8 浮屠教団
「お待ちしておりました」
下邳に入った徐州刺史陶謙は、地元の有力者である陳珪の慇懃な対応に戸惑った。
本来徐州刺史の治所は下邳郡ではなく、より北の東海郡の郯県である。それを枉げてここに来たのは、一つは徐州の北半分に黄巾賊が蔓延しているからであり、もう一つは陶謙の故郷、楊州丹楊郡はすぐ南だからである。
丹楊で金をばらまけば、精強な丹楊兵を雇う事ができる。徐州の有力者を脅して金を出させ、傭兵を動員して南から北上し、徐州黄巾を鎮圧する。それが陶謙の考えだった。刺史の権限を大きく逸脱するが、鎮圧に成功してさえしまえば称賛されはしても罰されることはない。陶謙はそう踏んでいた。
徐州北部の黄巾が南下したら大変な目に遭うぞ、だから資金を出せ、という脅しを駆けようとしたところに陳珪ら徐州有力者のにこやかな対応である。陶謙は戸惑いながら資金提供を訴えた。
「判っております。資金は我々がなんとか致します」
「なんだ?異常に物判りがいいじゃないか」
陶謙は更に戸惑いながらも応えた。陳珪に気押されるのが嫌だったのである。
「我々にも黄巾は目障りですので」
陳珪がそう言ってくすくすと笑った。
(食えなさそうな爺いだぜ)
陶謙は内心でため息をついた。
数日の歓待の後、陳珪は陶謙に笮融という男を紹介した。
「はじめまして。自分も使君と同じく、丹楊の出です」
黄色いぞろりとした衣を来て髪を異風にも禿頭に剃り上げたこの男は、そういうと合掌して頭を下げ、挨拶した。陶謙はそれが刺史に対して不敬に当たるのかどうか判断が付かず、不問にする事にし、鷹揚に頷いた。
笮融と陳珪は陶謙を下邳の郊外に案内した。
郊外の広い土地が切り開かれ、いくつもの建物が建設されつつあった。明らかに楼閣の基礎となるであろう部分が多数ならび、完成した建物も幾つかあり、それは金色に塗られている。どの建物も丸みを帯びた異風の物である。
ここでは多くの民が建設に従事していた。だが苦役に従事する、という感じではない。活気と熱気が感じられた。
「これは?」
陶謙は聞いた。笮融は笑顔で答えた。
「ここにいるのは皆、浮屠に帰依した衆生でございます」
「浮屠……」
陶謙は遠く身毒から来た浮屠教が船乗りの流行として楊州に来ている事を知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。
「使君にお渡しする軍資は、皆の喜捨によるものです。大切にお使いください」
笮融の言葉に、陶謙は陳珪に尋ねた。
「つまり、浮屠は黄老道と相入れぬので成敗せよ、と。そういうわけだな?」
陳珪は合掌で応じた。
「浮屠は戦さを嫌います故、庇護者を欲しておるのです」
陶謙は現実主義者である。士太夫の視座で邪教だから、という理由で利用できるものを毀つことはしない。
まぁ利用できるなら利用するまでだ。弾圧は利用しつくしてからでよいではないか。
「判った。俺が刺史の間は、その庇護者というのになってやろう」
陶謙は快諾した。
喜んだ笮融は、黄色い冴えない衣を捧げ持って来た。
「なんだ?これは……」
「浮屠が尊びます衣装で、糞掃衣と申します」
実際笮融が着ているものと同じものである。
「なんでそれを俺に?」
「これを着て頂ければこの地の浮屠が親しみを覚え、より使君に忠義を尽くすと思うのです」
「よせよせ、馬鹿らしい」
そういって陶謙は自分の士太夫らしい法服を指した。
「浮屠が喜んでもそれ以外が従わなくなるわ」
笮融は少し残念そうに言った。
「使君はあまりにも士太夫然となさっておいでです。せめて少しでも仏相が備わっていれば皆も喜ぶのですが……」
「仏相?なんだそれは」
「浮屠には見た目の特徴があるのです」
「ほう?」
自分の見た目を否定された様で陶謙は少し不機嫌になっていた。その不機嫌さを笮融に伝えたかったが、伝わっている感じがしない。笮融は嬉々として説明を始めた。
「頭には肉こぶが髷のようにあり、耳たぶは肩まで垂れ、両目は離れ自分の耳まで見ることができる、両手は長く膝が触れる程……」
この怪物じみた容貌を聞いて、陶謙は自分の容姿が馬鹿にされたのではない、と理解した。所詮は身毒の異人の聖者なのだ。
「そんな化け物みたいな奴がいるかよ」
だから一笑に付した。




