4 病
二月に入っても諸葛瑾は石経への日参を続けていた。
さすがに申し訳ないので車での送迎は断わり、劉表の第宅から歩いて太學へ向かう様にしている。若い諸葛瑾にとっては大した距離ではないし、なにより洛陽の街を見聞するという楽しみもあった。
洛陽の街は巨大で、珍奇で、どこもが刺激に満ちていた。中でも大きな市を覗くのが諸葛瑾の毎日の楽しみであった。
ただ、市場の入口は屍臭に満ちていて、これだけはなかなか慣れる事ができない。棄市……ここには処刑された罪人が晒されているからだ。
故郷の陽都の市場でも罪人が処刑され、晒される事はないではない。だが
(都は規模が違う……)
ここに晒されているのは洛陽近辺の盗人や殺人者だけではない。わざわざ地方から檻車で運ばれてここで処刑される者もいるのだ。さらにはその三族まで。
腐り、崩れたものを繋ぎ直してまで晒され続けている死体を見ると
(士太夫は罪が定まる前に自殺する、というのも無理は無い)
そう思うのだ。
***
下軍校尉の鮑鴻は手の平の中で鈍く輝く金色の屑を眺め、ため息をついた。
(何故だ……)
鮑鴻は昨年十一月、西園八校尉からの初の実戦として、西園軍を率いて豫州汝南を荒らす葛陂黄巾を制圧する為に出撃した。人生でもっとも晴れがましい瞬間だった。
急造の西園軍の錬度は精鋭には程遠かったが、烏合の衆という点では黄巾も変わりは無かった。豫州牧の黄琬が動員した兵と合流し、葛陂黄巾を一掃した。そこまでは良かった。
だが、凱旋しようとする鮑鴻を待っていたのは黄琬の用意した檻車であった。
罪状は現地徴発で得た資金の横領である。
「たった一千万銭のはした金だぞ?遠征軍の将ならば誰でもやっている事ではないか!」
そう言って鮑鴻は自分の権利を侵害された事に反発こそすれ、反省の気持ちなど持ち合わせていなかった。だが豫州に居る限り、豫州牧の監察権に逆らう事はできない。
檻車で洛陽入り、という屈辱を味わった鮑鴻は洛陽獄に入るやいなや獄吏を買収した。実家から宦官に渡りをつけて帝に執り成してもらうのである。財産を相当失う事になるかもしれないが、罪には問われないだろう。そう思っていた。
三日が過ぎた。宦官からの返事はなかった。おかしいなと思い始めた。
五日が過ぎ、十日が過ぎた。やはり返事はなかった。家から獄吏への付け届けのおかげで「尋問」は免れたが、ただただ、無為に時間だけが過ぎて行った。
もうすぐ一月が経とう、というところで馬日磾から使いが来た。
「明日にも刑が確定する。その前にこれを」
その伝言と共に袋が渡された。中身は金の削り屑……つまり毒である。
宦官達がまったく執り成してくれなかった事を知った鮑鴻は、失意の中でそれを飲み下した。
***
張讓らは別段鮑鴻の頼みを聞かなかったわけではない。報酬が折り合わなかったわけでもない。宦官の武器は帝への阿りと讒言である。だがそれは帝のお側にあればこそ、である。そう、張讓らはこの一月、帝のお側に居なかったのである。
「帝のご病状は?」
趙忠の質問に張讓は首を横に振った。
「買収が効かぬ。結束の堅いことだ」
今、後宮では二つの勢力が対立している。
一つは帝の長男である史侯を立太子しようという何皇后と大将軍何進、そして張讓ら宦官達。
もう一つは帝の次男である董侯を擁立しようとする皇帝の母董皇后と、その側近である蹇碩を筆頭とした宦官達である。
一月あまり前の事。帝は嘉徳殿に住まう母御、董皇后の所に伺候した。そして、それきり戻って来なくなった。董皇后の宦官から帝はしばらく嘉徳殿に滞在なさる、との連絡があった。だが、それだけである。
張讓らは帝が病気で倒れられたのではないか。そう推察している。だが実態がつかめない。
後宮の宦官の大部分は大長秋の趙忠を頂点に結束していたが、ただ、嘉徳殿に属する宦官は蹇碩を長と仰いでおり、張讓らの手もここには届かなかったのだ。
「これは最悪の状況を考えないとだねぇ」
「我々の手に負える事ではない。皇后陛下におすがりし、大将軍共に対策させるがよかろう」
「そうだね。史侯が即位しないと困るのは大将軍も、だものねぇ」
***
皇帝が嘉徳殿に滞在なさる、という話は、はじめは朝廷では特に問題にならなかった。
今上はどちらかというと百官が整列する朝会に臨席なされることをお好みになられるが、帝が園庭の台や後宮の奥で過ごしながら、尚書や宦官の伝言で朝議に出ずに政務を執られる事など普通のことだからだ。
長秋宮にいる妹から帝のご病気の可能性を告げられた何進は疑心暗鬼だった。
洛陽の西園平楽観で大軍を率い、無上将軍を宣言されてからまだ半年も経っていない。正月の元会でもお元気だったし、御歳三十四歳の若い帝である。病気などと言われてもピンと来ない。
「大長秋が言うにはこの一月、後宮から女が派遣されていないとの事」
嘉徳殿に、帝の目に適う美人貴人はいない筈。帝が女性を遠ざけるのは確かに異常事態である。
「いや、しかし政務は普通に行なわれておいでだぞ?」
確か先日も、董卓の人事に対する二回目の詔を馬日磾が上表し、嘉徳殿の帝から許可を得た筈である。
嘉徳殿にずっと居られる、というだけでそこまで考えるのはどうか。
「書奏に『制曰可』を書き込むだけであれば馬鹿にでもできますな」
そう言ったのは荀攸、字は公達である。
袁紹が捜して来た有望な士太夫の一人である。
謹厳な荀氏の一族にありながらどこか飄々としていて、むしろ軽薄といっていい男である。だがその知謀には評判があり、なにより宦官絶滅策に関し賛同してくれている貴重な味方である。
「ま、最悪の状況には備えるべきでしょうな」
「最悪、とは何だね?」
何進が尋ねると荀攸はあご下の不精髭をボリボリと掻きながらボソリと言った。
「そりゃあ帝の崩御ですよ」
「崩御?!」
一同がざわついた。不敬にも程がある。
「帝はご壮健でおいでだぞ」
何進の脳裏には西園で自ら驢馬四頭立ての車を疾走させていた今上が浮かんでいた。とても病に伏せるような方ではおわさぬ。
「宦官の入れた毒を防げる帝はいませんよ」
「畏れ多くも「権力と銭に目が眩んだら息子だって殺せますよ」
何進の反論を荀攸は無礼にも遮って続けた。
今上が崩御した後も董皇后が権力を持ち続けるには董侯を帝にし、自分が後見して執政する他はない。だがもし帝が史侯を正式に立太子するとお決めになったら?
「董侯を後継に立てよという遺詔が出ますな。帝が嘉徳殿に居る以上ね」
「あ」
その言でようやく袁紹にも理解が出来た。
帝が遺詔なさるとしても、嘉徳殿には蹇碩とその部下しかいない。捏造の証拠は残らないのである。
帝が誰を跡継ぎにすると遺詔しても結果は同じになる。
「どうすればいい?」
そこが判ったらしい。何進がおびえた目で聞いた。荀攸は笑って答えた。
「大丈夫ですとも。要は史侯を先に即位させる事です。即位の礼を開くには史侯と新たに皇太后となった何后、そして宝剣に百官の参列。これだけ準備できればいい」
荀攸は天の方を、ここからは見えぬ日の光を指差して言った。
「次の日食までが勝負ですな」
日食の時、天子は素服を纏い天と向かい合う儀式をする必要がある。帝が病に倒れた、という発表があるとすればその儀式に出られなくなった時だろう。
そう言いながら荀攸は笑っていた。ひどく楽しそうだった。




