不幸の始まり (2)
「フェルゼン、ミーナがお姉様のお嫁さんになるんだって!」
ユーリの結婚を知らされた時、ルティはすぐにフェルゼンに相談しに行った。相談しに行ったというか、正確には部屋に呼んで相談に乗ってもらいにきたというか。
とにかく、早急に話し合いが必要と判断した。
「巻き戻り前では、ミーナはマティアスとの不倫を疑われて処刑されちゃったけど、あんなの嘘だよね?マティアスがお姉様を裏切ったりするわけないし、ミーナだって……」
言いかけて、ちょっと自信をなくす。
絶対にありえない、とは言い切れなくて。
だってルティのせいでミーナは孤独に追いやられて……その寂しさから、ユーリ以外の人に想いを寄せたとしても責められない。
でも、相手がマティアスというのは絶対に違う。
「おまえの考えている通り、マティアスは主君を裏切っていない。皇后が沈黙を守ったまま処刑されてしまったため、彼の無実を証明する手段が失われてしまい、命を落としただけだ」
「ミーナは処刑だったけど……マティアスは、その……拷問で死んじゃったんだよね……?」
恐ろしくて、想像するのも、口に出すのもためらってしまう。
マティアスは結局、自分の罪は最後まで認めなかった。
でも皇后が刑に処された以上、マティアスは罪を認めて処刑されるか、罪を認めるまで拷問が続けられるかのどちらかしか道は存在しなくなってしまい……そういう結末に。
「……ミーナ、どうして何も言わなかったの?」
せめてミーナがはっきり否定してくれていれば、ユーリが皇帝の権威を利用して、罪をうやむやにすることができたかもしれない。
でもミーナは否定もせず処刑を受け入れてしまったから、ユーリでもどうにもできなくなってしまって。
「不義密通を疑われた皇后ヴィルヘルミーナ……彼女はたしかに、マティアスと通じ合ってなどいなかった。だが彼女は、想う男がいた――マティアスの化神シャンフに、密かに想いを寄せていた」
「シャンフ……?」
意外な名前に、ルティはぱちくりと目を瞬かせる。
「無論、シャンフのほうにそんな意思は一切なかった。男の姿をしていても、やつは化神だ。人間の恋愛感情など、持ちうるはずがない。皇后のほうも、そのことは理解し……シャンフと結ばれるなど、考えたこともなかっただろう。ただ孤独な彼女にとっては、シャンフへの想いが心の拠り所だったのだ」
それは、ルティにもなんとなく分かるかもしれない。
孤独なミーナは、シャンフへの恋心でなんとか自分を支えていた。
だから……不義密通の疑いをかけられても、それをはっきり否定できなかった。
精神的不義を犯しているのは事実だったし、自身の想いを否定してしまうことにもなる――それは、ミーナにとって死にも等しいものだったのだ。
そもそも、ミーナを孤独に追いやってしまったことが大きな間違いだったのである。
「ミーナが一人ぼっちになっちゃったのは、私のせいだわ。私がミーナを孤立させた」
巻き戻り前の世界で。ルティは、自分に歩み寄ろうとするミーナをひどく拒絶していた。
あの頃、ルティは寂しくて不安で堪らなかった。
皇帝となったユーリは忙しくて、一緒にいられる時間はほとんどなくて。そんな中、ユーリの妻として現れたミーナに激しく嫉妬した。
皇后であるミーナは、公式の場ではユーリの隣に立てる。血の繋がりがないとされていたルティにはありえないこと――ユーリを奪われるという恐怖から、優しくて、自分より立場の弱いミーナに八つ当たりした。
ミーナを無視し、彼女を嫌っている態度を隠さなかった。それが……周囲の人の目に、どう映るかも考えずに。
皇族ではなくとも皇帝が溺愛する妹。彼女に嫌われている皇后。
皇后は外国から嫁いできた女で、皇帝の子を生むことはあり得ない。
貴族たちがどちらにすり寄ろうとするかと言えば、当然、ルティのほうになる。そのルティに嫌われてしまった皇后のことを、貴族たちは遠巻きにし、中には嘲る者も。
ミーナがユーリに訴えていれば状況が変わったかもしれないが、心優しい彼女は幼いルティを悪役扱いすることをためらい……あるいは、訴えたところでユーリに聞き入れてもらえないと諦め、黙っていた。
それを良いことに自分は一切態度を改めることなく、ミーナの孤独を思いやらなかった。
そして、皇帝と帝国にとって最悪の運命を辿ることに……。
「私がミーナと仲良くなれば、この運命だけは絶対に変えられるはず。そうだよね?」
今回だけは、ルティの努力で何とかなるはず。意気込むルティに、フェルゼンも静かに頷いた。
城では皇后を迎える準備が粛々と進められており、ルティも積極的に手伝った。
ヴィルヘルミーナの好みはよく知っているつもりだから、彼女に気に入ってもらえるようなインテリアにしたくて。
あれこれ手伝いたがるルティに、ユーリが笑う。
「ボクのお嫁さんが来るのが、とても楽しみなんだね」
「うん。ミーナはとっても優しくていい人なのよ。きっとお姉様とも仲良くなれるわ」
「それは……例の夢で、彼女のことも見たということかな?」
「う、うん……」
頷きながら、辺境のあの城で話して以来、巻き戻り前のことをユーリたちに全然話していないことをルティは思い出した。
何をどう話したものか――それに悩んで不用意に喋らないようにしていたけれど、話しておいた方がいいこともあるだろうか。でも……信じてもらえるだろうか。
「フェルゼンから、お姉様たちに巻き戻り前の世界を話すことってできる?」
あくる日。ルティはまた、フェルゼンに相談に乗ってもらっていた。
相談したいことはきちんと整理して、まとめて質問すべきだな、と反省しながら。
フェルゼンは黙り込んだまま。何の反応もない兜をじっと見つめ、ルティは首を傾げる。
長い沈黙の後、フェルゼンがようやく口を開いた。
「リーゼロッテ。いま私が話したことが、聞き取れたか?」
「え――えっ?なんのこと?」
突然の質問に、ルティは目を丸くする。
意味が分からないし、脈絡もなくてルティはオロオロするばかり。
やはりな、とフェルゼンが呟いた。
「私はいま、おまえが知らない未来について話した――だがおまえは、そんな話は聞いていない。話していたことすら知らないだろう。どうやら、これも紋章の力らしい」
「紋章……フェルゼンの?」
時を巻き戻す力を持つ、フェルゼンの紋章。
宿主を持たないフェルゼンは、その力を一度使ったら、その後しばらく使えないと説明していたが……。
「この紋章を、私が自分の意思で使うにはまだ数十年の時間を要する。ただ……私が、相手の知らない未来を話すと、勝手に力が使われるようになっているらしい。私が話す直前に、時が巻き戻る」
「あ……じゃあ、もしかしていまも?」
ルティの言葉に、フェルゼンが頷く。
いま、フェルゼンはルティの知らない未来を話した。でも話した途端に紋章の力で巻き戻って、ルティは何も聞いていない状態にまで戻ってしまった。
「……あれ?でも、私が知らないこと、フェルゼンはたくさん話してるよね……?」
無知な自分では知らなかった、巻き戻り前の出来事……その真実。もうすでに、たくさん聞かされているような。
「真実を知らないだけで、おまえにとっては未来のことではなく、過去のことに該当するからだろう。私も他者を巻き戻したのは初めてのことだったから、どういう結果になるかいままで知らなかったが」
これから起こること。ルティにとっては、すでに起きたこと。
……なんだか哲学的な問題だ。正直よく分からなくて、ルティは眉を八の字にする。
「私はいままで、紋章の力を使って何度か巻き戻りを経験している。その中には、無論、お前がまったく知らない未来も存在する。それをいま話したが、おまえは聞くことができなかった。そういうことなのだろう」
「ううん……そっか……じゃあ、お姉様たちに話すなんてもっと無理だよね……」
一緒に巻き戻ってきたルティですら、フェルゼンが話す未来のすべてを聞けるわけではない。
だったら、ユーリたちにはもっと無理。
自分よりずっと詳しくて、説得力のある彼が話せないとなると、巻き戻り前の世界の話は周囲に語れないものと思ったほうがよさそうだ。
「……ねえ、フェルゼン。ラファエル様や、コンラート様って、巻き戻り前の世界ではどうなったんだっけ――あの、二人とも戦死なさったのは知ってるんだけど……お姉様の臣下としてはどうだったのかなって」
城に仕える貴族は他にもたくさんいるけれど、巻き戻り前の世界ではほとんど交流がなかったグライスナー参謀、バックハウス隊長とはなんとなく接する機会も増えたので、ルティは彼らのことを尋ねてみた。
二人とも戦死……軍人だし、しょっちゅう戦争があったから、特に不思議なことでもない。ルティではどうにもならない運命。あの人たちもやがていなくなってしまうのだと思うと、とても寂しい。
「それはあくまで、公にされている死因だ。二人とも、正確には違う。公表することができなかったために、戦死という無難なものにすり替えられた。ラファエル・フォン・バックハウスの死は、宰相ノイエンドルフの陰謀による暗殺。そしてコンラート・フォン・グライスナーは、友の仇を討つために宰相を敵国に売り渡して死に追いやった――その事実が発覚し、反逆者として逮捕、処刑された。とても明かせぬ事実だ」
……自分が知っているものと、何もかも違い過ぎる。しかも、宰相ノイエンドルフの死の真相まで芋づる式に知ることになり、ルティは青ざめた。
「ノイエンドルフ公爵は、どうしてラファエル様を暗殺したの?」
声が震えてしまう。
彼に、暗殺されるような理由があったようには思えない。裏表がなくて、陰謀とは無縁な人。
宰相ノイエンドルフは嫌味なおじさんだったけど、無意味に残虐だった記憶はない。
「マティアス、レナートの両方を失い、皇后殺しの汚名まで背負うこととなったユリウスは、孤独を極めていた。その状態の彼女に献身的に尽くしたのが、バックハウスだったのだ。裏表のない男だったからな――どこまでもバカ正直に、健気な皇帝に剣を捧げていた。やつも、マティアスにも劣らぬ忠臣だったと言ってもいい。それで……ノイエンドルフは、ユリウスがやつを寵愛し過ぎることを懸念した」
「そんな……じゃあ、お姉様がラファエル様を贔屓するかもっていう邪推で、公爵はあの人を……?」
そんなの酷い。無茶苦茶だ。
二心なく皇帝に仕えていただけなのに、武人として国を支える大きな柱でもあった彼を、そんなことで殺してしまうだなんて。
「グライスナーは、バックハウスの死の真相に気付いた。だが証拠はなく、やつを正当な手段で裁く術がなかったために、謀殺する以外の復讐方法が思いつかなかった。グライスナーはノイエンドルフほど完璧な計画を立てられず、程なく真相が明るみとなり、逮捕された――あるいは、罰を受けることも、最初からグライスナーが立てた計画のひとつだったのかもしれぬ。その真実は、いまとなっては当時のグライスナー以外の誰も知らぬ……」
きっと後者だ、とルティは思った。
帝国の宰相を敵国に売り飛ばす――友のための復讐であったとしても、帝国への大きな裏切りであり、許されることではない。わざとすぐに発覚するようにして、自分も罰を受けた……受けたかった。
「全部、ノイエンドルフ公が悪いのよ。だって……ラファエル様を殺める理由に、正当性なんてちっともないもの。お姉様はあの人を宰相にして信頼してるみたいだけど、仲良くしちゃいけない人だったんだわ」
ルティはちょっと憤慨しながらそう言ったが、フェルゼンは沈黙したまま――ルティにいまだ打ち明けていない重要な真実について、そのまま胸に呑み込む。
すべて、ノイエンドルフ公が悪い。
たしかに、彼も帝国崩壊に大きな影響を与えている。
皇帝を支える宰相でありながら、そのやり方を間違えた。それは事実である。
……彼がユーリの忠臣であったことも、一つの事実だ。




