4 平難中郎将(中平五年十一月/188)
「またか」
その報告に帝は不機嫌であった。
涼州で韓遂馬騰らが再度連合。漢陽の賊、王國を奉載し三輔に侵入したのである。
王國は「合眾将軍」を名乗って三輔で略奪を繰り返し、遂に右扶風の西端、陳倉を包囲した。陳倉は益州と司隷を繋ぐ交通の要衝。ここが包囲されるということは長安から益州への交通が遮断され、益州が孤立する可能性があった。
だが帝の不機嫌は、その危機、その損失に対するものではなかった。帝は先月西園で大規模な閲兵を行ない無上将軍と名乗った。これで四海に威を示し、乱は止むと確信していたのである。それなのに乱は乱立し止むどころではない。つまり面子を潰されたので機嫌が悪い、という事になる。
「太尉、西園の兵を使う事を許す。また、このような乱が二度と起きないように方策せよ」
「畏れながら、西園軍は既に汝南の黄巾に向かわせる為の準備を進めております」
馬日磾は慎重であった。編成途上の西園軍をいきなり涼州の強兵と戦わせる事は避けたい。
馬日磾は反乱にただ手を拱いてばかりいるのではない。実際次々と手を打っていた。
白波賊に呼応し、河東に定着している南匈奴が蜂起した。洛陽のすぐ北が劫略されている。こちらには中郎将の孟益を派遣した。孟益の指揮下に入る、という形で公孫瓚にも支援……補給と補充を開始した。徐州には陶謙を刺史として派遣し、鎮圧を命じた。土地勘を期待してのことである。二千石の高官を経験していない陶謙を牧にすることはさすがに出来なかった。
「ですので陳倉の囲みは董卓に解かせます」
董卓は軍を半ば私物化する形で右扶風に勝手に駐屯しているのである。これくらいの事はやってもらわないと困る。
「董卓はやれるのか?」
董卓は軍を無事に帰す事には優れているが大きな戦功がない。帝の疑問ももっともだった。
「皇甫嵩を督軍につけます」
馬日磾はこの人事では宦官に遠慮しなかった。これにより皇甫嵩の前線復帰が決まった。
だが他にはまだ手が出せないでいる。兵も将も有限だからである。
青州黄巾には手が出せない。徐州黄巾と張超が遮っているからである。公孫瓚と陶謙が成果を出してくれる事が必要だった。
冀州の黒山賊への対応はもっと難しかった。百万を号する大軍を擁している彼らに手出しをするのであれば、こちらも充分な兵を用意せねばならない。だがそんな兵力がどこにあるというのか?
だが、その黒山賊対応が急展開を迎えた。賊の首領、張燕が使者を送って来たのである。
***
太尉府へ連行されてきた黒山賊の使者は、やせぎすでひょろひょろとした男てあった。禿頭なのか冠の代わりに頭巾をかぶり、どこで調達したのか大きさの合わない法服を着込んでいた。逆三角の顔に目だけがただぎょろぎょろと大きかった。
(帝に御目見えさせるにはみすぼらし過ぎるな)
馬日磾はそう思った。見た目が悪い人間は軽く見られて当然である。太尉府の属官達もそう思うのか皆眉を顰めている。
「張燕の使い、李大目と言ったな?綽名の様に思えるが?」
「へへぇ、本名なぞとうに忘れてしまいました。まことに申し訳ありません」
「そもそも張燕とは何者だ?黒山賊の首謀者は張牛角と聞いたが?」
「牛角の親分は矢傷が元でお亡くなりになりました……残念なことでした」
李大目はしょんぼりとした声でそう答えた。だが急に元気になって続けた。
「牛角の親分が跡目に選んだのが飛燕の親分でやす。皆の賛成もあって晴れて張燕の頭目となられました」
先祖から受け継ぐ物がない連中は姓や名、字に対する感覚が違うのだな。馬日磾はそう思うことにし、話を進めた。
「で、その張燕とやらはいつ参内する?自ら降伏するのだ。罪は減じ、なんなら関内侯ぐらい与えてもよい」
「馬鹿言っちゃいけない。来るわけがないでしょう?」
李大目の態度が急に変り、太尉府がざわついた。
「参内したら捕まって配下はばらばらに散ってしまう。公が頭目なら、そんな危険を犯さないでしょう?」
「待て待て。配下の皆にも悪いようにはしない。無事に帰農させる事を約束しよう」
李大目が大きな目を更に大きく見開いて驚いた。
「それで宦官の息の掛かった悪い県令が来てまた搾取されるんですかい?馬っ鹿馬鹿しい」
それを聞いて太尉府所属の宦官が嫌そうな顔をした。
「俺たち黒山賊は帰農する気はさらさらありませんや。外から地方官を受け入れる気もありゃぁしません。今我々が占拠している土地から外へ侵攻しないし、他の賊と連合したりもしない。それでどうです?」
あまりに身勝手な条件である。馬日磾が思わず声を荒げた。
「それのどこが降伏だ?!」
大目はにぃと笑った。
「俺らを討伐しなくて済むなら、兵がぐっと浮くってもんでしょう?他の方面が捗りますぜ」
(こいつ!)
馬日磾は歯噛みした。まさしく漢家の急所を突いて来たからである。
「あ、算ぐらいは送りますから、上計吏を受け入れてください。あと孝廉を送る権利もね」
完全に一地方の私有を公認させる気でいる。
「張燕は王にでも成る気か?」
「まさか。『劉氏にあらざるもの王にならんとするならば天下共にこれを撃て』でしょう?ホント俺らは穏やかに暮らしたいだけなんすよ」
見た目の酷さにだまされ侮っていたか──馬日磾は静かに瞑目した。敗北を受け入れたのである。
張燕の降伏は帝劉宏を大いに喜ばせた。
「都で『無上将軍』が謁兵なさったと聞き、そのご威光にはひれ伏すしかないと馳せ参じました」
帝……いや無上将軍の面子が立ったからである。李大目の演技に馬日磾は感心した。
劉宏の大喜びに皆が追従していたが、帝以外の全員がこの降伏は茶番であり、実質的には漢家の敗北である事を知っていた。
張燕は任期のある郡太守ではなく、任期のない軍事職…平難中郎将が与えられた。冀州西側は中郎将の軍政下にある、という建て付けでの地方私有の追認である。無論太尉である馬日磾が調整しての任命であった。




