不幸の始まり (1)
マティアスの屋敷に遊びに行って以来、ルティはユーリと一緒に過ごす時間が増えたような気がする。
ユーリに気を遣わせているのかな、と思いつつも、やっぱり一緒にいられるのが嬉しくて、誘われるとつい一緒に行ってしまう。
それではいけない、と思い、今日はルティも頑張ってワガママを言ってみた。
「ナーシャと一緒がいい!」
後で、ルティが自分ではなくナーシャを選んだことに、マティアスが盛大にショックを受けていたらしいということを聞かされた。
――でもポーカーフェイスだったらしい。どうやったら、ポーカーフェイスのままでショックを受けた表現ができるんだろう……。
一日一時間と決められた脱走タイムにて。
今日はナーシャをお供に、ユーリとルティは赤烏新聞社を訪ねた。
巻き戻り前、ユーリの悪評を書き立てた皇室の敵。
でも、敵を知るのは大事だ。フェルゼンも同意してくれたし、ルティも意を決して、赤烏新聞について調査することを決めたのだ。
赤烏新聞社では、グライスナー参謀の知人でもあるイザークが出迎えてくれた。
「コンラート様から、皆さんがいらっしゃることは聞いておりました――いまをときめくリンデンベルク伯もご一緒とは、実に素晴らしい」
ナーシャはライスとの戦争の功績を認められて、リンデベルク伯爵の称号と家名をもらったそうだ。そして晴れて、ユーリの近衛騎士に。
もとは貴族でないどころか、外国人だった人間にとっては異例の大出世だ。
ルティはナーシャの出世を純粋に喜んだけれど、きっと大変なこともあるんだろうな。
「ぜひとも、話題の人にインタビューを」
目を輝かせるイザークに、ナーシャは苦笑いでちょっと引いている。
「せっかくだ。受けてきたまえ――ボクの自慢の騎士を、広く知らしめるチャンスだ」
「ユーリがそう言うなら」
ナーシャはインタビューを受けることになり、ルティたちはそれを待つことになった。
雑多な編集部の片隅にある応接用の椅子に座る。椅子のそばには簡素のシェルフがあって、新聞がたくさん並んでいた。
ユーリが一部取って、新聞を読む。ルティもシェルフを眺め、適当に新聞を選んでみた。
ヒスイは人形サイズになって、ルティの頭の上でゴロゴロしている。
「クルト。インタビューを取っている間、待ってもらうお客様たちにお茶を差し上げて」
イザークがそう言えば、えーっという不満げな声が聞こえてきて、やがて、お茶とお菓子を持ったクルトがこっちへやって来た。
明らかに渋々といった表情で、ルティを見て睨む。ルティもユーリにちょっぴりしがみついてクルトを睨み返す――でも、今日のクルトはすぐに奥に引っ込んでしまい、見習いの見習いとして忙しなく雑用に奔走していた。
「やれやれ。あの子の貴族嫌いも相変わらずですねえ」
イザークがため息を吐き、こちらへやって来た。
テーブルの上に置かれたお菓子にヒスイが一番に近寄り、もぐもぐと食べ始める。人形サイズのまま食べているから、お菓子はヒスイの身体の半分以上の大きさだ――まるで魔法のように、お菓子はスルスルと消えていく……。
「ナーシャのインタビューは?」
「先に似顔絵を描かせてもらってるんです。インタビューは、その後」
幼いルティが相手でも、イザークは愛想よく答えてくれる。彼の穏やかな口調と礼儀正しさを見ていると、とても、十年後には皇帝ユリウスに対するデタラメ記事を書くような人になるとは思えないのだが……。
「キミたちは本当に耳が早いな――もう戴冠式のニュースが載っている。ローヴァイン枢機卿の訪問まで、すでに嗅ぎ付けていたのか」
新聞を片手に、ユーリが言った。
イザークは、目の前の人がユリウス三世その人だということに気付いているのだろうか。
正式に自己紹介したことはないが……抜け目のない記者だと言うのなら、いまの皇帝の顔を知らないなんて有り得ないだろう。ユーリにそっくりという噂のユリウス二世だって、顔はよく知られているわけだし。
「イザークさんは、ローヴァイン枢機卿ってどんな人なのか、知ってる?」
ローゼンハイム帝国の南西に、小さな宗教国家がある。エンデニル教団と呼ばれていて、そこの王様は皇帝ならぬ教皇らしい。
小さな国なのに宗教的には大陸の中心となる国家らしくて、大帝国の皇帝であるユーリですら、彼らの権威には従うしかない。
エンデニル教を国教とする国の王様は、教皇から冠を戴かなくては王として認められない。
ユーリも、戴冠式をするにあたって教団から神官を招くことになっているのだ。
それで、その役目を持ってローゼンハイムにやってくるのが、ローヴァイン枢機卿。
教団の階級はルティにはよく分からないけれど、教団内での地位の高さは帝国で言うところのノイエンドルフ公爵と同じ、とユーリは解説していた。
「枢機卿クレイグ・ローヴァイン」
「……聖職者なのに、俗名のまんまなの?」
聖職者――出家している人間は、普通教会に入る時に俗世での名前を捨て、新しい名前をもらう。
例外はいっぱいある。枢機卿も、例外の人なのだろうか。
「会えば分かると思いますが……およそ、聖職者らしくない人ですよ。第一印象は、ほぼ九割の人間が聖職者?と首を傾げたくなるような見た目です」
変な人なのだろうか。
怖い想像をしてしまい、ルティは眉を八の字にする。
イザークがくすりと笑った。
「どこからどう見ても、歴戦の軍人にしか見えない人なんです。実際、彼は聖騎師団の団長でもあります――聖騎師団はご存知で?」
「えっと。エンデニル教団の軍隊だよね」
かなり特殊な国家ではあるが、国なのだから、国防軍に類似する兵力は所有している。
あの国は全員が聖職者で構成されており、聖騎師団も、戦うお坊さん集団、ということだとか。
「ローヴァイン卿は元は貧しい平民の出。聖騎師団に入り、戦果を挙げて枢機卿の地位にまで昇り詰めた叩き上げの軍人なんです。だから、いまも聖職者と言うよりは武人にしか見えない風貌だそうですよ」
「帝国のゴリラと、どっちが強いの?」
ものすごく失礼なヒスイの物言いに、ルティも困ってしまう。イザークはその単語の意味を理解したみたいで、愉快げに笑っている。
「ゴリラ……我が国最強と呼ばれるラファエル・フォン・バックハウス伯爵のことですね。たしかに、彼も並外れてお強いですが」
イザークが言葉を切った。
「キャリアは彼の倍以上、おまけに化神持ちの紋章使いと言えば、どれぐらいの強さか想像できそうですか?」
「すごく強そう」
ヒスイが呟く。
ヒスイすら舌を巻くほど強い隊長の、倍のキャリアに、おまけに大紋章持ち。
……強くないわけがない。
「イザーク。カルタモの動向について、何か情報は入っていないか?」
新聞をめくりながら、ユーリが尋ねる。イザークはちょっと考え、情報を整理しているようだった。
「いまのところ、大きな動きはないようですね。王を失って混乱しているライス王国から、熱心に町を奪っているそうですよ――でも、それが一通りしたらうちを侵略してくるつもりじゃないかって、グランツローゼの人々もみんな心配しています。そのへん、お城の人たちはどう考えていらっしゃるんでしょうねえ」
ルティも黙り込み、考えた。
カルタモ公国――もちろん、覚えている。
巻き戻り前の世界で、ユリウス三世から離反したディートリヒはあの国に匿われ、カルタモ公主はディートリヒこそが正統なローゼンハイム皇帝という名目で帝国を非難した。
敗北の理由はルティも知らないけれど、最後は帝国が負け……ユーリは敗けて処刑されて……。
ユーリには跡継ぎがいない。ルティが血を引く実子であることは隠されていたし、他に兄弟はできなかった……はず。
とにかく、ユリウス三世に公式な子どもはいなかったんだから、ユーリがいなくなった後はディートリヒが後継者となって皇帝となった……んだっけ?
ルティも逃げるのに必死で、ユーリ亡き後の帝国がどうなったかは覚えていない……。
「カルタモの公主エルネスト殿は、なかなか油断ならない男と聞く。いずれ、戦になってしまうことは否定できないだろう。それだけに、シェルマン王国とは友好的な関係でいたいものだ」
「シェルマン……あの国も、割と最近王が替わっていましたね」
シェルマン王国――これもまた、帝国に隣接する国だ。
南東に位置し、近隣諸国の中ではいまは一番大きな国。ライスの土地を奪って領土拡大をしているのなら、そろそろカルタモ公国に抜かれてしまうかもしれないが。
帝国は大きいから、隣接国はたくさんある。国同士が隣にあれば、諍いは絶えないもの。
不必要に対立が大きくならないよう、友好的な対応をしている国もある。シェルマン王国は、一応ローゼンハイムに友好的な国だ。
「ですが、あの国はもともと先の王妃――いまは王太后ですか。彼女が実権を握っていたような状態ですから、王太子が跡を継いで王位に就いても、大きな変化はないはず」
「かの国の女帝も、いまは未熟な息子を一人前にするので精一杯。ローゼンハイムとの対立は避けたいことだろう。こちらもまた、油断はできないが」
新聞をパラパラめくり、ユーリが言った。
イザークが立ち上がり、終わったみたいですね、とナーシャたちのいる場所へ行ってしまう。似顔絵を描き終えたのだろう。
今度はインタビュー。ナーシャも大変だなぁ。
「……さすがに、ボクの結婚のことは嗅ぎ付けていないみたいだな」
周囲に聞こえぬようぽそりと、ユーリが呟く。
いつの間にか最後のひとつになったお菓子を頬張り、ヒスイがユーリを見上げた。
「ユーリ。ナーシャから聞いたけど、お嫁さんもらうって本当?」
「本当だ。シェルマン王国の内親王――いまの王の姉姫ヴィルヘルミーナ。彼女と結婚することになった」
「ふーん……女なのに、女と結婚ってできるの?」
「実性別がどうであれ、公式には男と言うことになっているからね、ボクは」
まだ公に発表になっていないが、ユーリは戴冠式と同時に、后を迎える。
ルティは、すでにそれを知らされていた。
そしてもちろん……ヴィルヘルミーナのことは知っていた。
巻き戻り前の世界でも、ユリウス三世の后となった女性。
心優しい、可憐な女性だった。
彼女は結婚から七年後に、姦通罪で逮捕され、処刑される。
……その不義密通の相手として、共に逮捕されたのがマティアス。
夫に仕えるべき后と、皇帝に仕えるべき忠臣の裏切りと死。
ユリウス三世の治世の崩壊を象徴する出来事。
でも、ルティは知っている。
彼女の死の責任は、自分にもあることを。
自分の幼稚な嫉妬と八つ当たりが、外国から嫁いできた后を孤立させ、破滅させた。
ヴィルヘルミーナのことだけは、間違いなくルティのせいだ。




