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俺解釈三国志  作者: じる
第十話 天下は何に苦しむか(中平四年/187)
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2 罷免(中平五年四月/188)

 涼州に韓遂。并州に白波賊。冀州に黒山賊。幽州に張純と烏桓。この惨状に朝廷は為す術を持たなかった。太尉の曹嵩にその力がないことは明白だった。四月。都にほど近い豫州に汝南葛陂黄巾が蜂起した事で、帝はようやく太尉の曹嵩の罷免を決めた。後任は樊陵はんりょう徳雲とくうん


 太尉の印綬を拝領する樊陵の顔には満面の笑みが浮かんでいる。それを見ながら射聲校尉の馬日磾は思った。


(駄目だ……樊徳雲では事は収まるまい)


 樊陵は宦官に阿って出世して来た人物で有能とは程遠い。それが曹嵩の後任となれたのは、五百万銭とも千万銭とも言われる修宮銭を払える人物でなければ三公になれないからである。実際、曹嵩の罷免から樊陵の就任まで一月近く間が開いたのは萬金堂に積み上げる修宮銭の金策に時間が必要だったからである。


(嫌だな、嫌だな。止めとこう。損しかしないぞ)


 太尉の就任を見守りながら、馬日磾は涌き起こる心の声と戦っていた。


(千万銭を取られるぞ。常識外れの額を失うぞ)


 ──だが、自分には大儒馬融から受け継いだ富がある。


(払えたとしても崔威考殿の様に銅臭呼ばわりされるぞ)


 ──それがなんだ?汚名を恐れてすべき事を放棄するのか?


(苦労してもやっかい事をかかえるだけだぞ)


 ──あきらかにできない奴に任せ続けるのは無責任だ。


 馬日磾の逡巡は終わった。そこからは全力だった。伝手という伝手を使い、猟官運動を開始したのである。


***


 樊陵は有能ではないが、無能という程でもない。馬日磾の危惧に反し、それなりの活動を開始した。これ以上の反乱を防ぐ為の献策を広く求めたのである。


 それに応じた者がいる。太常の劉焉りゅうえんである。劉焉、字は君郎くんろう。西漢王族の子孫である。


 劉焉は上表した。


「おそらくは州を治めますに刺史では権威が軽すぎなのでしょう。既に乱を禁じる事ができておりません。ふさわしくない者を用いていては暴乱は増すばかりです。牧伯を置いて清選した重臣に任せ、地方を鎮めさせましょう」


(なるほど、うまい手だ)


 馬日磾は感心した。根本的な解決の策は以前から判っている。郡県の守令の人事を一新し、宦官の息の掛かった人間を排除すればいい。だが、それが通る筈がない。宦官は反抗し排除しようとした側の政治生命は一瞬で終わるであろう。


 郡の太守の官秩は二千石。大官である。県令の官秩でも千石もある。それに対し、州を監察する刺史は六百石に過ぎない。どうしても軽い人物が選ばれる。その官秩に見合う程度の人物では太守や県令を抑え切れない。だから牧伯を二千石とし、大官経験者をそれに充てよう、という事である。直接には守令の人事に介入していないので、宦官もこの案には反発しないであろう。


 更に秦漢の牧伯を復活させる、という案もよい。刺史は軍権を持たないが、牧伯は軍権を持つ。広域化した反乱への対応は既に郡の兵力では心許なくなっていた。


 そしてこの意見は帝の「好み」にも適っていた。学問を愛する帝には「秦漢の旧制を復活させる」というのはなかなかに魅力だったようである。


「どこに誰を置くか、よく議論するように」


 かつてない強い権限を持つ秩二千石の地方官が増えるのである。誰が、どこに。激しい議論が開始された。


***


 個人的にお話ししたい、と老人が尋ねて来たのを劉焉は迷惑そうな顔で迎えた。


 老人は董扶とうふ、字は茂安しゅうあん。欧陽尚書と圖讖としんを極め、故郷で道場を続けながらずっと辟を拒んでいた事で高名になった学者である。公車での三度にも渡る招集にも応じなかった彼が、何進の推挙でついに霊帝の侍中になったのはごく最近の事である。その学識を貴ばれ「儒宗」と呼ばれていたが、彼にはもう一つの綽名があった。「到止」という。


「そう警戒なさらなくても結構。別に議論をふっ掛けにきたわけではありませんからな」


 そう言って老人はにやりと笑った。


 到止──到れば止む。董扶が到れば議論が止むのである。董扶は討論の達人として知られていた。


 人払いし二人きりとなった途端、董扶はずけりと言った。


「太常の狙いは交趾こうちとみましたが、如何ですかな?」


 あけすけな質問に劉焉は一瞬戸惑ったが、別段否定はしなかった。


「──言っておくが余は南方の珍産を欲しているわけではない」


 荊州益州の南にある交趾郡ベトナムは、郡であるのに刺史が置かれている。つまり州に準じる扱いの地である。この土地には珍しい産物がいろいろと出る。明璣たま翠羽はね、犀角、象牙、玳瑁べっこう、香に名木。それは派遣された地方官の懐を潤してくれるので、希望者が多い。


「今は少しでも都から離れるべき時だろう。そう考えておる」


 全国で反乱が起き続け、鎮圧もままならない──漢王朝の衰退は誰の目にもあきらかった。だが、それにどう立ち向かうかで二つの立場があった。漢王朝は亡びると思う者と、滅ぼしてはならないと思う者である。

 馬日磾は後者だが、劉焉は前者に属していた。王朝の倒れる時、その下に居ては巻き込まれてしまう。如何に面子を傷つけずに安全な場所に避難するか。牧伯制を提案したのもその一心からに過ぎなかった。


 董扶はなんども頷きながら言った。


「ええ、ええ、そうですな。京師はまさに乱れんとしております。急ぎ逃げ出した方がよろしかろう。そう思います──」


 董扶は圖讖……予言書の類に精通している。その頷きには妙な説得力があった。


「──が、そもそも州でなく、今は乱が起きていない交趾に牧が置かれますかな?」


 そこが劉焉にとっても悩みであった。朝廷での牧伯の配置に関する実務的な議論では、牧が優先して置かれるのは今まさに反乱の起きている州であるべきである、という意見が主流になっている。さらに交趾は郡に過ぎないので州へ昇格させなければ、牧伯の配置は望み薄である。


「私が天文を視ますに、蜀の領域に天子の気があるようです」


 董扶の言葉に劉焉は息を呑んだ。つまり洛陽の漢家は亡び、蜀から新たに天子が出る、と董扶は言っている。劉焉はきょろきょろと周囲を確認した。誰かに聞かれれば命が危ない内容である。


 危うい言葉を放ったにも関わらず、董扶は不思議に微笑むだけであった。その顔を見ているうちに、劉焉は気付いた。董扶が自分に気付かせたい事が何なのかに気付いたのである。


 巴蜀の地は高祖劉邦が天下を取る礎になった場所である。劉邦は都を長安に置いたので西漢という。西漢の天下は王莽の簒奪により一旦潰えたが、光武帝劉秀が幽州の地から天下を取り戻した。都を洛陽に遷都したので東漢という。東漢が滅ぶのであれば、また巴蜀の地から天下を取り返してもいいのではないか?それが西漢王族の自分であるのは必然というものでは?

 劉焉は急に自分の気持ちが高揚しはじめるのを感じた。


(余が、天子に?)


 帝となるにはどれだけの運と力、そして決断と行動が必要なのか、劉焉はさほど考えてはいなかったが、当面の懸案は思い付いた。益州はこれまで牧の派遣先として候補に上がって来なかった場所なのだ。


「茂安殿。今、益州に乱はなく、刺史にはまだ任期が残っている。すぐに牧で置き換えるわけにはいくまい」

 

 この時の益州刺史は郤儉げきけん。貪婪で酷い税制を布いている、という噂は伝わって来ているが、それだけで交替させるのは難しい。うかつに手を出すと郤儉が宦官に運動し自らを益州牧にしてしまう可能性すらあった。


「郤益州は間もなく失脚します。反乱が起きますからな」


 董扶の確信めいた言葉に、劉焉はまたも驚かされることになった。


「……圖讖でそんな事まで判るのか?!」


 澄ました顔で董扶が答えた。


「ええ、綿竹で黄巾残党の反乱が起きましょう。私には判ります」


 綿竹県は益州の州治所であり、刺史の郤儉が居住している。そんな所で反乱が起きたら郤儉は無事では済むまい。


 董扶の澄まし顔の、口角だけが僅かに吊り上がっていた。それを見た瞬間、劉焉は思い出した。


(──確か茂安殿の本貫は)


 廣漢郡綿竹県。ずっとそこで道場を開いていた地元の名士の筈だ。


 董扶の口角は明らかに笑みに変っていた。


「私がこの老体で大将軍の辟に応じたのは、帝にお会いしその命運を占う為です。東漢の天命は間もなく尽きます。それが判ったので都にはもう用がありません。太常殿が益州へ赴任する時、連れて行っていただきたい」


 劉焉は董扶の圖讖の術が、どこまでが予言でどこからが作為なのか判らなくなった。


***


 翌月、早くも樊陵は罷免された。後任はむろん馬日磾。射聲校尉、という宿営兵の指揮官から三公の太尉へと異例の昇進をした事になる。


 ──どうやら俺は馬鹿だったらしい。


 今回の事で自分には漢家というものに愛着がある、と言うことが判った。金も名声も失ったかもしれないが、それでも漢家の崩壊を止めたい。止めねばならない。


 丁度綿竹で黄巾を称する馬相が蜂起し、益州刺史の郤儉が殺された。馬相自体は益州従事の賈龍の反撃で討たれたが、後任の選定は必要だった。馬日磾は劉焉を益州牧として派遣することとした。


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