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俺解釈三国志  作者: じる
十一話 崩御(中平六年/189)
169/173

2 軍閥

「やはり、か」


 太尉の馬日磾は竹簡を読み終えると天を仰ぎ嘆息した。


 右扶風に駐屯している前将軍の董卓を少府へ除する。その詔に対する返書が届いたのである。


「涼州の擾乱、鯨鯢あくにん未だ滅びず、此にわたし效命いのちをささげるときと奮いたっております。吏士は踊躍して臣の車を遮り、恩に報いようと心から願って来るので洛陽への路に付くことができないでおります。とりあえず前将軍の事をかりとして心を尽くし部下を慰め、陣にて力を振るわせていただきたく」


 つまり、部下が止めるので転任できません、もう前将軍の後任は任命されたでしょうから、前将軍の待遇でこのままにしておいてください、という虫のいい内容である。


(抗命か……抗命だよな?これは)


 北宮伯玉の乱の際、軍の壊滅した太尉張溫を無視し、董卓は勝手に右扶風に駐屯した。それに続く二回目の抗命である。


 いまや董卓が遠征軍の費用を使って軍の私物化を進めているのは誰の目にも明らかだった。このまま放置すれば地方で軍閥化し反乱を起こすのではないか。これがここ数年の朝廷での懸念である。


 その対策として馬日磾が打ち出したのが、董卓の少府への昇進である。


 少府は九卿の一つである。洛陽宮中で様々な事を司る職務ではあるが、その配下の多くは皇帝直属で実質的な権限は小さい。三公に次ぐ九卿なのだから栄誉は申し分ない。武より文を尊ぶ士太夫の感覚では、前将軍から少府になる、というのは大いに栄転である。洛陽で名目だけの議郎の実績しかない董卓にとっては有り得ない程の厚遇と言えよう。


 この洛陽在勤職には兵は不要である。なので、洛陽に戻るに当たり兵は皇甫嵩に預けること。この条件が付いていた。それが拒否されたのである。


 つまり馬日磾は董卓を栄転の形で平和裏に武装解除しようとし……見事失敗に終わったのである。


 これまで馬日磾は董卓征伐、という事態を避けようと配慮してきた。


 皇甫嵩の援軍を董卓と同数にしたのもそうである。もし皇甫嵩の軍が少なければ董卓は皇甫嵩を殺し、軍を奪うかもしれない。逆に皇甫嵩の軍が多ければ危機感に駆られた董卓が韓遂らと結び、反乱を起こすかもしれない。そうしないための同数の援軍であった。


 だが、二回目の抗命ともなれば看過していいものか……。


「なんらかの処罰が必要となる、か」


 討伐軍の出動も視野におくべきか。馬日磾はようやくその覚悟を固めた。


***


「董卓を罰させてはいけません!」


 馬日磾による、董卓への処罰に対する建議。袁紹はそれに強く反応した。


「何故だね?」


 何進には政治はいまだに判らない事だらけだが、ずっと朝議には臨席してきているので判ることだってある。どう考えても董卓は辺境で反乱を起こそうとしている不穏分子である。


「奴は宦官を恐れないからです」


 袁紹は何進に取り入るにあたって、漢家の外戚には身の危険がある、と実例を上げ脅した。


 章帝の皇后である竇太后は実子でない和帝に権力を与えずに外戚が君臨した。和帝は宦官の力を借りて外戚竇一族を打破し権力を取り戻した。

和帝の皇后である鄧太后は和帝の実子を廃し、養子の安帝を立てて自らが君臨した。鄧太后の崩御後、安帝は外戚の鄧一族を粛正した。

 安帝の皇后である閻太后は実子でない皇太子を廃させた。皇太子は宦官の力を借り順帝として践祚、閻一族を打破し権力を取り戻した。

 順帝の皇后、梁太后は兄梁冀の跋扈を許した。結果梁冀は沖質桓の三代に渡り君臨した。桓帝は宦官の力を借り、梁冀を自殺させ権力を取り戻した。

 桓帝の皇后、竇太后の父の竇武は今上を即位させた。竇武は宦官を排斥しようとし、逆に自殺に追い込まれた。


 権力に酔った皇太后は皇太子や新帝に権力を与えないようにする。そして皇太子や新帝の身内である外戚は皇太后と敵対し、粛正されるのだ。逆に外戚の勢いが盛んな場合、蔑ろにされた帝は宦官を味方付け、外戚を倒す。これが漢家の歴史である。


 今、何進は妹を皇后につけ外戚として盤石であるように見える。だが帝と皇后の長子である史侯は未だ立太子されておられない。帝は史侯と、母董皇后が養育している弟の董侯とを天秤に掛けておられる。


 もし、董侯が立太子されてしまったら?


 何皇后は廃され何進の一族は粛正されるだろう。


 董皇后との後継争いを勝ち取り、史侯を帝位につける。そして外戚の邪魔になる宦官は必ず誅滅すべきである。


 それが袁紹の説得であった。


「宦官殲滅にあたり彼とその兵は役に立つでしょう」


洛陽宿直の五営を味方につけた大将軍の竇武ですら滅ぼされたのである。洛陽の兵は宦官を恐れていて役に立たない。宦官を恐れぬ兵を外から引き入れる。これが袁紹の計略であった。


 何進の顔に怯えがあった。所詮何進は宦官との癒着で出世した男なのだ。宦官との対立すべき、という献策に心の底までは納得していないのであろう。


(ここに孟徳が居てくれたらな)


 自分一人が力説しただけではどうにも説得に厚みがないのである。曹操が居たら陰に陽に自分を助けてくれてもっと説得力が上がったに違いないのだ。


 だが曹操はどういうわけかこの計略に否定的で何進の大将軍府には参上してこない。


 なので同席している劉表に頼りたいのだが、心ここにあらずといった表情で座っているだけ。党錮の際に救ってやったのだから、宦官への憎しみをつのらせるとかあってもいいだろうに、意見の一つも述べたことがない。無能で家柄だけの士太夫、袁紹はそう結論している。

 蓋勲と劉虞の穴を埋めつつ何進の補佐を行なう。袁紹はその難儀にうめく思いだった。


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