第二十話 裏切
「どうしたんですかその怪我は!?」
自分に与えられた部屋を訪れたハルを見てモニカは驚く。彼の顔半分は痛々しくも赤く腫れ上がっていた。
「気にするな」
そんなハルは複雑そうに顔を歪めるもそれは傷によるものではないと思える。
「そんな事を言われましても……あの手当はちゃんとしたんですか?」
「してある。だからそう心配をするな」
心配をするモニカを安心させるようにハルは言う。彼女は納得の行かない表情をするものの、それ以上は追求しないようだ。それを見てからハルは部屋を見渡すようにしながら話しかける。
「なぁ……お前は本当にスパイじゃないんだよな?」
「ち、違います! もしかしてまだ疑っているんですか?」
「まぁな」
速答したハルの背を見ながらモニカは落ち込む。だが仕方ないことだろう。自分はどうせ敵国の聖女として祭られていた者なのだ。例え国の人間でないといった所で、信用などできる存在ではない。
「じゃあ質問を変えよう。ここに誰か来たか?」
「いいえ……今日はハルさんしか来ておりません」
「そうか。まぁ来ていたとしても教えるわけないよな。それにこれだけ警備をしているから会える訳ないか」
窓の辺りなどを調べていたハルはもういいかといった具合にモニカの方に振り返る。
「そういえば、お前の言った通りに雨が降ったな」
窓の向こうは黒い雲に覆われ雨が降っている。昨日のモニカが言った通りになったのだ。ハルは天気を言い当てたモニカを不思議そうに見るが、すぐに目を逸らす。
「……話はこれだけだ、邪魔して悪かったな。じゃあな」
「……あの」
「なんだ?」
そのまま出ていこうとしたハルをモニカは引き止めた。
「……ギルバートさんはどうされたんですか?」
それは彼の側に居るはずの存在が居ないことに気付いたからだ。ハルは忌々しく舌打ちをしながら答える。
「……あんな奴、知るかよ」
吐き捨てるようにハルは言うとそのまま出て行った。
(何かあったのでしょうか?)
一体あの二人に何があったというのか? 只ならぬ雰囲気であったハルが気になるモニカであった。
◆◆◆◆◆
午前中から降り注ぐ雨は絶えることなくこの地を濡らす。それを窓の近くでぼんやりとモニカは見ていた。捕虜である為に外に出られない彼女はすることがなくただ窓の外を眺めることしか出来ない。
(喋り相手でもいればよいのですが……カンナさんはどこかへ行ってしまいましたし……)
一人だけの客間らしい広い部屋でモニカは暇そうに外を眺める。
「……おいおい、その話本当か? あのギルバート副団長がそんなことをするなんて……」
どこからか話し声が聞こえてくる。その声は廊下からだ。気になる単語が聞こえて来たのでモニカは扉に近づくと耳を澄まして聴いてみる。
「ああ、なんでも殿下を殴り飛ばしたそうだぞ? 最近あの二人は仲が悪いと噂をされていたが……まさか本当の事とはな」
あの傷はギルが付けたものだと気づく。あのギルが主であるハルにそのような事をするとは思わなかった。
「ああ……副団長いつも愚痴ってたもんな……腰抜け王子とか分からず屋とかなんとか。とうとう我慢できなくて見切りをつけてしまったということか……。なぁ副団長はこれからどうなるんだ?」
「さぁな。今は牢屋の中らしいけど、殿下を殴ったんだ。いくら殿下と親友だったとはいえ、もしかしたら処刑かもな……」
遠ざかる足音と共に話し声も小さくなり聞こえなくなる。だが、聞こえて来た内容はモニカにとってとても衝撃を与えるものであった。
(ギ、ギルバートさんが処刑!? でも、ハルさんがそんな事するわけがないですよね。それにしても、どうしてギルバートさんはハルさんを殴ったりなんか……)
混乱しながらまた雨の降る外を見つめる。その先には――
「あれは――!?」
雨が降るその先、濡れた地面を歩く二人の人影。それは牢屋に居るはずのギルバートと、そして紫髪の青年がいたのであった……。
◆◆◆◆◆
時は少しばかり遡る。晴れていれば空の真上に太陽が登っていたであろう時間帯。しかし分厚い雲によって光が遮られ、さらに地下というこの空間は夜と見間違うほどに真っ暗だ。
冷たい石壁に背をついて座りながら、灰色の髪を持つ少年は小汚い天井を見つめる。少し身動きを取るたびに手を拘束する鎖の音が響き、少年を閉じ込める鉄格子がかがり火を反射する。
「ギルバート様」
そんな時、突然声が聞こえてくる。鉄格子を隔てた向こう側、そこには黒い衣装に身を纏わせた人物が一人。確か、かつて存在したシーハス王国で諜報活動や暗殺などの任を担っていたシノビという者達を思い起こさせる格好だ。
そしてそんな衣装を纏う者には見覚えがあった。それはかつて王国にて諜報活動をしていた者。帝国に帰還した時から、連絡が取れず王国に捕まったのものだと思っていた者。
「ユベール……いやシキだな」
牢の中から見上げるギルバートの前に、闇の中から音もなく進み出るようにして紫髪の青年――ユベールは現れた。
「……その名でなくユベールとお呼びください。私はすでに帝国側ではなく王国側の人間ですから」
「そうか……まさかお前がな……」
銀灰の瞳は残念そうにユベールを見る。しかしすぐに警戒の色を映す。
「それで、裏切り者が俺に何のようだ?」
「そう警戒をなさらないでください、ギルバート様。私は貴方様を助けに参りましたのですから。もちろん条件がございますが……」
「何……?」
ユベールの言葉に、ギルバートは驚くように彼を見る。だが、その瞳はユベールを期待するように見ていた。そんなギルバートにユベールは微笑みを向けながら静かに言葉を紡ぐ。
「先程、王国側についたと言いましたが私はまだ帝国の未来を案じています。それは他でもない帝国の民達の為に。今の帝国を取り仕切る皇族達は揃いも揃って無能な指導者ばかりだと思いませんか?」
ユベールの言葉にギルバートはゆっくりと頷く。その反応にニヤリとした笑みを隠さずにユベールはなおも続ける。
「私は国を裏切ったのではありません。国の為に裏切ったのです。……今の帝国に今の皇族は不要です。しかし新たな指導者には国の者に継いていただきたいと考えております」
「……なるほど。だが誰を継がせるんだ? 今の皇族を排したとして、国民が受け入れてくれるようなそんな存在が一体何処に居る?」
「それは私の目の前に」
ユベールは跪く。目の前のギルバートに敬意を払うように。
「貴方様はかの始まりの三国、レイゲン王国の王家の末裔。貴方様以外に我らが帝国を導いてくださる者は存在いたしません」
ユベールは跪いたまま、頭を垂れる。しばらく静かに時が流れるが、笑い声と共にその静寂は打ち破られた。
「……フッ……フハハハハッ! そうか、俺が王様か、――いいだろう。ちょうどあの王子にも見切りをつけた所だったんだ。……顔を上げろ、ユベール」
「で、では――」
「ああ、お前と共に革命をするのも――悪くないだろうな」
言い放ったギルバートは銀灰の瞳を輝かせて面白そうに笑っていた。
◆◆◆◆◆
ユベールの手を借りて牢屋を出たギルバートは彼と共に城を抜けだそうとこの雨の中を静かに駆け抜ける。
「しかしどうやって入ったんだ? 警備は厳重だろう?」
「いくら厳重とはいえ付け込む隙はありますよ。それにこちらに手を貸す者もおります」
「なるほどな……」
ギルバートが関心をしつつも、少しばかり苦々しい表情をする。そんなにこの砦の守りとはゆるいものであったのかと思ってしまうのだろう。そんな会話をしながらも、建物の影を利用しつつ動く。
「……さて、ここらでいいでしょうか」
突然立ち止まったユベールはちょうど建物の角にピッタリと背を付ける。数秒後こちらに近づく走る足音。
「やっぱり、付けれていたか」
小さな声でギルバートは言う。彼も先程から気になっていたのだ。だが尾行にしては気配が消しきれていない素人同然の者である。
そしてその者は角を曲がった。ちょうどその角で待ち構えていたユベールが現れた人物を拘束する。
「捕まえました……な!? どうして!?」
捕まえた人物の顔を見てユベールは驚く。同じくギルバートも驚いていた。彼らを追っていたのは亜麻色の髪と翡翠のような瞳を持った一人の少女。――モニカであった。
「ギ、ギルバートさん、これはどういう事ですか! どうしてユベールさんもここにいるというのですか!?」
「そ、それはこちらのセリフですよ聖女様! 行方不明になっていた貴女様がどうしてこんな所に!」
「黙れ二人共、見つかるだろうが」
ギルバートの声にハッとしたユベールは拘束したモニカの口を塞ぐ。逃げ出そうとしようとするモニカにギルバートは取り出した拳銃を突きつける。
「……一緒に来てもらおうか。暴れたりしたら殺すからな?」
銀灰の瞳に睨まれ拘束されたまま怯えるモニカは、ゆっくりと頷いた。