11 出立と到着
「あにき!あにき!行かないでおくれよ!」
侏子は引き留めようとした。だが体格に差がありすぎる。先日まで孺子と呼ばれていた青年は、それを無視して侏子を引きずって行く。
「チビ、おいらは親父に愛想が尽きた。もうここには居られねぇ!」
この同じ会話を繰り返しながら青年は歩き続け、もう真定の県境にまで達していた。
青年は言った。
「親父は朝廷に尻尾を振ったんだ……俺が仕えたい英雄じゃなくなったんだ」
青年の憧れは天下を奪る人物に仕える事である。その人物は養父だったのだが……彼はその資格を失った。少なくとも、青年の、若く、身勝手な、潔癖さの中では。
「ここから出て、あにきどうやって暮らすんだよ!?」
弟分の疑問はもっともだった。だが青年は回答を用意していた。
「諸国を巡って武者修行、だ」
「あにきは馬鹿なの?そんなので暮らしていけるわけないよ」
弟分の疑問はもっともだった。だが青年はなるようになる、と楽観していた。そして弟分の言葉を訂正した。
「チビ、おいら……えーと、そう、某!。某は既に元服したのでござる。これからはあにきなどと呼ばず、子龍殿、そう呼ぶがいい」
***
「見えますか?長生さん」
田豫は城壁の上から、夕日の沈む方向を眺めていた。
城壁は土を押し固めた版築であり、わずかながら傾斜があり、滑べりやすい。関羽は田豫が城壁から滑べり落ちない様に襟を掴み、確保してくれている。
田豫は残念ながらそれほど目の効く方ではない。地平線の夕日を直視しながらではなおさらである。だから関羽が先に気付いたのも当然であった。
「来……た?」
関羽の半疑問に、田豫は少し驚いたが、自分にはまだ見えないのであらためて尋ねた。
「来ましたか?官兵は何人くらいですか?」
官兵とは、公孫瓚が約束してくれた、雍奴の守備兵の事である。
薊県の役所からは割符が先に送られて来ていたが、肝心の兵がなかなか送られてこず、やきもきしていたのである。
田豫は公孫瓚の武力に感服しているが、公孫瓚が残置した薊の行政機構は今ひとつできが悪く信用が置けない感じがする。薊の役所は焼かれたのだから再建途上と言うことなのかもしれない。だが、だからこそ公孫瓚が遼東に包囲されている今、この約束は反故にされるかもしれない。そういう懸念があった。
田豫はそこまで覚悟していたが、どうやら約束は守られたらしい。明日、兵が派遣されるから準備せよ、と言う先触れが来て、こうやって待っていたのである。
「むぅ……」
珍しく関羽が思案顔である。
しばらくして、田豫にもようやく理由が判った。西から歩いて来る兵の姿が識別できるようになったからである。
「ん?……」
そして田豫も思案顔になった。
その兵達は統制の取れているように見えなかった。横隊でも、縦隊でもない、だらだらと好き勝手に歩いている。左右の者どうしが勝手におしゃべりもしている様でもある。
一応みんな官兵の鎧を来ているようである……いや、違う。ひょろひょろした中年が、鎧も着ず平服のまま、よろよろと歩いている。明らかに鍛えていない感じで兵士の様には見えない。
あともう一人、隊の中央にえらく目立つ男が居る。男は鎧の上からおおぶりで派手な赤の袍を肩から掛けている。これまた官兵には見えない。男の手は長く膝まで届きそうだった。頭の輪郭が変だ。耳が大きいのである。左右の目も随分離れてついている気がする。異相である。異相であるが、出世できそうな相ではない。公孫瓚の様な美形であれば出世に役立つが、男の面相はむしろ負債であろう。
(あれをもてなさなければならないのか)
田豫は少し気分が落ち込んだ。
「ゴロツキですな」
関羽が吐き捨てる様に言った。
(了)




