3 彌天(中平五年九月)
幽州は漢王朝の東北の辺境である。青州や冀州の北側に接した部分から、北東に向かい、渤海沿いに半島まで延びている。その北側には長城が連なり、その北は塞外……異民族の住む場所である。
北の長城と海の間の隘路に遼西郡はある。
辺境の一郡に過ぎない遼西の、郡治所でもない肥如の県城は大いに変貌を遂げていた。
県城の回りにはみすぼらしい小屋がびっしりと並んでいた。その住民の大部分は幽州各地から連行された者たちである。張純らは薊県を焼いた後、焼き出された住民を烏桓兵に連行させ、この肥如に住まわせていた。残りは元々この肥如の県城に住んでいた者達である。彼らは県城内を追い出されて城外の小屋で起居していた。
肥如は県城の住民を追い出した後、まるごと天子の為の宮城に改築されていた。
その宮城の中央。かつて県令の執務に使っていた房では、急造された階上に新たな天子である張舉が南面している。
階の下では北に向かい平伏する張純に対し、天子から直々に声が掛けられた。
「彌天将軍張純よ。青州の討伐を嘉し、今後は剣を履いたままの上殿と、入朝に当たって趨りせずともよい特権を与える」
「ははっ。今後とも一層の精励を誓います」
顔も上げず張純は答え──
「ぷっ」
「ぷはははは」
二人は吹き出し、笑いだした。
「やってみるとやはり馬鹿馬鹿しいな」
そういって張純は起き直り、胡座をかいた。
「そういうなよ。形は大事だぞ。」
張舉もまた階上で正座を崩し、胡座になった。
天子と将軍、というのは二人で分担した役割にすぎない。朝廷、というにはささやかな房での、二人きりの朝廷ごっこは一旦終了、である。
張純がにやりと笑ってから報告する。
「徐州にいる烏桓の酋長から、黄巾が復活したと連絡があった」
幽州の州治所である薊県を焼いた後、幽州と冀州で人と物の略奪を重ねた烏桓はそこから東に矛先を向けた。東海沿いに南へ向かい青州に入ったのである。
青州は遼東烏桓を主力にする張純らにとって重要な州である。青州の沿岸、東海に突き出す東萊の半島から海を通って遼東への海路があるからである。後方の防御を固めるにはここを制圧する必要があった。
張純は彌天将軍、と名乗ってはいるが実際には遠征などしていない。帝からの勅命、という形式を取って烏桓の南征……つまり略奪の許可を与えただけである。
現在、遼西郡の経済は烏桓の略奪の上がりで成り立っている。青州から肥如に運ばれてきた食料金品をばらまくことで各地から拐われてきた住民達に宮殿建築の労役を行なわせているのだ。烏桓は次なる略奪先を求め、南へ南へ侵攻し、既に青州を超え徐州へと到達している。
「俺達が略奪した後の青州だがな、なんと黄巾が復活したそうな」
張純はくすくすと笑いだした。
「青州の黄巾が徐州を襲いはじめたら徐州でも黄巾が復活したってよ」
張舉は少し考えてから答えた。
「……吉報、ということかね?」
「ああ。これで大いに時間が稼げる」
青州の住民は、烏桓に食料金品を奪われ困窮した。そして困窮した彼らは、餓死するくらいなら、と自らも略奪によって生活することを選んだ。だが一人一人ではなに程の事もできない。結束が必要である。彼らが選んだのが黄巾賊の復活であった。徐州黄巾も同様だろう。もしかすると黄巾を名乗る事で青州黄巾からの被害を免れようとしているだけかもしれないが。
涼州に韓遂。并州に白波賊。冀州に黒山賊。豫州に汝南葛陂黄巾。青州と徐州にも黄巾。益州では黄巾賊残党の馬相なるものが蜂起。荊州では長沙賊が鎮圧されたばかりで平穏とは言いがたい。そして幽州に我々。全国至る所で反乱が起きている。だが官軍の反応は鈍い。こちらへの追討の命を受けている筈の公孫瓚もまるで寝ているかの様に動きがない。おそらく兵力が足りないのであろう。この様子なら官軍の主力が幽州に向かってくるのは随分先になることだろう。
「もしかすると、もしかするかもな」
「もしかするかもな」
二人が期待しているのは、漢の自壊である。そうなれば、群雄割拠の時代が来る。彌く天は我らのものとなるかもしれない。
「ふふ」
「ふふ」
ここ幽州は光武帝劉秀が天下を取った出発の地である。劉秀の快進撃は烏桓突騎を味方にした所から始まった。二人が自分達を光武帝に重ねあわせてしまうのも無理からぬところがあった。




