ルティを見て、慈愛に満ちた笑みをたたえる。
「さあ、ルティ。ユーリ様がお待ちですよ」
ユーリは部屋の奥の、清潔な寝台に横になっていた。彼女の枕元すぐそばに、真っ白なおくるみに包まれた赤ちゃんが……。
横になったまま赤ん坊に触れていたユーリがルティに気付き、おいで、と手招きする。
「ボクたちの新しい家族……新しい幸せを運んできた、ボクたちの天使だ」
小さな赤ちゃんは時々もぞもぞと動いて、おくるみの隙間からちっちゃな手がちょこんと見えた。
ルティが恐るおそる手を伸ばしてみると、ちっちゃな手がルティの指をきゅっと握る。
そんな仕草に、ルティは胸の奥からぶわっと感情がわき上がるのを感じた。
可愛くて愛しくて。自然と赤ちゃんに笑いかけた……。
「ユーリ。そろそろナーシャも入れても構わないだろうか」
部屋の出入り口に振り返りながら、セレスが言った。
ああ、とユーリが笑顔で頷き、セレスは部屋の外でそわそわしながら待ち続けているナーシャを呼びに行く。
すぐにセレスが戻ってきて、彼女からだいぶ遅れてナーシャもやって来た。
何度も室内の様子を確かめ、入るかどうかかなり迷っている様子だ。
迷っているというか、すごく怖いのだろうな、とルティは思った。何が怖いのかはきっと本人にも分かっていない――とにかく、不安でならないのだ。
寝台に横たわるユーリのそばに赤ん坊を見つけ、ナーシャは小さく息を呑む。
ようやく決心がついたのか、怖々とこちらへ近寄ってきた。
「この子が……」
「男の子だ。もちろん、キミも抱いてくれるだろう?」
ユーリと赤ちゃんを何度も見やり、そっと手を伸ばして抱く。
ナーシャはユーリが赤ん坊だった頃からの付き合いだし、ルティのことも世話をしてきている。だから、赤ん坊を抱くのは慣れたものだった。
……慣れているだろうに、ひどく緊張しているのがルティにも分かった。
沈黙して我が子をじっと見つめ、ナーシャの瞳に涙が浮かんでくる……。
「私、マティアス達にも報告してくる。ナーシャ、お母様のこと、たくさん労わってあげてね。きっと、すごく大変だったと思うから」
「ああ――あ、ごめん。気を遣わせて……」
ルティが自分に気を遣ってユーリと二人きりにしてくれているのだとナーシャは察し、少しだけ我に返ったようだ。
いいの、とルティは笑って、部屋を出た。
ミーナやセレス、ヒスイも一緒に。
「……さすがに、僕も二人きりにしてあげるべきかと思って」
「そうだな。しばらくは私たちも部屋の外で待機だ」
ヒスイが言い、セレスも笑って同意する。
ミーナもくすくすと笑って、伝えに参りましょうか、とルティを誘った。
マティアスやシャンフ、フェルゼンも、ユーリと子どものことをもっと聞きたいはずだ。部外者だから遠慮して、何も言わなかったけれど。
ミーナに頷き、ルティはマティアスの待つ部屋へ戻った。
――とても幸せな、新しい変化。
運命はついに、大きく変わった。いま、ルティはそれを強く実感していた。




