第十八話 誤解
ハルに用意された執務室兼寝室の部屋にノックが響き渡る。
「……ハーロルド様。モニカ様をお連れいたしました」
その声はとても聞き慣れた声だ。だが若干苛ついているようで、どこか刺々しい。
「入れ」
その声に眉を寄せるが、ハルも手慣れたもので一言そう言うと広げていた書面に目を戻す。
扉の開く音と共に予想通りしかめっ面をしたギルとその後ろに控えるようにモニカが入室してきた。
扉が閉まるとともにギルはハルの座る執務机に足早に歩み寄っていく。
「一体何のつもりだ? 捕虜に対して甘すぎるだろ」
ギルは怒りを隠すこと無くハルを怒鳴るが、そんなハルは書類に目を落としたままに答える。
「そうかもしれないが、見ていられなかったんだ。ほらこれを輸送を担当している部隊に持って行ってくれ」
「おい、俺の話を――」
「その話は後だ。いいから持って行け」
ハルは書類をギルに突きつけながら、静かに睨みつけていた。
そんなハルの様子に驚きながら、ギルは諦めたように言う。
「ああ、そうかい……分かったよ」
「それを届けてもしばらく戻ってくるなよ」
「はいはい――その女とでも楽しくやっていればいいさ」
乱暴に書類を受け取ったギルは、出て行く時モニカを睨みつけてから部屋から出ていった。
「……悪い、見苦しい所を見せてしまったな」
「いえ……」
書類に何かを書き留めるハルを見ながらモニカは答えるが、どこか落ち着かないように辺りを見渡していた。その視線が置かれた天蓋付きの豪奢なベッドに向いた所で声が聞こえて来る。
「それで……」
「は、はぃぃ!」
「……モニカ?」
悲鳴に近い驚き声で返事をするモニカを書類を書いていたペンを止めて不思議そうにハルは見る。そんなハルに見つめられてさらに挙動不審に慌てるモニカであった。
「あ、あ、あの、なんでしょうか!?」
「いや、体の具合はもう大丈夫なのかと……本当に大丈夫なのか?」
明らかに様子がおかしい。そんなモニカを訝しむようにハルは見ていた。
「だ、だ、だ、だいじょうぶ、大丈夫です!? いや、や、やっぱり大丈夫じゃありません!!」
「大丈夫じゃない? それなら呼び出さないほうが良かったな……あー辛いならそこのベッドを使っても――」
「いいいいええええ!! だ、だ、だ、だ、大丈夫ですからああああ!」
悲鳴のような大声で嫌だと言うように首を振る。そんなモニカを驚いた表情でハルは見る。二人の間にしばらく流れた沈黙も、外から聞こえて来た声に途切れる。
「殿下! 今の悲鳴は一体何でしょうか!?」
この部屋の入口を警備している兵士達の声であった。ハルは椅子から立ち上がると扉に向かって行くと、扉越しから彼らに話しかける。
「……心配いらん、大丈夫だ。それよりもしばらくこの部屋の扉から離れていろ」
「し、しかし!! それでは警備が……」
「離れろと言っただろう? さっさとしろ」
静かに響く彼の声は、モニカにとってとても恐ろしく聞こえた。扉から足音が遠ざかる音が聞こえて来て、兵士がハルの命令通り扉から離れたのだろう。
「はぁ……さてと、やっと静かに話が出来そうだな」
その一言に、モニカはびくりと体を震わせた。
「……あ、あの」
若草色のドレスを両手で握りしめながらモニカは俯く。
「……も、申し訳ございません……」
「なんで謝るんだ? それより本当に大丈夫か?」
「えっと……はい……」
そう答えた彼女の声はとても震えていた。その声に疑問を持つものの、ハルは話しかける。
「そうか。なら……」
そう言って一歩モニカに近づくと、彼女が後ずさった。
「……モニカ?」
その声に彼女は跳ね上がるように反応して顔を上げる。その顔は真っ赤で緑の瞳には今にも零れ落ちそうに涙を溜めていた。
「おい、どうしたんだ? お前本当に大丈夫なのか?」
「……こ、来ないでください!!」
心配で歩み寄ろうとしたハルにモニカは叫ぶように拒否の言葉を言うが慌てて口を抑える。そして逃げるように先程までハルが座っていた執務机の所に行くとその下に隠れた。
「モ、モニカ?」
そんな彼女の行動に唖然とするばかりであった。近づこうと足を動かすが、先程彼女に近づくなと言われてしまったがために動けない。
そんなハルは仕方なく、その場からモニカに話しかけた。
「……おーい、モニカ? とりあえず体はもう大丈夫なんだよな?」
そう聞くが彼女からの返事はない。どうしたものかとため息をついた所で、小さな涙声が聞こえて来た。
「ご、ごめんなさい……許してください……なんでも、はしませんけど……体以外ならなんでもしますから……」
「…………はぁ?」
モニカがなぜ謝るのか分からずに首をかしげる。というか今彼女はなんと言ったか?
「だって……私をここに呼んだのはそういうことなんじゃ……」
「よく分からんが、お前を呼んだのは元気になったかどうか聞きたかったのと、少し話がしたかっただけだ」
昼頃に目覚めた彼女のことはカンナを通して知っていた。病み上がりだから自分から会いに行こうかと思ったが仕事が忙しくて動けず、仕方なく少し仕事が一段落した所でギルに様子を見に行かせて、連れてこれそうなら連れて来いと命令したのだ。
ギルに仕事を預けて遠ざけたのも、表に居た兵士達を退かせて人払いしたのは、彼女と話をするためである。
「じゃ、じゃあ……違うんですか? いやでも……」
モニカは恐る恐るといった感じで机の下から頭を出してハルを見ていた。
「何が?」
「あの……私の事……利用していたんですよね?」
「……あーまぁそうだな……」
確かにモニカの事は利用していた。そう肯定すると、彼女は警戒を強めながらハルを見る。
「や、やっぱりそうなんですね!?」
「だ、だから何がだよ?」
未だに机から頭だけを出したままのモニカは、意を決したようにぎゅっと目を瞑りながら口を開いた。
「ハ、ハルさんはわ、私の、か、か、か、体を目当てにしていたという事なんですよね!?」
「…………………………………………は?」
モニカの絶叫の声が部屋に響き、長い、長い、沈黙を消費してやっとハルは言葉を出した。
「へ、体目当て? 体目当てって…………はああああ!?」
モニカの言っている意味と、今までの挙動不審な意味を理解したハルは顔を真っ赤にしながら否定するように首を横に振る。
「えっいやいやいやいや!? 俺そんなつもりは一切ないってば!!」
「じゃ、じゃあどうして私に近づいたんですか!? 利用しようとした理由はなんなんですか!?」
「そ、それは……」
そう聞かれ、口ごもる。しかし答えなければ彼女は誤解したままだ。ハルは片手で顔を隠すと落ち着かない心臓を落ち着かせるように長い息を吐く。
こちらの様子を机の下から不思議そうに覗き見るモニカを隠した手のひらの下から覗き見て、静かに動き出す。
「ッ!?」
こちらに向かって動き始めたハルに驚いて、モニカはまた机の下に身を隠す。そんな彼女には構わずに、一直線に向かう。
それは執務机の方ではなく、窓際に置かれた肘掛け椅子の方だ。その椅子に座れば、前にこの部屋の入口、右手にモニカが隠れている執務机が視界の端に映る。ハルはその椅子に座ったまま、執務机の方には向かずに話しかけた。
「……奇妙な話なんだがな、俺は知っていたよ。自分がこの先死ぬかもしれないって」
「えっ……」
いきなり話された内容に彼女の驚く声が横から聞こえてくる。ハルは前を見据えたまま、言葉を続けた。
「俺もさ、お前と同じで夢を見たんだ。内容はちょっと複雑で全部教えても信じられないと思うから話さないけどさ、確かなのは自分がこの先死ぬ夢を見たんだ」
ここが『乙女ゲーム』の世界だと言っても信じられないだろう。それ以前にそれはどういうものかという説明をしなければならない。この世界にはない技術で作られたものだからだ。
もしかしたら彼女も同じ『記憶』を持っているという可能性もあるが、とりあえず何も知らなくても分かる範囲で、彼女と同じく夢を見たということで話を進めていく。
「俺がこの夢を見たのは学園に来る前だ。つまりお前に出会う前。俺はその時からお前を、モニカを知っていた」
「……知っていた? どうしてですか?」
「それは、夢にお前が出てきたんだ」
「私が、ですか?」
隣から物音が聞こえてくる。多分執務机の下から出てきたのだろう。だが、極力隣に視線をやらないようにしながらハルは話し続ける。
「……俺がこの先、死なないためにはお前が必要だったんだ。だから俺は……お前に近づいた。死にたくないから、お前を利用しようと近づいていたんだよ」
ハルは静かに目線を手元にやる。そこには取り出した銀色の懐中時計があった。少し使い古された懐中時計は今も動き時を刻む。――だが、この時計の本当の持ち主はハルではない。
「死にたくないから、お前の代わりに俺が死ねと言うのかとか言ったけど何を言っているんだか……それは俺の方じゃないか。……悪かった、死にたくないからお前に嘘ついてさ、近づいて利用しようとして――」
続けようとした言葉は急に止まる。懐中時計を持った手に、手が重ねられたからだ。重ねられた手は自分の手よりも細く、痩せていて少し握っただけで折れてしまえそうだ。
顔を少し上げて隣を見る。そこにはこちらを安心させるように微笑みを浮かべたモニカが、膝立ちでこちらを見上げていた。
「……死にたくないと思うのは普通の事だと思います。だから、謝らなくていいです。それにあの時も言いましたが、私は嘘でも嬉しかったんですよ? 確かに、ちょっとだけ傷つきましたけど……」
彼女はハルの手に重ねた手を、今度はハルの頬へと持っていく。
「……ずっと苦しまれていたんですね、あの夢に」
こちらを見つめる深緑の瞳は、心配そうに、そして今まで気づかなくて申し訳無さそうにハルを映していた。
「苦しんではいな……いやそうとも言うか……振り回されていると言ったほうが正しいか……」
その瞳に見つめられるのがなんだか居心地が良いような悪いようなそんな感じで、目を泳がすように目線をズラす。そうしていると、顔の横を支えるように置かれていたモニカの手が離れていく、それが名残惜しいような気がしながら、もう一度モニカの方を見た。
「……ハルさんが死なない為には私が必要なんですよね? あの、私はどうすればいいんでしょうか?」
肘掛けの所に両手を乗せて、こちらを見上げるモニカをハルは見つめる。どうやら彼女はハルが死なない為に協力をしてくれるようだ。どうしてという前に、こちらを見る彼女の強い視線に釣られるように、思わず話を進めてしまう。
「……そう、だな。……『記憶』と、いや夢とは随分違う事になってしまったからなぁ……」
「そうなんですか? ……それじゃあその夢と同じ状態に出来る限り近づけてみればいいんじゃないですか?」
「それなら……」
彼女の提案に乗りつつも、やはりダメだろうなと考える。第一、『記憶』の『ゲーム』通りにしようとするならば、彼女に好きになってもらわなければならないのだが、そんな事は言えないし、やはり彼女を利用しているという事になってしまう。
「いや、いい。やっぱりお前の手助けは要らない」
「……ど、どうしてですか!? 私は……」
「今からじゃ遅いし無理なんだよ。それにお前を利用したくない。だから他の方法で行くから……」
「り、利用してください……私を利用していいですから」
立ち上がってこちらを見つめるモニカは必死だった。そんな彼女に驚きつつも、疑問を口にする。
「なんで……別にそこまでして俺を助けなくてもいいだろ?」
「目の前で死ぬかもしれない人が居るのに放っておける訳ないじゃないですか……。確かに、夢なんて、たかが夢だって思いますけど、万が一って思えてしまいます! だから私は力になりたいんです!」
こちらを真っ直ぐ見るモニカはとても強い意志を持っていた。
「先程も言ったように、利用していいですから! だから、試してみましょうよ! 元の状態に戻す所から! それで私はどうすればいいんですか!」
「え、えっと……」
勢い良くそう言ってこちらを見るモニカに気圧されて、ハルは思わず答えてしまう。
「……き、キスかな……?」
「えっ…………?」
『記憶』を巡らしたハルは、元の状態に近づけると言われて最初の場面が思いついた。その時、初めてのイベントだというのに、『記憶』通りにやらなかったからそれが一番最初に思いついたとも言える。しかし、この言葉だけでは勘違いされるものだろう。
「き、き、き、キスゥゥウゥゥウ!?」
案の定、ハルの焦って言った言葉足らずな言葉にモニカは顔を真っ赤にしてまた叫ぶのであった。




