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俺解釈三国志  作者: じる
幕間12 雌伏と雄飛(中平四年/187)
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6 西園八校尉(中平五年/188)

 洛陽南北宮を中心にした巨大な都市、洛陽城。その西には穀水が南北に流れ、渡った先の丘陵地は皇帝の私的な庭園として禁足となっていた。名付けて西園という。


 狩りに、娯楽にと様々な使い方をされるそこは、広大な空間がある、という理由で閲兵式が行なわれる場所でもあった。


 三年前、邊章と韓遂より長安を守るべく車騎将軍の張溫が涼州へ出発する際に閲兵したのもこの西園にある平樂觀という宮である。既にそこには数万の歩兵、騎士が美々しく整列していた。


(こんな事になるとは)


 曹操はこれから起こる事をあれこれ推測し、その上で推測を止めた。予想外の事態過ぎたのである。


 十月甲子の日に閲兵をするので、鎧を着て参集せよと言われた。これは予想できた。


 だが、平樂觀前に来て驚いた。


 平樂觀の前に高さ十丈にじゅうさんめーとるにも及ぶ巨大な土壇が築かれていた。


 そこに美しい彫刻のある棒が立てられ、その棒から四方へ布が展開されていた。五色で彩られた布が実に十二重。巨大な傘を形成していた。明らかに帝が来られる準備である。


 ただ、土壇、というのが気になる。土壇は儀式の場所である。単に高い所から見下ろすなら、平樂觀の高楼に登ればよいのだから。


(それにしてもここは……)


 曹操達が登らされたのは帝の土壇の東北に位置する少し小ぶりな土壇。ここにも九重の傘が広げられ、そこには大将軍、何進が鎧姿で既に安座していた。

 

 巨大な土壇の東北に位置するここは、兵から見れば帝の土壇の右奥に引っ込んだ形になる。


(我々は帝の儀式の脇役、というところか?)


 曹操は何進の後ろに鎧姿で他の七人と整列させられている。


 曹操の左にはどうにも鎧の似合わぬ趙融。右には美陽の戦いで戦果を挙げた鮑鴻がいる。袁紹はその向こうに居て、右ばかり睨んでいる。


(これが一番わからん)


 袁紹の右。最も上座に立っているのは薄い鬚を生やし、隆々たる腕の筋肉を袖から見せる巨漢──宦官の蹇碩である。


 蹇碩は宦官ではあるが、野太い声、たくましい筋肉、薄い鬚をいまだ保っていた。祖父曹騰の様に幼少期に宮された者ではなく成年してからの自宮なのであろう。後宮では物珍しく故の帝のお気に入りである。


 かつて曹操は洛陽北部都尉だった時、この蹇碩の叔父を撲殺し、蹇碩の面子を大いに潰した事がある。だが、三つ右隣りに立つ蹇碩は、涼しい表情で、袁紹の睨みも曹操の存在も一切気に掛けていない様に思えた。


 やがて帝が土壇上に現れた。


「あ」


 小壇上の蹇碩以外の八人全員が思わず声を漏らした。土壇の前を埋める万を超える兵士たちからもどよめきが起きる。

 現れた帝劉宏は鎧姿だったのである。


「皇帝、臣宏は皇皇后帝てんていに敢えて申し上げます。不敬有罪のほどお赦しください」


 劉宏は手元の簡を自ら読み上げる。


「四海の内は皆兄弟と思い、これまで寛容に治めて参りました。しかしながら、仁をないがしろにする者が後を断たず、海内の民は皆苦しんでおります。彼らを征伐することで臣宏は天下に道有る事を示したいと思います」


 曹操は帝の天への報告を、まさか、という気持ちで聞いた。


「この身は敢えて無上将軍と名乗り、朕自ら賊を征伐して見せよう!」


 そう言って劉宏は力強く拳を突き上げた。

 誰かが指示したのであろう。兵達が喚声で応じた。


 小壇の上では七人が思わず左右と顔を見合わせていた。趙融などは口があきらかに動いていた……「雑号?」と。


 帝の下に大将軍あり、驃騎に車騎将軍あり、と将軍には序列が決まっている。その序列の中に無上将軍という将軍号はない。となれば最下位の雑号将軍、ということになる。帝はわざわざ低い地位に自らをおとしめた事になる。


(いや、帝は大将軍より上に無上将軍を制定なされた、そう見なければ……)


 曹操がそんな事を考えている間に、壇下では選部尚書が進み出て、竹簡を広げていた。

 

「これより、無上将軍の手足となる八名を発表する」


 小壇上の八人は注目を感じ、威儀を正す。


「小黄門蹇碩を上軍校尉に除する」


 蹇碩は薄く微笑んで拱手で応えた。


(席次で判ってはいたが……やはり宦官の蹇碩が最上位か)


 曹操が見るに宦官の下風に付かされた袁紹は相当怒っている様に見える。


(絶対に殺す、とか考えている顔だ)


 袁紹は大将軍に取り入っている。帝の不興を買いそうではあるが、大将軍の権限を使えばできないことでもない。


「虎賁中郎将袁紹を中軍校尉に除する」


 袁紹は苦虫を噛み潰した顔を無理して笑顔に転じさせていた。


「屯騎都尉鮑鴻を下軍校尉に除する」


(俺はこいつ以下という扱いか?敗軍の将だぞ?)


 蹇碩が首座であることも、袁紹が上位にいることも、縁故だろうから曹操にはどうでもよい話だった。だが鮑鴻は違う。実戦経験者として自分の方が上だろう、という自負が曹操には──無根拠に──あった。


「議郎曹操を典軍校尉に除する」


 帝へ向け拱手で応えながらも曹操は疑問を晴らせなかった。


(んでこの校尉というのは何だ?職分と権限と序列上下の差が判らん。雑号将軍との違いは?)


 その間に助軍校尉、佐軍校尉、左校尉、右校尉と壇上の全てが紹介されていく。


 後に西園八校尉と呼ばれる八人が全て紹介され、またも兵達の喚声の起こる中、曹操は思索の迷路に入り込んでいた。


(典軍校尉ってのは下軍校尉の属官なのか別部なのか?実際が今一つ判らん。もやもやする)


 その思索は帝の宣言により強烈に断たれた。


「上軍校尉蹇碩は壮健にして武略がある。故に蹇碩を元帥となし司隷校尉を督させる。大将軍をも領属させるものと心得よ」


 蹇碩は傘の中から歩み出て、何進の前に立つ。蹇碩が恭しく応える中、小壇上の残る八人は凍り付いていた。


 曹操はちらりと袁紹を見た。顔は引きつり、眉根は歪み、口をあんぐりと開けていた。多分、自分も同じ顔をしているだろう。前に居るので全く見えないが、大将軍もそんな顔になっているだろうと思った。


 八人の校尉の序列どころではなかった。司隷校尉を督す、と言う事は洛陽の司法の上に居ると言う事である。もはや帝以外の誰も蹇碩を裁くことはできない。元帥として大将軍を領属するということは、軍の最高責任者であると言う事である。大将軍すら処罰できるという事。更に言うと、宦官の名誉職である車騎将軍をも凌駕するわけだから、小黄門ながら大長秋の趙忠より序列が上ということになる。


 蹇碩を司法をもってどうにかする、という合法の手段は塞がれた。武力闘争でカタを付ける、という無法の手段も失われた。


 ──無敵じゃないか。


 蹇碩の落ち着き払った様子は、帝の寵愛が自分にもたらす力の大きさを知っていたからか。曹操は一人の宦官にここまで強力な権限が与えられた例を知らない。


 党錮の激動の時期が終わってから都に上り、陽球と宦官が激闘した時期には洛陽を離れていた曹操は、宦官の専横を知識で知っていてもこれまで体験していない。つまり世間知らずだったのである。


 馬に乗って行進する帝を見下ろしながら、今日この日、曹操は帝の寵愛というものの恐ろしさをようやく知ったのである。


(了)


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