連鎖に囚われた男 (1)
ユーリから休みをもらい、ナーシャはラヴェンデル尼僧院へと赴いていた。
どこへ行くのかは聞かれなかったけれど、きっと彼女は気付いていることだろう。彼女も、実の母のことをナーシャに尋ねて来たりはしない。
憎み合っているとか、嫌い合ってるとか、もうそんな感情が生じる関係ですらなくなっている。血縁という最強の繋がりをもってしても埋まらないほどの距離が、この母娘にはあるのだ。
「ナーシャ、ご両親に挨拶に来ていたのね」
両親の墓参りをするナーシャに、皇太后ドロテアが声をかける。頭を下げるナーシャに、ドロテアがわずかに笑った。
「リンデンベルク伯爵の称号を授かったそうね。オルキス出身のあなたが、帝国貴族……」
「王国を裏切る売国奴と、あなたも罵りますか?」
ナーシャが静かに問えば、いいえ、と皇太后も首を振る。
「私が、あなたのことを裏切者だと思うわけがない――分かってもらう必要などないわ。私たちが、どんな思いでここにいるのか」
あまりこの話題を引き延ばしたくなくて、ナーシャは話を切り替えることにした。
「巨森の紋章は、エンデニル教団に渡されることになりました。ユリアーナ様に目をかけて頂いているとは言え、さすがにあれを要求することは躊躇いまして」
「仕方がないわね。ライスのフリッツァーが所持する紋章と言えば、有名だもの。教団の目をすり抜けるのは不可能でしょう」
ラヴェンデル尼僧院には、ドロテアに会いに来るというだけでなく、集めた大紋章を彼女に渡すという目的もあった。
以前は、盗賊の女頭領が持っていたものを。今回は、手に入れ損ねたという失敗の報告に。
エンデニル教団に大紋章を集めさせたくないというドロテアの望みは、ナーシャも同意している。
「ユリアーナ様が戴冠なさるお姿は、とても美しかったですよ。僕より若いのに、堂々として、皇帝らしい威厳がありました」
「……そう」
ローゼンハイム帝の戴冠式の話はこの尼僧院にも届いているだろうに、ナーシャの言葉にさして関心を示すことなく、皇太后はそっけない返事をするばかり。
本当に、美しく、立派な姿だったのに。
ユーリのことは彼女が生まれた時から見てきたから、自分の細腕でも軽々抱っこできていた小さな子が、自分の何倍もの年齢と体格のある男を前にしても小さく見えない姿へと成長した様は、自分のことのように誇らしかった。
――誇らしいと感じることのないドロテアに、憐れみすら感じる。
「ナーシャ」
ここでは借りてきた猫のように大人しく、沈黙しているヒスイが、珍しく自分から声をかけてきた。
ナーシャが振り返って自身の化神を見れば、ヒスイは空を見ている。
「あれ」
指差す先には、白く丸っとした文鳥。
ヒスイ目指して、すいーっと飛んでくる。
ぽってりとヒスイの頭にとまり、ヒスイは不満そうな顔をしていた。
「……人の頭を何だと思ってるの」
「君が言えたことじゃないだろう」
不平を漏らすヒスイに苦笑しながら、ナーシャは文鳥に近づく。
やはり、この文鳥はグライスナー参謀の化神ムートだ。ムートはすっと足を差し出し、ナーシャは脚に括りつけられた手紙を取った。
「ラングハイムにある城を、ならず者が占拠したらしい。城主とその家族を人質に取って、厚顔にも陛下を呼び出している」
「ラングハイム……ここから近いわね」
皇太后が呟く。
馬を飛ばせば半日で到着できる城だ。行き先は告げなかったが、恐らくラヴェンデル尼僧院にいると思ってナーシャのことも呼び出したのだろう。近くにいるのだから、招集した。
失礼します、と皇太后に頭を下げ、ナーシャは急いで尼僧院を出る。
外に繋いでおいた馬に乗り、自分の頭に乗るヒスイに向かって言った。
「……ラングハイムの城を占拠したのは、オルキス王国の生き残りだそうだ」
ヒスイは何も言わず、ナーシャも返事を求めることなく、馬を飛ばした。
ラングハイムは切り立った崖の上に建てられた城で、善良な城主とその妻、夫妻の間に生まれた子どもたちが暮らしていた。
天然の要塞でもあり、あまり軍事的価値のない場所にあることから外敵による攻撃もほとんどない。
城の警備は緩く、悪い言い方をすれば、城を守る兵たちも平和ボケ気味であった。
城から少し離れたところに帝国兵団は陣を張っていた。
陣には、グライスナー参謀だけでなくバックハウス隊長も来ている。
「レナート!来てくれたか。休暇中だったというのに、呼び出してすまなかったな」
ナーシャの到着を、バックハウス隊長は歓迎した。
状況は、とナーシャがすぐに確認すると、バックハウス隊長は城へとナーシャを案内する。
「かつてのオルキス王国の兵士たちが、数十人で徒党を組み、ラングハイム城に侵入して城主の子どもたちを人質に取った。そして……」
城の門が見えるようになり、バックハウス隊長はそちらに視線をやる。城門には、無残に吊るされた骸がひとつ。
衣装から察するに、彼はこの城のかつての主……。
ナーシャは黙り込み、バックハウス隊長も険しい顔でぎゅっと唇を結んでいる。
「奴ら、あろうことか陛下を要求しているのだ。城へ来いと」
「陛下に、そのことは」
「報告せぬわけにはいかぬから伝えてあるが、話にもならぬ要求だ。従うつもりはない」
そう言って陣に引き返そうとした途端、グライスナー参謀と共に自分たちの後ろから人が現れ、バックハウス隊長はぱかっと口を開ける。ナーシャも虚を突かれて目を見開き、どうして、と困惑する。
「要求を呑んでみるというのも一興だろう。ボクの登場で向こうがどんな反応を示すのか、試してみようじゃないか」
「へ、陛下……何もわざわざ、陛下にお出ましいただかずとも……!」
バックハウス隊長はユーリを思い留まらせられないか、しどろもどろに説得してみるが……無理だろうな、とナーシャは苦笑いするしかなかった。
「彼女を説得するのは、僕たちでは不可能です。ここまで来たら、陛下に任せてみましょう――ユーリ、決して無茶な真似はしないように。危険を感じたら、無理やりにでも連れ戻すからね」
「分かっている。彼らは帝国語は通じるのか?」
グライスナー参謀が頷くのを見て、よし、とユーリも頷いた。
「侵入者たちよ!キミたちの要求に応じ、ローゼンハイムの皇帝がここに参上したぞ!ボクへの敬意を払い、キミたちも多少の交渉に応じではどうだ!それとも、幼子を人質に取るような臆病者には、ボクと向き合う勇気も出ないか!」
静かな城に向かって、ユーリが大声で呼びかける。緊迫した空気があたりを包み、やがて、城門の上から人影が見えた。
十歳前後の少年を連れて、男が一人。恐怖に怯える少年を自分の前に立たせ、小さな身体の後ろに隠れるように。
武装した男は、見せつけるように少年の首元に剣を向けている。
「ろ、ローゼンハイムの皇帝……」
「そうだ。オルキス王国の生き残りというのであれば、ユリウス二世の顔はよく知っているだろう!ボクの顔を見て、それでも偽りだと疑うか?」
武装する男も、少年に劣らず怯えているように見えた。自分たちが大それたことをしている自覚はあるのだろう。
本当に、ローゼンハイム帝が来た。その結果に怯えている。
まずいな、とナーシャは思った。恐らく、グライスナー参謀も。
彼らははっきりとした目的があったわけではなく、ただ闇雲に帝国にある城を襲い、帝国への恨みから皇帝の名を挙げてみただけ。八つ当たりにも似た復讐心から。
だがふと冷静になって見れば、城を取り囲まれ、皇帝率いる帝国兵団まで登場して、自分たちは絶体絶命の状況。
……自棄になった彼らがどんな行動に出るか。あまり、良い結果は想像できない。
「さあ、ボクに要求を述べるがいい。二度と得ることのできぬチャンスを与えてやろう。キミたちがどのようなことを要求するのか、ボクは大いに興味がある。自らの望みを、このボクに直接訴えてみたまえ!」
「う、うるせえ!おれ、俺たちは――偉そうに命令するんじゃねえ!俺たちがおまえの命令を聞くと思ったら、大間違いだぞ!」
やはり、皇帝を前にして要求を述べるなどという、予想外の展開に連中は混乱している。
とにかく、ローゼンハイム帝に一泡吹かせてやらなくては――でも、どうしたら?
そんな内心が、手に取るように分かった。
その時、城門の上にまた別の影が現れて。
女性の泣き声が、空気を一変させた。
「お願いします!その子をお放しください!人質ならば、私がなりますから!お願い、子どもだけは……!」
武装する男の盾となっている少年の母親――城主の妻だ。泣きながら懇願する女性に男は振り返り、ぴくりと、表情が動いた。
憐れな母親の登場は、最悪の結末を招く。誰もが、その予感に気付いた。
狼狽していた男がニヤリと、嫌な笑みを浮かべる。
「……俺たちは、思い知らせてやりたかっただけだ。ローゼンハイム帝――俺たちの恨みの深さをな!」
女の絶叫が響き渡り、帝国兵たちもどよめき、息を呑んだ。
剣が振り下ろされ、目を見開いたまま絶命し、血にまみれた少年の身体が落ちてくる。どしゃりと地面に叩きつけられた時には、兵の中にも思わず目を背ける者がいた。
ナーシャも顔をしかめ、バックハウス隊長も少年を憐れんで目を瞑っている。
自分たちの前に立つユーリがどんな顔をしているのかは、ナーシャからは見えなかった。
小さくため息を吐き、ユーリが改めて城門を見上げる。
「よく分かった――キミたちの目的も。人質は、丁重に扱うことを推奨する。キミたちの大事な命綱だ。すべて切ってしまうと、残るは自分の首にかかる縄だけになってしまうぞ」
その声は恐ろしいほど冷静で、動揺している素振りもない。
そんなユーリの様子に、男のほうが動揺しているぐらいに。
一旦引き上げるぞ、とユーリは振り返り、ナーシャたちに言った。バックハウス隊長とグライスナー参謀は頭を下げ、ユーリに続く。
城門の上で、唖然とユーリたちを見る男と、気絶する城主の妻の姿が見えた。
夫も子も殺され、彼女が受けた心痛を思うと……。例えこの事件が解決しても、失われたものが戻ることはない。
平和だったラングハイム城――帝国への復讐に巻き込まれ、罪のない家族がバラバラに引き裂かれた。その事実は変えられない。
ユーリと共に陣へと引き上げながら、ナーシャは苦い思いで憐れな犠牲者たちに背を向けた。




