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俺解釈三国志  作者: じる
第十話 天下は何に苦しむか(中平四年/187)
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5 討虜校尉

 蓋勳は討虜校尉という職を新設され、そこに栄転という形で涼州から洛陽へ送られた。これは蓋勳の様な硬骨に涼州に居られては困る程球らの策謀による位打ちであり、討虜校尉はなんの権限も実体もない閑職である。 だが涼州刺史耿鄙も程球も既にこの世にはいない。そして蓋勳は閑職に甘んじる人間ではなかった。


(討虜校尉に実がないなら、実を与えるよう動けばよい)


 西方の異民俗政策の担当官としての実を与えるよう、運動を開始したのである。


(まずは帝に気に入っていただけねばなるまい)


 蓋勳は硬骨の人だが、それは士太夫としての倫理に関して譲らないというだけで、融通が効かないわけではない。

 そして帝劉宏には学問を愛する、という弱点の他にもう一つ、「胡の習俗を愛する」という弱点があった。天子でありながら胡服を来た帝である。蓋勳は地の果て敦煌の出身である。胡の習俗に詳しくない筈がなかった。


「敦煌と大月氏国の間の国境はどうなっているのか?」

「はい。荒野が広がっております。国境の目印に五連の山がございまして、五行山と呼ばれております。風が吹くと泣き声の様な音が聞こえます」


 胡の習俗を伝える専門家として近付くことで、ようやく、私的に召してもらえる様になったのである。


 ある日帝は尋ねた。


「天下は何に苦しんでこの様に反乱するのであろうか?」


 蓋勳は即答した。


「佞臣の子弟がさわがせているからでございます」


 答えながら、蓋勳は熱い達成感を味わっていた。


(ようやくここまで来れた)


 朝廷、という意見を握りつぶされる公の場でなく、より私的な空間で直答を許される関係を築けた事に感動していた。

 無論、二人きり、ということは有り得ない。帝の背後にはお気に入りの宦官、蹇碩が座っていた。大将軍にも勝る上軍校尉という権威者である。


 帝劉宏は背後を顧みて蹇碩に尋ねた。


「そうなのか?」


 蹇碩は慌てた。そうです、と認めるわけにはいかない。だが違います、と言い逃れをすれば蓋勳は証拠を出すかもしれない。帝に嘘をついて生き延びる事ができるだろうか。

 蹇碩は慌て続けることを選んだ。狼狽し、為す術を知らない様を帝にお見せし続けたのである。事実上の肯定だが、何も口にしないことで言質を残さない事を選んだのである。この後、蹇碩の巨躯に似合わぬ狼狽を見た帝は、蹇碩に将帥の器なしとして元帥などの地位を剥奪する事になる。


 蹇碩は狼狽を続けながら、自分を冷やかに見つめる蓋勳を視界に入れた。


(殺す!)


 蹇碩はどうでもいい田舎者、と軽視していた蓋勳にはじめて恨みを抱いた。


 帝は蹇碩を忘れ、蓋勳との会談に熱中し始めた。


「勲よ。吾はこの前、平樂觀に陣を引き、兵達に多くの財物を分け与えた。どう思う?」


 帝は朕を自称するのを忘れる程興奮していた。劉宏はむろん、その積極を褒めてもらいたいのである。だが蓋勳は静かに否定した。


「臣は聞いております。『先王は徳を燿せ、兵を観られませんでした』と。今、がいてきは遠く、近くに陣を設けたからといって果毅けついあきらかになさるには足りないでしょう。それでは武力で遊んだだけの事になります」


 蓋勳は周の穆王の故事を持ち出した。穆王は周朝五代。外征でなく先王の様に徳で治めよと諌められた王である。それが帝劉宏には効果があるとふんだからである。


 ぶしつけな回答に周囲はどよめいたが、劉宏は微笑んだ。


「善いな。君と会ったのがおそかったのを恨むよ。群臣共はこんな風に言ってくれなかった」


 そんな事はない。つい先年も傅燮が、呂強が、同じ様に訴えたのである。だがそういう人物を遠ざけ殺して来た為もう誰も言わなくなったのだ。

 帝劉宏は一度受け入れ、称賛した意見でも、宦官の讒言を聞くとまるで別人になったかの様に翻してしまう。それを知っている蓋勳は、ただ、


「ははっ」


 そう言って平伏した。帝を教導する、という戦いを決意して蓋勳はやってきた。だがそれはまだ、はじまったばかりなのだ。


***


 洛陽城の西に広がる丘陵地帯、西園。


 そこを兵の列がぞろぞろと歩く。


「鼓手!拍がばらばらだ!兵が疲れるぞ!もそっときちんと打て!」


 鎧姿の袁紹が叫ぶ。蓋勳は険しい顔でその様子を見つめていた。


 西園軍は常備軍である。毎日担当が替わりながら錬兵が行なわれている。本日は佐軍校尉の袁紹が担当の日である。


 一連の教練が終わり、軍は営へ戻っていく。それを見送った後、二人は丘の麓に張られた天幕に向かう。


「酷かったろう?」


 袁紹が恥ずかしそうに笑う。


「閲兵の時の主力は豫州に行ったからな。今居るのは新召集なんだ」


 汝南葛陂黄巾討伐の為、西園軍の主力は下軍校尉の鮑鴻が率い、既に出撃していた。


「伍長什長から立て直さなきゃならん。尉が常駐する郡兵の方が楽かもしれん」


 蓋勳は袁紹の言葉にただ頷いていた。


 天幕の道すがら袁紹の口数は多かった。羞恥からである。指揮下の部隊の行軍が不様であった、という事ももちろんあったが、蓋勳という実戦経験者を前に錬兵する事に気恥ずかしさを感じていたのである。


 丘の麓にぽつんと建てられた天幕は、錬兵の際の佐軍校尉の休憩所である。周囲に立つ歩哨は袁紹の私兵であり、それも今は天幕を遠巻きに守っていた。


「開府できるならこんな場所で会合しなくて済むんだが」


 言いながら袁紹は天幕に入った。西園八校尉は将軍ではないので役所を開く事はできない。演習にかこつけて会合するのがせいぜいである。


 会合。そう、袁紹は最近帝の覚え目出度い蓋勳という人物を宦官共の排斥の同志とすべく、ここへ誘ったのである。


 先客が居た。天幕の中には一人の士太夫が正座して待っていた。袁紹が紹介するまでもなく先に蓋勳が声を掛けた。


「これは!劉伯安殿ではありませんか」


 蓋勳は驚愕した。


 座っていたのは宗正の劉虞りゅうぐ伯安はくあんである。


 劉虞は東海国の出身で、実際東海恭王彊の後裔……つまり一応は光武帝の長男の血筋に属する。とは言っても傍系も傍系。東海国の王族として世に出たわけでなく、地道に郡県の役人から出世して来た叩き上げである。


「よもや公とここでお会いできるとは」


 ここで会う、という事は劉虞は袁紹と志を共にしている、という事である。つまり、宦官の排斥を考えている過激思想の持ち主である、という事だ。それは蓋勳の考える劉虞の印象からかけ離れていたのである。


 劉虞といえば近年稀に見る清貧謹厳な士太夫である。博平県の県令となれば県には盗賊がいなくなり、災害は起きなくなり、蝗すら県境で止まったという。幽州刺史となれば徳のある政治で鮮卑、烏桓、夫餘、穢貊らの東夷は辺境を騒がせるのを止め朝貢までしたという。劉虞は清貧で知られていたので帝すら南宮火災の修宮銭を取らなかった。そういう人物である。


(まるで周代の士太夫じゃないか)


 そういった士太夫は臣は臣たりとして主君に徳の道を説くものだと思っていた。それが過激思想ということは。


(漢室の衰退はそこまで来ているのか)


 蓋勳の驚愕の理由である。


 袁紹が口を開いた。


「元固殿をここにお呼びした理由はお分かりかと思うが……まずは帝の御様子をお聞かせ願えないだろうか?我らとて今上と直接お話ししたことはないのだ」


 先帝……桓帝劉志には劉叔という相談相手が居た。だが、今上にはそういう相手はいない。今上は朝議でのみ家臣と公の部分で接し、私的な部分は宦官と女達にしか見せてこなかったのである。臣下はその政のいびつさでしか今上の人となりを知ることができていないのだ。


「確かに私はお上に何度かお目通りが叶った」


 蓋勳は訥々と話だした。


「お話を通し、帝は学もあり、良識も弁えておられ、とても聰明な方だと思った」


 そこで蓋勳の顔が一瞬曇った。


「左右に居るものがお上の耳目を塞いでいる。これがいかん。だから卿らに合力したいと願い、ここに来たのだ」


 蓋勳は決意を告げた。


「我々が力を併せ、連中を誅す事ができれば、それで何もかもが解決できるのだから」

「では決起までになんとしても西園軍を鍛え上げねばならんな」


 そう袁紹が笑う。


「決起は終わりではない。その後の事も考えておく事だ」


 劉虞が言う。


「後の事か……」


 蓋勳は天幕の屋根を見上げながらつぶやいた。


「仮にも軍を用いて御宸襟を悩ますのだ。英俊を抜擢し漢室を再興する道筋を付けたら潔く身を退くべきだろうな」


 そこでにこりと笑った。


「だがそれだけの功を遂げて身を退くのだ。痛快な事じゃないか」


 蓋勳が帝の動静を計り、大将軍何進の権威を借りた袁紹が西園軍を指揮して宦官を誅殺し、劉虞が行政を回復させる。その絵図面がここに引かれたのである。


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