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俺解釈三国志  作者: じる
第十話 天下は何に苦しむか(中平四年/187)
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9 翼

「防げ!防げ!叩き落せ!」

 

 公孫瓚はそう叫びながら城壁に這い上がって来た敵兵を蹴り落した。城壁の上を縦横に走り、敵兵を突き落しながら味方を激励する。控え目に言っても奮戦である。


 石門の戦いで張純の主力を撃破した公孫瓚だが、肥如を解放し、張舉の首と三族を洛陽へ送ったところまでは良かった。


 残るは張純の首のみ。そう思って歩兵を分離し、騎兵主体で追撃を行ない、逃げる張純を追って東へ、東へ。遼西郡を抜け、遼東郡へ入ったところで丘力居の反撃に遭ったのである。


(くそっ)


 公孫瓚にも自戒の念というのはある。はっきり言って、油断であり、慢心であった。


 白馬義従と烏桓騎兵をぶつけるだけならば勝敗は時の運だが、相手に烏桓の歩兵までいたのでどうにもならなかった。結果、公孫瓚は正面からの戦闘で烏桓に敗北し、近場の小城に撤退した。そこで烏桓に包囲されてしまったのである。


 城攻めに巧みとは言えない烏桓兵の為、城が落ちる可能性は低いと公孫瓚は見ている。だが包囲は包囲。少しづつ、確実に、城に飢えが広がって行く。


「皆すまん。もうすぐ馬を食う事になると思う」


 公孫瓚は先に謝罪した。烏桓が馬(自弁である)を大事にしていることを知っているから。


「この難局を切りぬけたら、かならず俺が弁償する!」


 そう言ってもう一度頭を下げた。どういうわけか義従たちが浮かべたのは苦笑だった。古参の義従が言った。


「あの時を思い出しますな」

「あの時?」

「ほら、両刃の矛の時ですよ長史殿」


 何年前の事だろうか?遼東属國都尉の長史として辺境の守備を行なっていた時の事である。十数騎の部下を引き連れ、長城付近まで斥候に行った公孫瓚は丁度侵入して来た十倍の鮮卑と遭遇した。近くに廃虚になった亭があったのでそこに撤退し立てこもった。

 鮮卑はすぐに去るだろう、と思っていたが伝令が走り去った。応援を呼んでいるのだ。


「今、出て行かないと死ぬぞ」


 そう叫んで飛び出した公孫瓚の手には、矛の柄の側にも青銅の刃を付けた急造の両刃の矛が握られていた。周囲の全ては敵なのだ。振り回せば当たる。公孫瓚の両刃矛で鮮卑が数十人死んだ。味方も半数は死んだが、窮地を切りぬけたのである。


 古参達が言っているのはその時のことである。


「あの時よりなんぼかマシですよ」

「相手の包囲が緩むまでの間に両刃の矛を作りませんとね」

 

 公孫瓚は猪武者である。攻めるといえば前に前に。そういう男である。正直優れた将帥ではないかもしれないが、部下からは愛されていた。


***


 公孫瓚が幽州の辺境で烏桓に包囲されている、という緊急事態の発生は朝廷に激震を起こした。


 西方の涼州では陳倉が包囲され、董卓も皇甫嵩も解囲できていない。そこへ加えて東方の遼東では討伐にあたっている責任者が逆襲を受け城に包囲されてしまったのである。


 その結果──。


「宗正の劉虞を幽州牧に除する」


 幽州は殺された刺史の代わりに牧の統御するところとなった。劉虞には幽州刺史として東夷どもを手懐けた実績がある。それを買われての抜擢である。


 公孫瓚の武が事態を解決できないなら、劉虞の徳で事態を解決させるしかないではないか。


 つまり朝廷は、馬日磾は、張純と烏桓に対するの武力討伐を諦めたである。


***


 同じ頃。


 十常侍、と俗称される彼ら高位宦官達の中でも、何皇后の派閥に属する者が額を寄せあっていた。


「まずいな」と張讓。

「まずいね」と趙忠。


 まずいのは蓋勲の存在。彼らにとって喫緊の課題なのである。


 何がまずいといって……


「帝が言うことを聞いてくれなくなった」


 趙忠がため息をつく。


 帝は宦官を特別視してくれていて、泣き落せば大概の無茶を聞いてくれた。それが士太夫の生き死に関わっていても、である。だが蓋勲を側に置いてから、どうも反応が鈍い。


「我らの意に沿わないなら不要ではないかな?」


 と段珪は言う。言外に「帝を始末しては?」との提案である。どういう方法かは検討しなければならないが、帝を『病死』させる事など宦官ならばわけない事である。


「まてまて。それは早急だ。史侯は立太子されていないのだぞ」


 と郭勝。


 史侯は何皇后の子で帝の長子である。市井の道士に養育させた為か少々魯鈍に見えるところがある。その為か未だに立太子の儀が行なわれていない。


 史侯には王美人が産んだ弟が居る。この弟は毒殺の手を逃れ、帝の母である董皇后が保護している。董侯と呼ばれている。


 今、帝が崩御なされるような事態が起きたら、董皇后が皇太后として全権を握るであろう。そうなれば董侯が新帝になるのは目に見えている。それは何皇后閥としては一番避けたい事態なのだ。


「帝は古典を愛される方だ。今はお迷いでも、最終的に長幼の順は守られる筈。むろん我らもそうなるよう運動せねば」


 何皇后の産んだ長男が皇太子になるのは時間の問題だ。それが張讓の結論である。


「だからまずは蓋勲をなんとかしよう」


 話題がようやく元にもどった。彼らは見落としていた。時間が何皇后に味方するのであれば、董皇后側はどう考えるのかを。


***


(三公を歴任しても、結局は宦官の走狗か)


 張溫は、自分の上奏文が読み上げられるのを聞きながら、こっそりとため息をついた。


 不振が続く涼州賊討伐から、司隷校尉への転任、という温情人事で都に召喚された張溫だが、司隷校尉が上軍校尉の蹇碩に督される事になって本質的に自由な活動はできなくなっている。それでも誇りを失わずに日常業務を続けていたが、ついに宦官の要請に屈するところになってしまった。


 帝劉宏が張溫に向かって問いを投げた。


「溫よ。蓋勲を京兆尹に推すという事だが、それは蓋勲でないといかぬ事か?」


 京兆尹は古都長安の周辺地域を担当する行政官である。その職務上、長安に在勤になる。


「涼州賊が三輔を寇している今、京兆尹には涼州事情を知り、経験豊富な蓋勲の力が必要かと存じます」


 張溫は宦官から依頼された事を全うする為帝に抗弁する自分に吐き気を覚えた。


「朕には勲が必要なのだが……」


 帝の切実な表情に張溫の胸は痛んだ。


 後ろに立つ蹇碩が気味の悪い微笑みを帝へ向けて言った。


「司隷校尉の要請は天下の為に当然の事かと。是非お聞き届けになられるよう」


 董皇后派閥の蹇碩にとっても、蓋勲は洛陽に居て欲しくない存在なのは変らない。


「関中の安定の為、なにとぞ!」


 張溫の重ねての要請に帝は折れた。


***


 両翼をもがれては、飛べぬ。


 劉虞の幽州行き、蓋勲の長安行きに対する袁紹の嘆きは深かった。袁紹は対宦官蜂起の為の同志を二人とも失うことになったからである。


 これではいくらなんでも手が足りない。


 だが子飼いの部下だから従うだろう、と思っていた曹操は武力蜂起に対して冷笑的だ。何顒ら奔走の友の連中はこういう荒事に役立ちそうにない。


 思案に次ぐ思案を重ねた結果、袁紹に一つの妙案が浮かんだ。だが浮かんだ後で後悔した。妙案、と言っていいのか、判らなくなった。


 族弟である袁術を巻き込む、という案である。うまく煽れば使えるかもしれない。


 あいつはなんでか俺に敵愾心を持ってるからな……。


 袁紹の顔に悪い笑みが浮かんだ。


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