侵入者
大学から数分歩いた駅で友人と別れた。
帰りの列車は今日も、ありえない数の人間を飲み込んでいた。最寄りから家までの道中は憲兵による巡回が止むことはなく、俺はいつも通り不快な権威主義者どもの手先を横目に帰宅した。これを毎日繰り返してどうやら1年経ったらしいことを、めくり忘れていたカレンダーとラジオ放送の日付の一致から確認した。「そんなに経つのか」と独り言とも言えないくらいの音量で呟きながら、テレビをつける。
「昨夜未明に総督府より発表がありました通り、一連の魔族パルチザン掃討作戦に伴う戒厳令の発令が〜」ニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げるのを眺めながら大学の課題を軽く終わらせる。そしてラジオから流れる音楽を聴き流しながら俺は通信機器を開き、友人のレイと課題をこなす。
「とりあえず進捗でも共有しとくか?」開口一番レイはそう言うと、『野蛮領国境地域における憲兵隊の動向と無線の傍受記録』と題された書類を転送してきた。当然いくつかの無人転送を介したのでかなり文字が掠れていて読みづらい。
「魔力無線も電力無線もしっかり抑えてるよ!」レイは自信満々といった様子だ。
「流石だな、レイ。それじゃあ俺も課題をそっちに送るよ。」
「ホルムの偽造書類がこの作戦の肝なんだ。頼むぜマイブラザー!」
今日のノリはいつも以上に面倒であるがとりあえず書類を転送する。
「ところでさーホルム、最近大学近くのカフェ、閉店してたじゃない?ほらあの正門の横断歩道渡ったところにある。」
偽造書類の束の端を揃えながら彼女は呟く。
「無駄話はやめてくれないか。前もそうやって集中してなかったせいで痕跡を消すのを忘れてただろ?」俺は少し強めに咎める。
「まあ聞いて。私たちの活動にも関係あることだよ。」
「…聞かせてくれ。」
「あそこのカフェ、あなたも知ってると思うけど全然客入ってなかったじゃない?」
「そうだな。」
「そうなのよ。私も最初はただ儲からずに潰れただけだと思ってたのよね。なんだけど、憲兵隊の無線傍受してる時に聞いちゃったのよね。」
彼女は少し間を空けて言う。
「あそこ、この辺一帯のパルチザンの総本部だったらしいのよ。あ、一応その無線傍受の記録が送ったやつの…確か300ページくらいだったかな?」
確認すると341ページに「旧野蛮領地域におけるパルチザンのアジトについて、D大学近くのロト・コーヒー地下の制圧を完了、パルチザンリーダーを憲兵隊本部へ移送する」という記述があった。書類を閉じた。驚きはしたが、それだけだった。はっきり言ってしまえば大したことのない情報だ。
「ふむ、だがこの無線が俺たちの活動にどう役立つってんだ?パルチザンと協力するにもすでに本部は壊滅してんだろ?それじゃあどうしようもないじゃないか。」
「私たちが大学で会えるよ!」
彼女は元気よく言った。俺はできる限り理路整然と彼女のこの短い発言に対して反論を行なった。
「あのな、俺もレイのことが好きだし誘えるなら一緒に飯を食いてえよ。だけどそれは俺たちの活動と関係性を隠すために控えるべきなんだ。あとついでに言っておくけどパルチザン組織が一つ潰れたくらいじゃ大学周辺の憲兵の巡回が薄くなることはない。故に警戒を怠るべきじゃないんだ。」
「ノリわりーな!久しぶりに飯こじきできると思ったんだけどねー」と彼女は軽薄に答える。
「こじきとかそういう単語は使うなよ。」
こんな調子で1時間程意味があるのかないのか判然としない会話を繰り返したのち彼女の空腹が限界を迎え、一人でご飯を食べに行ったことで今日の課題は終了することとなった。
「そんじゃ私は飯食ってくるから!お疲れ!」
通信が終了する。彼女に戒厳令下でこの時間に飲食店がやっているはずがないことを一言も言っていなかったが、まあ問題ないだろう。
とりあえずひと段落ついたので俺は立ち上がり唸りながら背筋を伸ばした。そしてそのままベランダへ向かいカーテンを開ける。外は雪が降っていた。あいつはこの雪の中で存在しない飲食店を探し続けるのかと思いながら俺は踵を返して窓から離れ階下へ降りる。帰宅時に電気を付けていなかったのか一階のリビングルームは仄暗く、冷気により階段は一段降りるたび鉄のように硬くなっていった。俺は壁に手をつき粘性の水の中をもがくように手探りで電気のスイッチを探す。パチッという小気味良い音。
そのままの足でキッチンへ向かい俺は昨日の残りのタマネギスープを火にかけ、少し大きめのマグカップを用意して席に腰掛けた。そして目を閉じて何も考えず環境音に身を任せる。時計の針が進む音と微かに聞こえる電灯の音が聞こえる。心臓と呼吸の音は混ざり合って蒸発しているかのようだ。俺はよくこうやって静寂に耳を傾けることがある。こうすると真っ暗で、時間の止まった世界の中でただ一人存在している自分に触れることができ心地よいからだ。スープの煮える音がしてきたころ、2階か3階(あるいは天井かもしれない)から足音が聞こえたような気がした。非常に軽やかだが決してねずみなどではない、人間が足音を消そうとして出す音である。普段であれば絶対に気が付かない程消音された足音であったが、思考と聴覚が洗練されていた今の俺がこの音を聞き漏らすことはなかった。俺は静かに立ち上がり箪笥の裏から銃を取り出しゆっくりと階段へ向かう。そして俺はゆっくりと熱を放つ段差を上り始めた。心臓は階段を一段上がるたび高鳴り、心なしか呼吸も荒くなる。そしておおよそ9段上り終えゆっくりと周囲を見渡す。俺は一目散にテーブルの書類へ向かう。
(くそっ!迂闊だった!見られてるじゃねえか!)
テーブルの書類は何ページか捲られていた。“本はそのままにしておいても良い。泥棒は本を読まない”とはなんだったのか、俺は焦りながらその恐らくまだ家にいる空き巣を射殺しようと探し回る。幸い相手は空き巣だ、殺してしまっても正当防衛が成り立つ。書類についてもどこかに丸ごと転送してしまえば良い。そんなことを考えていると3階から誰かが降りてくる音がする。(来るなら来い!撃ち殺してやる!)と心の中で叫びながら銃を構える。すると階段から降りてくる足音はあと一歩で体が見えるであろう位置で止まり、こう言った。
「私と取引しない?」
若い女の声だった。俺は返答する。
「空き巣に交渉権があると思うな。ここで撃ち殺してしまっても司法は何も言うまい。」
女は毅然と答えた。
「今の言葉は脅迫じゃないわ。歴とした取引よ。お互いに利点がある。」
女は返答を待たず続ける。
「私、魔族なの。」
女は一歩進み隔たりを超え姿を現した。
古くからこの国には魔族伝承なるものがあることを大学の講義で学んだ。その中でも女魔族の話は大抵、美しい容姿で人間の男を誘惑し破滅させる。
なるほど、確かに美しい。しっかりと通った鼻筋、珍しい衣裳の髪飾りでまとめられた透き通るような黒い髪、そして何より全てを吸い込むような深い青色の瞳。しかしこのような美貌もこの異様な状況下では意味をなさない。
俺は銃口を少女の2本の小さな黒い角の生えた頭へ向ける。
「待って。撃つなら話を聞いてからでも遅くはないでしょう?」
俺は少し息を吐いて落ち着きながら返答する。
「わかった。話は聞こう。魔族ならば逃してもそう簡単に垂れ込むことなどないだろうしな。」
彼女は続けた。
「私からの要求はただ一つ、ここに住まわせて欲しいの。」
彼女の要求はある意味で予想通りだった。今のこの地域の魔族はいわゆる“掃討作戦”によって強制的に収容所行きだ。
「その代わりにお前は何を差し出すんだ?俺は可哀想な魔族への同情心だけで部屋を貸すほど甘くは無いぞ?」
女は答えた。
「私はあなたとパルチザンのパイプになるわ。」




