第9話 どうして
その後も、桐生さんはめげることなく私に接触を試みてきた。
どれだけ拒絶の意思や態度を示しても、まったくへこたれない。
廊下ですれ違うたびに、会釈や一言を欠かさず距離の取り方も変わらない。
その様子にある意味すごいなあと感心してしまう。
イケメンって、こういうところタフだったりするのかな。
んー……よくわからない。
これは、いったいどう捉えればいいんだろう。ほんとうに本気なの?
彼が、私に……?
信じられないと何度も思った。
けれど同時に、淡い期待が胸の奥に芽生えてしまうのも否定できなかった。
私だって乙女だ。モテたこともないし、男性と付き合ったこともないけれど、
それでも人並みに恋愛というものに憧れたことくらいはある。
あんな男性から言い寄られて、冷静でいられるわけがない。
それに、彼はとても優しくていい人だった。
まだそんなに知っているわけではないけど、最近は話す機会が多い。
書類を渡すとき、短い雑談を交わすときにふと近づく距離。その小さな触れ合いの積み重ねで、自然とそう感じるようになっていた。
仕事ができて見た目もいいのに、それをひけらかしたり偉ぶったりしない。
そして、私がいちばん惹かれたのは、その明るく前向きな性格だった。
私とは違う。
人は時に自分にないものに惹かれる。
そんな話を聞いたことがあるけれど、あれは本当なのかもしれない。
まあ自分と同じものに惹かれることもあるけど。今回は違ったようだ。
いつの間にか彼を目で追ってしまう。視線が合うと逸らしてしまうのに、胸は高鳴る。
彼がふわりと笑うたび、ときめきが走って目が離せなくなる。
やばい。これが恋ってやつなのかな。
わからない。いや、ちがう。
これは、あの積極的な態度や甘い言葉のせい。
そうよ、絶対。
そう思い込もうとしていた。
* * *
そして、なぜか私は女性社員に取り囲まれていた。
廊下の一角。人通りも少なく、ちょうど死角になっている場所だ。
三人から放たれる威圧感。鋭い視線がいっせいに突き刺さる。
こ、こわい。なんでこんなことに。
少し前、昼食を取るために席を立ったときのこと。
彼女たちに声をかけられた。
私は……ちょっとだけ浮かれていた。もしかしてお昼に誘われたのかと思ったから。
でも、現実はこれだった。
――やっぱり期待はしない方がいい。
「ねえ、聞いてるの?」
棘のある声が耳を突く。
長い髪を払いながら強気に言い放つ彼女に、恐る恐る視線を向けた。
すっごい睨まれてるんですけど。
「最近、桐生さんと仲いいよね?」
もうひとりの女性がずいっと距離を詰めてくる。
ショートカットの、これまた目つきの鋭いお姉さまだ。
「どういう関係?
まさか、付き合ってるとかじゃないよね?」
壁際に追い詰められた私のすぐ横を、バンッと叩きつけられる。
その音に肩がビクッと跳ねた。
もうひとり。
鬼のような形相で、私に迫ってくる女性。
この人は知っている。うちの部署の鈴木さんだ。
ほかの二人は知らないけど、確か鈴木さんはあの合コンにもいた。
視線を外せずにいると、ぎろりと睨み返された。
「答えなさいよ!」
こ、こわいよぉ。なんでこんな目にあわないといけないの。
やっぱりイケメンと関わるとろくなことがない。というか、男性と関わるとかな。もう、どっちでもいいけど。
ひとまず、ここを乗り切らないと。
「あ、あの。何か、勘違いしてませんか?」
「あ?」
鈴木さんがぐっと迫ってくる。
その圧に押されながら、必死に声を絞り出した。
「桐生さんとは、そんな関係じゃありません。付き合ってもいないし、何もありません」
「ほんとう?
なら、なんで最近よく話してるのよ。桐生さんと一緒にいるでしょ?」
「そ、それはっ……よくわかりません。あれは、桐生さんが……」
その先は口をつぐんだ。
桐生さんから寄ってくるなんて言えば、火に油を注ぐ。でも、それが事実だった。
私は嘘をつくのが得意じゃない。
「彼が、なんだって?」
鈴木さんが掴みかかろうとした、その瞬間。
「あーーー!」
大きな声が響いた。
みんないっせいに振り返る。
彼女たちが壁になっていて、私からは様子が見えない。
「なによ?」
鈴木さんが問いかけると、向こうから声が返ってきた。
「さっき、鈴木さんのこと、桐生さんが探してましたよ」
「え! マジでっ」
鈴木さんがとたんに慌てる。その頬が、ほんのり赤く染まった。
「やだ、どうしよう」
「はやく行こうよ」
「やったじゃん!」
はしゃぐ鈴木さんを、ほかの二人がはやし立てる。
きゃっきゃとはしゃぎながら、彼女たちは走り去っていった。
その背中を見送ってから、ふと前を見る。
ひとりの男性が立っていた。
一瞬だけ目が合い、それからすぐに彼もその場を離れてしまう。
「え……」
私はただひとり、その場で呆然と立ち尽くした。
いったい、何だったの?
あの男性は……知らない人だった。会社の人だよね? まあ、部署が違えば顔なんてわからないか。
「ふぅー」
大きく息を吐く。
それにしても、助かった。
胸を撫で下ろしながら、心の中でそっと彼に感謝した。
誰かわからないけど、ありがとう。
縁があればまた会うこともあるだろう。そのときは、お礼が言えたらいいな。




