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闇にまぎれて


完全に炎に包まれた建物が、崩れ落ちていく。

化神がついていると言ったって……紋章の力で炎は防げたって、建物が物理的に崩れ落ちてきたら、ユーリも生きていられない。


マティアスの手をぎゅっと握ったまま、ルティは涙目で見ていた。ミーナも顔色が悪く、訳もなく動いている。


やがて、轟音が響いて――ユーリを抱えたセレス、シャンフ、フェルゼンが飛び出してきた。


「お姉様!」


叫ぶルティの声を聞きつけ、セレスたちは真っ直ぐにこちらへ駆けて来る。ユーリもルティに向かって手を振り、地面に降ろされると、こちらへ走ってきた。

ルティも一目散に駆けて行き、ユーリに抱きつく。ユーリは、しっかりとルティを抱きしめた。


「無事を喜ぶのは後だ。もっと遠くへ!」


フェルゼンが言い、ルティはユーリと共に担がれる。セレスがミーナを抱きかかえ、シャンフもマティアスを担いで遠くへ向かう。


途端、派手な音を立てて建物が倒壊を始めた。

美しく豪奢な劇場は、あっという間に無残な姿に。炎は、しばらく鎮火することはなさそうだ。


「ルティ、ミーナ、心配をかけてすまなかった」


フェルゼンに降ろしてもらうと、ユーリが改めてルティとミーナに向き合う。ぐずぐずと泣くルティの涙を優しく拭ってくれた後、マティアスを見た。


「キミも、休みの日だったというのに駆けつけてくれてありがとう。シャンフには助けられた――うん。まだ顔色が優れないようだな」


手を伸ばし、マティアスの顔に触れて熱を確認している。自分の顔に伸ばされたユーリの手にマティアスもそっと手を重ね、ユーリをじっと見つめた。


「ご無事で何よりです」

「キミのおかげでな。ボクたちはこの通り無事だから、もう屋敷に戻って休みたまえ。ボクたちも城へ戻る」


ユーリの言葉にマティアスは頷き、シャンフを連れて自分の屋敷に帰ろうとする。

どこか今日は頼りない背中を見送りかけたルティは、急いでマティアスに駆け寄り、手を握った。


「お姉様、私、今日はマティアスのお屋敷に行く!マティアスの看病をしてあげたいの、いいでしょ?」


ルティの突然の申し出にマティアスは戸惑っているが、ユーリは笑い、良い案だ、と同意してくれた。


「ルティの看病があれば、マティアスの病もたちまち回復することだろう」

「そうだな。ルティが看てくれるなら、マティアスもちゃんと休む――マティアスのやつ、この状態でも仕事をしようとするんだぜ」


告げ口するシャンフを、マティアスがわずかに睨む。やっぱりな、とユーリが意外でもなさそうに相槌を打った。


「それでは、ルティ、マティアスをよろしく頼んだよ」


ユーリとミーナに見送られ、ルティはマティアスと一緒に屋敷へ戻る馬車に乗った。

二人を見送ると、ユーリもミーナを連れて城へ戻る馬車に向かう。


「ボクの無茶に付き合わせてすまなかった。脚は大丈夫かい?」

「はい。ユーリ様のご無事な姿を見たら、すべて吹き飛びました」


ユーリに気遣われ、ミーナは笑顔で答えた。

馬車に乗る時もユーリはミーナの手を取ってエスコートしてくれる――いつも、大切な后として扱われ、ミーナは帝国の皇后として周囲からも敬意を払われている。ユーリのおかげで。


「ユーリ様。ルティ様のお父様は、マティアス様ですか?」


馬車に乗り込み、人形サイズになったセレスを自分の膝に座らせながら、二人だけになっていることを確認してミーナが尋ねた。

分かるか、とユーリが苦笑いする。ふふ、とミーナも笑った。


「分かります。だって……ユーリ様とルティ様を見るマティアス様の目は愛情に満ち溢れていて、とてもお優しい顔をしていらっしゃいますもの」


ミーナも父のことは大好きだったから、マティアスを慕うルティの姿にすぐに気付くことができた。二人が仲良くしているのを見ると、ミーナも幸福な気分になる。


「マティアス様は、私のライバルということですね」

「たしかに――正妻のキミにとっては、ライバルであるのは間違いない」


ユーリとルティを愛する、皇后のライバル。

ポジションとしては彼は皇帝の愛人だし、やっぱりライバルという関係になるのだろうか。


二人でくすくす笑い、やがて、ユーリがミーナの肩にもたれかかってくる。

ふう、とため息を吐き、ユーリは目を瞑った。


「少し、肩を貸してくれ」

「はい。城に着くまで、ゆっくりなさってくださいね」


自分の肩に乗った頭に、ミーナも頬を寄せる。

愛しい我が皇帝――ミーナは彼女の后であり、彼女が誇れる后でいたいと望んでいた。




夜も更けた頃、喉の渇きにマティアスはふと目を覚ました。

もぞりと起き上がり、寝台のそばのテーブルから水差しを取って杯に注ぎ、水を飲む。飲み干して溜め息をつき、何気なく視線をやった先――長椅子ですやすやと眠る少女に目を丸くした。


なぜ、と無言で驚くマティアスに部屋の片隅にいたシャンフが言った。


「あんたのそばがいいって聞かなくてさ」


長椅子に枕と毛布を持ってきて、それに包まるルティ。この屋敷にはもちろん彼女のための部屋があり、そちらで休むものと思っていたのに。


マティアスは寝台から降りて、長椅子で眠る少女を抱きかかえる。

――この子をこうやって抱くのは、いつ以来だろうか。


辺境の城で暮らしていた頃……まだ彼女が赤ん坊だった頃は、何度か抱っこをした。

だが彼女も物心がつき、自分たちの立場をはっきり理解できるようになってからは、無意味な接触は控えるようにした。


明かせるはずもない親子関係。殺されても文句の言えない関係だ。生きて、ルティの成長を見られるだけでも十分……そう思っていた。


すっかり重くなった――記憶にあるより、ずっと大きくなった。

それを実感しながら、娘をそっと寝台に横たえる。


そのまま、マティアスが長椅子に移ろうとした。


「おいおい。ベッドを譲るのは良いとしても、なんで仕事を持ち込もうとしてるんだよ」


長椅子のそばに書類の乗ったテーブルまで移動させようとしているマティアスを見て、シャンフが呆れたように言った。


十分休んだのだから、そろそろ放置していた仕事を片付けないと。シャンフが苦い顔をしているのは無視だ。

だが、寝台でもぞもぞと起き上がるルティは無視できなかった。


「……あれ?私……寝惚けてこっち来ちゃった……?」


寝惚け眼でまだ少し頭をこっくりこっくりさせながら、ルティが呟く。

ぐちゃぐちゃになっているルティの髪を整えようとマティアスが寝台に近づくと、ぎゅっと抱きついてきた。


すーすーという寝息が聞こえてきて、マティアスは目を瞬かせる。


「……どうやら、いままさに寝惚けてたみたいだな」


シャンフが苦笑いし、マティアスも困ったように視線を泳がせた後、かすかに笑い、抱きついたままのルティと一緒に横になった。




ようやく火の消えた劇場は、瓦礫の山と化していた。

夜になっても野次馬は絶えず、豪奢な劇場の焼け跡から金や宝石の欠片を拾い集めようとする不届き者も多い。劇場の周辺には、何十人という兵が警備に当たっていた。


そんな監視の目を盗み、フェルゼンは劇場の地下へと侵入する。

目的は、紋章の回収。本当は、あの紋章を手に入れるために劇場へ行き、バレエダンサーを強襲した。

――まさか、胸元にあの紋章を宿しているとは思わなかった。


紋章を手に入れるためには、身体のその部位を斬り落とすしかない。

わずかにためらったことで相手の反撃を許してしまい、火事はルティが記憶しているよりもずっと早く発生してしまった……。


完全に暗闇に閉ざされてしまった地下を進み、フェルゼンは足を止める。

……誰かいる。


誰もいないだろうと思っていたのに――剣に手をかけ、警戒する。向こうも、こちらに気付いた。

いまこの瞬間まで気付かなかったが、この気配は化神だ。


セレス、シャンフ……ヒスイもここにいるはずがない。なら、あの蛇は生きていた?

思考は打ち切られ、フェルゼンは動いた。


向こうが、先に攻撃を仕掛けてきた。飛んできたものを剣で弾き、続いて自分に飛び掛かってくる本体を攻撃する。

蛇ではない。相手も人の姿をしている。


身体能力からして、化神なのは間違いない。だがその姿は女ではないし、ヒスイとシャンフは特徴的な民族衣装を衣装を着ている。

この化神は従者用の礼服を着ていて……シャンフより少し年上ぐらいの見た目の、すらりとした青年だ。


彼も、フェルゼンを見て少し驚いている。


「おやおや……人型の化神ですか。ローゼンハイムにいるとは聞いていましたが。うーん」


青年の姿をした化神は異様に肌が白く、暗闇の中で顔が浮かんで見えた。愛想の良い笑顔を浮かべているが、人懐っこいシャンフと違い、その笑顔には寒気すら感じる。

髪も瞳も真っ黒だが、どこか紫がかったような光を帯びていて、フェルゼンをしげしげと観察していた。


「あなた……どうやら私と同類とお見受けする。宿主なしだと、ろくに力も使えず、回復も覚束ない――大変ですねえ、お互い」


そう言いながら、真っ黒な短剣が青年の周囲に何十本も浮かび上がり、フェルゼン目掛けて飛んでくる。

回避し切るのは不可能――剣でしのぐが、この短剣はただの武器ではない。紋章の力で作られた専用の武器。

……ろくに紋章の力を使って武器を作り出せないフェルゼンからすれば、何が同類だ、と舌打ちしたくなった。


短剣を防いでいささか圧され気味となったフェルゼンに、青年が即座に距離を詰めてくる。

剣を振って距離を取らせようとしたが、青年はひらりと避け、手に持った黒い短剣を振り下ろしてきた。


二十センチもない刃だったのに、剣ごと、フェルゼンの右腕が両断された。

剣も、身に着けている鎧も人間の技術で作られたもの――紋章の力で生み出された武器には敵わない。


防ぐものを失ったフェルゼンに、青年がもう片方の手に握る短剣を振り下ろす。

それは、二人の間に突如出現した氷によって阻まれた。


ガッと振り下ろされた短剣は氷に食い込み、短剣と短剣を持つ青年の手が凍り付けにされていく。すぐに氷を破壊し、青年はセレスの剣を避けた。


「フェルゼン、無事か」


吹っ飛んでいったフェルゼンの右腕を、セレスが投げて寄越す。青い光を放つ剣を構え、セレスは青年と対峙した。

青年はふむ、と考え込み、笑った。


「その姿――お噂の、ローゼンハイム皇帝陛下の化神ですか。今夜の私の業務はすでに終了しておりますので、ここは撤退させていただくことにしましょう」

「ふざけたことを」


そう言いながらも、さっと闇へと消えていく青年をセレスは追わなかった。

ぐらりと傾く、フェルゼンの身体を支える。


「なぜ、ここへ……」

「紋章を回収できないか、ユーリに頼まれたんだ。色々と不審なことが多かったからな、この火事は。君も同じだろう?」


――あの化神が来ているのなら、バレエダンサーなど放ってこのタイミングに全力を注ぐべきだった。


後悔に打ちひしがれながら、フェルゼンは意識が遠のくのを感じた。

……宿主のいない自分は、力を多用できない。




気が付いた時には美しく広い部屋の、大きな寝台の上だった。

全身甲冑姿のまま横になるというのは、なんとも奇妙な光景であるだろう。右手が異様に冷たく、だが指先に、あたたかいものが触れていた。


顔を動かしてみると、寝台のそばにはユーリが。


「治療は済んでいる。右腕はいま、修復中だ。冷たいだろうが、もうしばらく我慢してくれ」


右腕に視線を降ろせば、手甲が外された状態で、切り離された部分が氷によって繋ぎ合わせられていた。そんな自分の右手に、ユーリがそっと手を添えてくれている。

手に力を込めてみれば、彼女のほっそりとした指をぎこちなく握った。


「……セレスはどうした」

「キミをここへ連れてきて治療した後、もう一度劇場へ行った。もう少し調査すると。あのバレエダンサーが持っていた紋章は、謎の化神に持ち去られてしまったとも言っていたが」


フェルゼンは黙り込む。恐らく、その通りだろう。


やつも、紋章の回収が目的だったはず。このタイミングでローゼンハイムへ来ていたとは知らなかった。

知っていたら、セレスたちにもさりげなく警告し、全員でやつを始末に向かったのに。

――手痛いミスだ。


「キミも何か成し遂げたいことがあるのだろう。焦る気持ちは分からなくもないが、今夜はこのまま休んでいくといい。宿主のいないキミは、セレスたちのようにすぐに回復することはできないのだから」


兜越しに、ユーリがフェルゼンの頭を撫でる。

フェルゼンは、じっとユーリを見た。

……彼女は就寝するつもりだったのだろう。薄い寝衣一枚で、ずいぶんラフな恰好だ。


「ユリウス。おまえに伝えるべきことがあったのを忘れていた――私はシャンフたちと違い、人間らしい欲も持っている。あまり、気楽に二人きりにならないほうがいい」

「……うん?」


突然のカミングアウトに、ユーリが目をぱちくりと瞬かせる。きょとんとなっている顔は可愛らしい。

自分の恥を打ち明けるようで気が引けるが、これは言わないわけにはいかないだろう。

自分は、ユーリにとって警戒すべき相手であることを。


「つまり……キミは、男として機能するということか。化神なのに?」


思わずジロジロと、ユーリがフェルゼンの全身を見ている。全身が甲冑で包まれているから、傍目に変化は見えないが。


「――面白いな」


好奇心で、ユーリは目を輝かせていた。

……そんな馬鹿な。


「おまえ……男の形をしていればそれでいいのか……?」


フェルゼンのほうが呆れてしまい、ユーリは愉快そうに笑うばかり。寝台に上がり、フェルゼンの身体にのしかかる。


「そんな面白そうなことを聞かされたら、試してみたいと思うのが人の性というものだろう。キミだって期待して打ち明けたんじゃないのか」

「純粋な警告だ――待て。本気でするつもりか?」


自分の身体をまさぐってくるユーリに、フェルゼンが言った。ユーリはお構いなしだ。


「うむ。脱がすのは止めておこう。キミは容姿にコンプレックスがあったのだな。それを暴くのは無粋というもの」

「劣等感というほどのものでは」


反論しかけて、いや、と思い留まる。やはり、脱がされるのは御免だ。


愚行の末の、成れの果て。

彼女の眼前に晒せるほど、フェルゼンも厚顔にはなれない。


左手で彼女の頬に手を伸ばせば、手甲越しに、ユーリが掌に口付けてきた。


「最初に会った時から思っていたが、良い鎧だな。ボク好みのデザインだ」

「……そうか」


この鎧は、かつてユーリからもらったもの。彼女のために必死になって、無茶ばかりする自分を気遣って、ユーリが贈ってくれた特注の鎧。

――彼女を助けたくて、フェルゼンはここへやって来たのだ。


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