表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺解釈三国志  作者: じる
十一話 崩御(中平六年/189)
168/173

1 交換(中平五年/188)


「すまないが兄上……。もう一度聞かせてもらえないか?意味が……言ってることが本当にわからなかったんだ」


 兄である諸葛珪しょかつけいの申し出に、諸葛玄は耳を疑わざるを得なかった。兄は頭がおかしくなったのでは?そうも思った。だがその兄はぶっきらぼうに同じ用件を繰り返した。


「お前の息子を譲れ、そう言ったんだが?」

「そんな事したらうちはいったい誰が嗣ぐんだ?」


 確かに諸葛玄には八つになる長男がいる。だが諸葛玄の妻は女腹で、ようやく産まれた長男なのだ。今妊娠している妻から今度は次男が産まれるかもしれないが、そういう問題ではない。それに。


「それに兄上には立派なご長男がいるじゃないか!」


 兄、諸葛珪には十五になる長男がいる。なのに一人息子を寄こせとは。


「あれは駄目だ。あれでは出世は望めん」


 諸葛玄はまたも耳を疑った。立派な甥である。自分が男子を得るまで、兄が羨ましいと思っていた。だがその兄は首を横に振って続けた。


「あのツラがいかん。間の抜けた……そう、死んだ驢馬みたいな顔だ。背も伸び止まった。出世できるナリではない」

「兄上、いくらなんでも言いすぎだ」

「言いすぎではないぞ。顔と身長は重要なのだ。お前はそういう地位に到っていないからわからんのだ」


 確かに容姿が出世に影響することは否定できない。実際上に行くに従って容姿の整った人が増えて行く。だが自分の様な木端には関係ない話だし、兄だってその域にはいない筈だ。

 諸葛玄はそれで気付いた。


「もしかして、兄上は……うちからまた高官を出したいのかい?」


 諸葛氏は琅邪のぱっとしない一族だが、一度だけ高官を出したことがある。諸葛豐しょかつほうといい、司隷校尉に登った。バリバリの法家で、取締りをしすぎて「ながらくお会いしませんでしたが諸葛にでも遭いましたか?」が都の挨拶になった程である。当然失脚したが、それも都が長安の時代、二百年は昔の話である。


「お前の息子は顔立ちはまぁ整っているし、八つにしちゃ身長たっぱがある。まだまだこれからも伸びるだろう。諸葛の宗家から三公を出すのにふさわしい。替わりにうちの子をくれてやる。安心しろ」


 諸葛玄はため息をついた。こうなったら兄が弟の言うことを聞く筈が無いことを知悉していたからだ。


「……兄上、話は判ったがお願いがある」

「なんだ?」

「養子に出すとしても、死に別れたわけじゃないんだ。うちの子が元服する時、名と字だけはせめて私に付けさしてほしい」

「なるほど、それも道理だ。互いにそうしよう」


***


 老成している。よくそう言われる。落ち着きがあり、冷静沈着で、子供にしては肝が座っている。そう言われたこともある。


 ──馬鹿馬鹿しい。子供らしくはしゃいでいたら父に嫌な顔をされたから、嫌がられない態度を学習しただけのことだ。


 何かに乗り上げたのだろう、ガタン、と荷車が揺れた。


 ふう。


 諸葛瑾しょかつきんはそれに合わせて小さなため息をついた。自分のため息が聞かれたら、隣にいる義父が気が使ってしまうだろうからである。


 ……実際、自分は容姿で損ばかりしてきた、と思う。


 面白い顔ならそれはそれで生き方があるだろうが、どちらかというと間の抜けたご面相である。髭でも生えてくれれば少しはマシになるかもしれないが、残念なことにまだうっすらとしか生えてくれていない。

 

 また、車が揺れた。


 今、諸葛瑾は義父と共に洛陽への車上にある。


 義父はまたも上洛する上計吏の付添いである。今回の上計吏も有力者の子息で、慣例として郎に取り立てられに行く。だがその若者は郎に取り立てられた、という肩書が欲しいだけなので、機を見て病と称し官を辞する予定とのこと。義父は数ヵ月間、上計の面倒を見つつ洛陽に滞在し、帰路も護衛しながら琅邪へ戻る事になっている。


 そして自分がここに居るのは洛陽へ遊学する為である。むろん義父のはからいによるものだ。つまり便乗である。各地の亭をおおっぴらに使える機会を逃すのは確かにもったいない。なにより養子に来たばかりで養父と数ヵ月離れるのは得策とは思えなかった。たぶん、義父もその気持ちなのだと思う。


 遊学、というからには洛陽では誰か学者につかえ、門徒として学びたいという気持ちはある。その為に元服もしてきた。実父が付けてくれた名はきん、字は子瑜しゆである。


(どういうつもりなんだろう?)


 こればかりは諸葛瑾にも理解不能だった。


 「瑾」と「瑜」はそれぞれでも美玉を指す言葉だが、「瑾瑜」と対にして美しい玉を表す言葉である。正直、厭味なのかとも思った。実際元服に付き添ってくれた義父も妙な顔をしていたが、実父はいかにも真面目な顔で自分に命名していた。だが──認めたくはないが──驢馬めいた顔の自分に瑾瑜は名前負けが激しすぎる。


(もっとしゅっとした美男子に付ける名だと思うんだけどな)


 思慮深そうに見えるよう、精いっぱい作った表情の影で、諸葛瑾はそんな無駄な思索に耽っていた。


***


 車はゆっくりと洛陽の城壁に近付く。


 城壁を見て洛陽に入るのももうすぐだろう、と思っていた諸葛瑾は、その城壁が思ったより遠くにあることに気付き、戦慄する。


(高い!)


 洛陽外周をぐるりと囲む版築の土壁。その高さに諸葛瑾は圧倒され、口を半開きにして上を見上げ続けた。


 無言になった諸葛瑾に気付いた諸葛玄が笑顔を作り話かける。


「子瑜くん、長旅疲れたろう」

「はい……父上こそ」


 諸葛瑾も笑顔で返す。奪われた父と捨てられた子である。琅邪からの長い旅を共に過ごしてなお、わだかまりも、ぎこち無さも残っている。だがそれは時間が解決してくれるはず。諸葛瑾はそう思っている。


 壮大な城壁には壮大な城門が穿たれる。車はゆっくりと大きな門を抜ける。上を向いて口を開けたままの諸葛瑾を乗せて。


 ゆっくり車が進むのは別段諸葛瑾への配慮ではない。人が多く、渋滞していてそうそうは進めないのである。なにしろ人が多い。河南尹の人口は百万を超えるが、これは琅邪の倍ほどでしかない。だが河南尹内での洛陽への人口の集中具合が違う。ここに本籍を持たない人々の集まり具合も違う。諸葛瑾はこんなにたくさんの人を見るのははじめてだった。


***


「これはこれは!高貴なる乗客殿ではないですか」

「いやいや我が禦者殿もご健勝のようで」


 義父と謎の挨拶で旧交を温めるのを、諸葛瑾は一歩引いた距離で行儀よく待っていた。


(この方が高名な劉景升殿……)


 二十年前の党錮の禁の時、義父はこの立派な体格の士太夫を助け、徐州へ亡命させたという。おとなしい義父にしては信じられない危険を冒したものだと思う。今回義父はその伝手を二十年ぶりに辿って、自分を洛陽へ遊学させてくれたのだ。


「こちらが御子息ですか」


 劉表は朗らかにこちらに向いて


「……」


 ことさらににこやかな笑顔になってから言った。


「君が子瑜君だね。お父上にはずいぶんとお世話になった。是非私に恩返しさせてほしい」


 諸葛瑾は劉表の一瞬の間を見逃さなかった。多くの人が自分に向ける間だったからである。顔を見て、そして値踏みする一瞬。


(ああ、この人もか)


 相手の美醜で評価を上下させる人だ。そう思った。だが諸葛瑾は苦笑もしなかった。ただ慇懃に頭を下げただけである。


「子瑜の事をよろしくお願いします」


 そう言って諸葛玄は上計吏の補佐の為に戻って行った。諸葛玄は琅邪国の出先機関である国邸に泊まる事になるが、国邸は朝廷の管理である。義息の便乗に関し話が通せていない。従って諸葛瑾は劉表の邸宅に居候することになる。


 諸葛瑾は帰郷までにそんなに時間がないことを知っていた。


「景升様。早速ですがお持ちの書物を拝見できないでしょうか?我が家にない蔵書を拝見できればありがたいのですが」


 劉表はかつて太學の人物評価で八及に数えられた名士。太學に評価されるには学問で名を上げた筈である。であればこの邸宅に書物もある筈である。諸葛宗家の蔵書は法家に寄っていて諸葛瑾はずっと不足に感じていた。その蔵書も養子に出てからはなんだか近寄りがたい。


 劉表は少し驚いた顔をした。


(そんなに意外な話かな?遊びにでも来たと思っているのか?)


「なるほど、遊びに来たわけではない、ということか」


 その言に少しがっかりした気持ちになった諸葛瑾だが、それに気付かず劉表は続けた。


「では子瑜君、いい所に連れて行ってあげよう」


 この誘いに諸葛瑾は驚いた。劉表は大将軍何進に大将軍府の掾として辟されて洛陽へ来たと聞いている。そんなに暇な筈がない。


「私の様な者のためにお忙しい景升様のお手間を取らせるわけには……」

「いやいや、私は暇でね。大将軍の部下に一人やる気の激しい奴がいて、なんでもかんでも全部取り仕切ろうと頑張っているから、私の出番はないのさ」


 そう言って劉表は諸葛瑾を乗せ車を出した。むろん、禦者付きのものである。


***


 車は洛陽の町並みをゆっくりと走る。前からの日差しからして、どうやら南下しているようだった。


「あ」


 諸葛瑾は劉表の視線で、自分がきょろきょろと周囲を見回しているのに気付き、恥じて小さくなった。あまりにも田舎者過ぎる。その自覚があった。


「わかる。私もはじめて洛陽に来た時はそうだった」


 そう言って笑う劉表には、容姿に恵まれた者のおおらかな爽やかさとでもいうものが備わっていて、諸葛瑾はそっと目を伏せた。少々眩し過ぎたのである。


 劉表は愛想も良く、大柄で優しげな男である。


(こういう方が出世されるんだろうな)


 実際、劉表は洛陽で高名である。


 太學で名声が有り、見目も良く、大柄で目立つ。その上、大将軍に辟された方だ。西漢王族の裔への遠慮で市井の者は畏れ多くて話しかけてまでは来ないが、ただ通行するだけで多くの士太夫から礼をされる。知己に会う度、劉表が挨拶を交わすのでたびたび移動は中断された。

 その度に劉表は隣にいる自分をこう説明した。


「ああ、あのころ山陽から逃げ出す時にお世話になった方のご子息だよ。恩返しに洛陽を案内しているのさ」


 そう紹介すると、皆が皆、自分の顔を値踏みしてきた。諸葛瑾は処世として控え目に微笑んだ。あまりにっこり笑うと驢馬が嘶こうとするような顔に見えるらしいからだ。



 車は洛陽の南、開陽門を抜けた。城外、といえど町並みは続いている。首都である洛陽の人口はその外郭だけで全てを納めることは不可能になっているのだ。


「ようやくだな。向こうの堂が太學だ」

「太學……」


 洛陽の学問の場。憧れの場所ではある。しかし諸葛瑾はここがすでにそういう場ではなくなっていることを知っている。学生に税の優遇があることであまりにも多くの学生が所属してしまい機能を停止している事を。いまや学問の場は宮城内の東観閣という場所に移っている筈である。

 

「目的はその前の……ほら見えるだろう。あの板だ」


 太學の建物の前の空間に何十枚もの石碑が並んでいた。


「あれは……」

「石経だ。聞いたことはあるだろう?」


 十三年前の熹平四年。蔡邕ら東観の学者達が発案し、帝に承認された一大事業である。高さ一丈の石碑の両面に儒経の重要な経典を刻み、太學の前に並べたものである。


 車を降りた二人は、身の丈を遥かに超える巨大な石碑の林の中を歩いていた。


 諸葛瑾は石碑の一枚に近付くと刻まれた文字を指でなぞった。石碑の表面に刻まれた文字がまだカリっとした感触を指に伝えてくる。そこには跳ねるような小ぶりな隷書がきっちりと敷き詰められていた。


「蔡伯喈殿の筆と聞いている」


 蔡邕は孝行者としても碩学としても有名な人物である。党錮の禁に遭い、どこかへ身を隠したため、石経の完成前に事業から離れている。だが大量の下書きを残して洛陽を去ったのだ。


「この辺は春秋ですか?」


 なぞった指先には公の名と年、そして出来事が列挙されていた。


「公羊伝だな。ここにあるのは東観で校訂がなされたものだ。我が家に怪しい書よりもずっと正しかろう。朝夕車を出してやるから読みに来るといい」


 諸葛瑾はその申し出に甘えることにした。少しだけ、ひっかかるものを覚えながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ