黙示録が始まる
兵の訓練場にもなっている中庭で、ルティはユーリが来るのを待っていた。
待っている間に、グライスナー参謀と先日、町であったことをお喋りする。
「コンラート様は、市井の情報を得るために、赤烏新聞社の人と仲良くしてたの?」
名前で呼んでいいと言ってくれたので、お言葉に甘えて参謀をファーストネームで呼んでいる。自分も呼び捨てで構わないのですが、と苦笑いされたのだが、それはちょっと躊躇われて。
……マティアスやナーシャのように、というのはさすがに。
「はい。情報というのは、できるだけ多く、様々な窓口を持っておくべきですから。あれで、イザークはなかなか有能な情報屋なんですよ」
「ふーん……」
なるべく真面目に相槌を打ったつもりだったが、興味のない本心が思いっきり声に出てしまった。参謀もそれを察し、くすくすと笑っている。
「マスメディアなんて嫌い」
「お気持ちはよく分かります」
笑われて、ちょっぴり不貞腐れながら、ルティはぷくうっと頬を膨らませた。
「我々は、追いかけ回される側の人間ですからね。私も好きではありません――ですが、だからこそ彼らを知ることに意義があるんです」
「コンラート様は大人なのね」
大嫌いな相手に自ら近付き、交流を持つ。ルティには、難しいことだ。
グライスナー参謀のよう割り切って、振舞うことができるようになるだろうか……。
お喋りをしている間に、ユーリが中庭へとやって来た。いつもよりずっと動きやすい、身軽な服装で。ディートリヒと一緒だ。
「待たせてすまない」
「いいえ――それでは、始めましょうか」
ルティと並んで座っていたベンチから、参謀が立ち上がる。
ユーリとディートリヒは距離を取って向かい合い、それぞれが手にした稽古用の武器を持って構えた。
今日は、ユーリとディートリヒが試合形式で剣の稽古をすることになっている。ユーリのほうが、わざわざ頼んだらしい。
大丈夫……だとは思うけど、どうしても心配で、ルティはこうして二人の試合を見学することにした。
ディートリヒは、こんなところでユーリに酷い目を遭わせたりしないはずだ。
どうしてユーリを裏切ったのかは知らないけれど、ライス王国との戦争が終わるまでは、ユーリの味方だったはず。
グライスナー参謀も立ち合っているのだし、この試合は、何も起きない。
そう信じつつも、ルティはハラハラと試合を見守った。
ユーリは女だが、皇子として武術の稽古も受けていた。たぶん、並の男相手ぐらいならそこそこ戦えると思う。
でも、持って生まれた男と女の力の差は絶対に埋まらない。
ディートリヒと互角以上に剣を撃ち合いながらも、先に息が上がったのはユーリのほう。
そこまで、と参謀が声をかけた時、ディートリヒも大きく息を吐いていたが、ユーリのほうが疲弊していた。
「驚いたな。思った以上に、おまえ、強かったんだな」
「だがやはり、女のボクでは勝つことは不可能だった。それは認めるしかない事実だ」
ユーリにしては珍しく、はっきりと敗北を口にする。普段と変わらぬ様子だが、わずかに、悔しさがにじみ出ているような気がした。
「気にしなくてもいいんじゃないか。そんな差を補って有り余る力を、おまえは持っているんだし」
ディートリヒが、笑って言った。
「セレスは確かに強いが、その力は無限に使えるわけではない。宿主のボクに、限界が存在するからね」
「陛下とレナート氏――ライスのフリッツァー。どちらが先に限界を迎えるか、根性比べということになるでしょうか」
グライスナー参謀が考え込む。そうなるだろう、とユーリが頷く。
「無論、ボクも負けるつもりはない……が、ナーシャが大きなカギを握るのは間違いない」
「彼の実力がいかほどのものか、拝見するのが楽しみです。陛下に贔屓されるのも当然と思えるだけのものであってほしいと、私も切実に望んでおりますよ」
多少の嫌味込みではあるが、グライスナー参謀はナーシャの実力に期待し、ユーリの采配が正しいものであることを祈っている。
……そうでないと、帝国は大きな痛手を負ってしまうことだろう。
ルティはベンチの上で、ぎゅっと手を握り締めた。
ローゼンハイムとライス王国のこの戦争は、帝国の勝利で終わる――運命通りならば。
ここまで、巻き戻り前とほとんど同じ運命を辿ってきた。だから……この戦争だけ、結果が大きく変わってしまうことなんてないよね?
ルティは一人、そのことを祈り続けるのだった。
「ところで、そのレナートはいつ城へ来るんだ?もう近衛騎士隊にとっくに配属されているんだろう?」
稽古の後のストレッチをしながら、ディートリヒが尋ねる。
「ドルトラウム城から引き上げ、こちらへ向かっているところだ。途中、ラヴェンデル尼僧院に立ち寄るから遅くなると、そう手紙に書いてあった」
ユーリは何気なく言ったが、尼僧院の名前を聞き、ディートリヒとグライスナー参謀が思わず意味深な沈黙をしてしまったことにルティは気付いた。
ラヴェンデル尼僧院。
そこには、ドロテア皇太后がいる――ユリウス二世の妻にして、ユーリの生母。
未亡人ドロテアとナーシャには、以前から良くない噂があった。
「このたび、近衛騎士隊に配属となり、ユリアーナ様に改めてお仕えすることになりました。これからはグランツローゼが拠点となりますので、こちらへお伺いする機会も減ってしまうことでしょう」
「……そう。寂しいけれど、仕方がないわね」
ナーシャの挨拶を受け、ドロテア皇太后は穏やかに微笑む。ナーシャを見る眼差しには、まぎれもない愛情が込められていた。
……こんなにも分かりやすい態度では、周囲が自分たちの関係を邪推するのも当然だ。
ナーシャは胸の内で密かに苦笑いし、二人のやり取りを傍観するヒスイは、小さくため息をついていた。
「身体に気を付けて。いままで以上に、危険な場所へ赴く機会も増えるのでしょう?あなたたちの強さは知っているけれど、無茶はしないようにね」
「はい。ユリアーナ様のためにも、必ずや勝利をつかんで参ります」
ユリアーナというのは、ドロテアの娘の名前だ。
こういった場で普段の愛称を呼ぶのは躊躇われたのと……ユリウスという名前は、ドロテア皇太后にとって禁句にも近いものだから。彼女と話す時は、ユリアーナという女性名でユーリのことを語るようにしている。
「……ライス王国と、戦争になるのでしたね――この尼僧院にいても、それぐらいの情報は入ってくるわ。あの国には、巨森の紋章を持つ戦士がいたはず」
ナーシャが頷く。
恐らく、自分がその戦争に参加する最大の理由だ。
化神持ちの武人と戦い、彼を討ち取るか、化神の足止めをすること。必ず、その期待に応えなくてはならない。出世のためではなく、ユーリのために。
自分がへまをすれば、それはユーリの評価に直結するし……何より、ユーリが命を落としてしまう危険もある。
ユーリを、必ず守り抜かなくては。
「父母の墓に挨拶をしてから、ここを発ちます。ドロテア様、次にお会いできる日まで、どうぞお元気で」
「ありがとう――抱きしめたいけれど、さすがにそれはダメね。名ばかりとは言え、私は一応尼僧なのだから。ノイエンドルフたちに、あなたを処刑する口実を与えるわけにはいかないわ」
宰相ノイエンドルフ。ナーシャたちのことを特別敵視しているわけではないが、理由が見つかるのであれば、始末したいと思っていることだろう。
ドロテア皇太后も、出自のよく分からない外国人の自分も、帝国にとっては面倒くさい人間だ。
……ナーシャにも、それぐらいの自覚はある。
「あなたの進む道の先に、幸あらんことを……」
祈りを捧げるドロテア皇太后に頭を下げ、ナーシャは墓地に出た。
いつものことだが……ドロテア皇太后は、ユーリのことを何も聞かなかった。ナーシャのほうから話題を振ってみても、彼女が娘について話すことはない。
美しい尼僧院の庭の片隅に、ひっそりと建てられた広い墓地。両親の墓の前で足を止め、ナーシャは静かに祈る。
普段は生意気で減らず口ばかりのヒスイも、さすがにここでは大人しい。
「……終わった?なら、さっさとユーリのところに行こうよ。僕、ここ、あんまり好きじゃない」
この尼僧院に来ることについて、ヒスイはあまり良い顔をしない。尼僧院が苦手というより、ドロテアが苦手なのだ。
正直、その気持ちはナーシャにも理解できた。
ここに来て、彼女に会うと、ものすごく気分が沈む。かと言って、会わないという選択肢もない。
ここへ来たら暗い顔ばかりするくせに、通うことを止めないナーシャのことを、ヒスイはもどかしく思っていることだろう。
早くユーリに会って、ぐずぐずと重苦しいこの空気を振り払ってしまいたい。
いつも太陽のように強く、暗闇も消し去ってしまう彼女の輝きが、ナーシャには必要だった。
ユリウス三世即位の年は、帝国歴三百年という、区切りの良い数字であった。
第十二代皇帝ルドルフの突然の崩御と共に、ユリウス三世の就任が伝えられ、人々は、そのような名の皇子がいたことを思い出した。
……中には、そんな皇子が存在したことを初めて知った者もいた。
ユリウス三世が最初に行ったことは、侵略してきた隣国ライスに対する防衛戦争。
ユリウス三世は、わずか十年という短い治世のほとんどを、敵との戦争に費やしたと言われている。
その敵が、もとはユリウス三世の下にいた人間たちばかりというのが、なんとも皮肉な話である。
「それでは、ノイエンドルフ、エルメンライヒ、城を任せる」
出陣の日。
宰相ノイエンドルフと自身の後見役を務めたマティアスに帝都を任せ、ユーリは帝国兵団を率いて西へと向かうことになった。
見送りには、もちろんルティも加わった。
「ルティ。寂しいだろうが、しばしの別れだ。必ず勝って帰ってくるよ」
「気を付けてね、お姉様……」
泣きそうになるのをぐっと堪え、ルティはユーリを抱きしめる。
これから先、自分は何度、こうして彼女を見送ることになるだろうか――巻き戻り前の世界でも、いつも、胸が潰れそうになる思いで見送った。泣きじゃくって、姉の出陣を嫌がったことも一度や二度ではなかった……。
「セレス。ユーリをしっかり守れよ」
「もちろんだ。君も、ルティは託したぞ」
化神同士、シャンフとセレスも挨拶を交わしている。セレスは当然、ユーリについて戦場だ。
シャンフは……帝都を守る絶対の力と考えれば、やはり城に残るしかない。ルティのことだけでなく、帝国にとって、ここには確実に守り抜かなくてはならない場所だ。
前線の憂いをなくすためにも、化神シャンフは城を離れられなかった。
「ご武運を」
いつもと変わらぬ表情で静かに頭を下げるマティアスに、ユーリが頷く。
帝国歴三百年――ユリウス三世が誕生して半年ほど。帝国軍は、西側の国境にて、隣国ライスと激突することとなった。




