5 怪力(中平五年/188)
中平四年十一月。
卞夫人が産んだ赤子をあやしている曹操の元に、洛陽の夏侯惇から火急の連絡が来た。曹操の喜びを打ち消す程の報告が。
父、曹嵩が太尉になったのである。
太尉は皇帝の諮問を受ける三公の一角。中央官の頂点である。
(これじゃぁ俺が世に出る目はない!)
一族から三公を輩出したのである。譙ではお祭り騒ぎだったが、曹操の絶望は深かった。ただ夏侯淵だけが同情してくれたものである。
曹嵩は軍事の才能も知識も見識もない。実際それ以降、漢の反乱対策は後手に後手に回っている。
十二月。まず涼州武威郡で休屠胡が反乱した。胡賊は東の并州に向かい、州境の西河郡で太守が殺され、さらに太原まで雪崩込んだ彼らにより刺史まで殺された。
年が明けて中平五年二月。休屠胡が荒らした并州で白波谷の賊が挙兵した。休屠胡が州郡の行政官を殺した為に無法地帯となった并州を支配し、河東まで侵入してきた。
この時点で
・涼州……韓遂と先零羌
・并州……休屠胡と白波賊
・冀州……黒山賊
・幽州……張純と烏桓
と、漢の北側全ての州で賊が蜂起している事になる。曹嵩はこれに効果的な手を打てなかった。
四月、豫州汝南郡でもう一つの反乱が起きた。
汝南の中央、新蔡県に葛陂という地がある。ここで突如黄巾賊の残党が蜂起したのである。汝南は潁川をはさんですぐに洛陽、という土地である。そこへ一万を超える黄巾が現れたのだ。
これが帝に二つの決断をさせた。
一つ目が曹嵩の罷免である。もう一つが────
「これでやっと息が出来る」
不敬と判っていても思わず口に出てしまう。この長い休暇を楽しむには、曹操はあまりに若過ぎたのである。
「持つべきものは友だ」
父曹嵩が罷免された事で、ようやく官界に復帰できる条件が整ったのである。そこへ友人である袁紹から、新設する軍へ将として招聘するという内示がやってきたのだ。
(まさか、帝が常備軍を編成なさるとは)
洛陽城を護る禁軍だけでは反乱鎮圧には足りない。かといって遠征軍を都度徴募して編成していては後手に回る。軍を編成し常時訓練待機させておけば精強な軍が迅速に手配できる。
(予算が凄いことになるが……ああ、売官で潤っているか)
そんなこんなで譙の郊外、曹操の精舎は洛陽への引越しの準備で大忙しになっていたのである。
心残りは夏侯淵の事である。
葛陂黄巾は未だ鎮圧されていない。四年前の黄巾同様、彼らは無闇に略奪して回る賊徒と化していた。その葛陂黄巾がこちら沛国に向かっていると言う。
沛国は汝南郡と隣接しており、譙は汝南に最も近い県である。
曹操は一家を挙げて洛陽へ向かうから被害を受けることはないだろうが、譙の城外で夏侯惇の分まで農地を守っている夏侯淵が被害に合うのではないか、曹操はそれを心配している。
(妙才の一家を父の廛に移した方がいいか?)
譙の県城の外にある父の廛は譙の県城より堅牢である。賊が襲いかかって来るような状況ならそちらの方が安心だろう。
だが葛陂黄巾は曹操の目の前には現れなかった。譙に近付いて来た葛陂黄巾は直前で突然回れ右して西に戻って行ったからである。
なぜ譙という「おいしい」獲物を前に帰って行ったのだろう?その疑問を胸に曹操は洛陽へ旅立った。
その旅の途上、曹操は一つの噂を聞いた。
葛陂黄巾は一人の男の腕力に恐れを為して西に逃げ戻ったのだという噂を。
***
譙の西に一つの里がある。そこには少し心配症の大男が住んでいた。四年前の事である。黄巾の乱が起きた事で男は思った。
「みんなをまもらなきゃ」
男は、土木工事を始めた。里に高く厚い壁を作り、砦にしようとしたのである。男は怪力で一人で土を運ぶ事も丸太で突き固めることもできた。少しずつ版築の城壁が形を為して行く。男の熱意は里の少年に伝染した。そして最後は宗族数千家にも。
葛陂黄巾がぶつかったのは彼とその一族が全力で作った私設の砦だったのである。
防御施設相手とはいえ葛陂黄巾は一万を超える大軍である。砦を包囲すると力攻めを開始した。男は城壁に取り付いた黄巾賊を蹴落として回った。一族の若者も用意した矢を射ち尽くす奮戦だった。だが、それは根本解決にはならない。城を破られるのは時間の問題だった。
疲労困憊の状況で男は叫んだ。
「いし!いし!あつめて!」
老若男女が手頃な石を城壁に集める。男はそれをわし掴みにした。振りかぶって「フン」と鼻息を鳴らし、投げる。ヒュオッと風切り音がするたび湿った音と赤い血しぶきと黄色い布が宙を舞った。
黄巾は男の鼻息を聞くとあわててしゃがむ様になり、やがて礫が届かない程遠くに陣を下げ、砦を囲むことに専念しはじめた。
官の砦ではない。生活が楽なわけでない中から兵糧を貯える民の砦である。食料はみるみる無くなっていった。
「こまった、おなか、へった」
男は弱りきっていた。大食漢なのに遠慮したからである。
誰かが言った。
「仕方無い。牛を潰そう」
牛は食料ではなく農作業の相棒である。祭の時でもないのにこれを食べると言うのは本当に最後の手段である。
男は牛舎へ行った。牛を引きずりだし、短刀を抜いた。
牛がモォーと小さく鳴き、涙を流した。
「できない……」
愛着のある牛を自分では殺せないことを知った。
男は城壁の上から黄巾賊に呼びかけた。
「うしとたべものをこうかんしないか!?」
何故か黄巾賊は了解した。たまたま牛の肉を食べたかったのかもしれない。
牛を連れて男が城門を出た。黄巾賊に牛を渡し、交換にもらった粟の袋を担いで砦に戻った。
砦に入ろうとしたところで、男の背後で騒ぎが起きた。黄巾賊に連れられた牛が暴れ出し、賊を振り切ったのである。
牛は涙を流しながら男の所へ戻ってきた。
「おまえはもうひとにあげたものだ。もどってくるのはよくない」
男は空いている方の手で牛の尻尾を掴んだ。そのまま片手で牛を引きずって黄巾の陣に向かった。牛はその豪力に抗えず、ずりずりと引きずられていく。男が百歩ばかり進んだところで黄巾賊たちは気付いた。自分達の目前に近付いてこようとするのは常識を超えた怪物なのだと。そう思うとその雄毅な容貌も、巨大な肉体も、恐ろしくてたまらなく思えてきた。そして黄巾賊は我先にと逃げ出した。
***
というのが豫州に広まった噂である。
(……そんなバケモノ、本当に居るなら見てみたいな。こんな時でも無ければ会いに行くものを……許褚か。覚えておこう)
曹操が許褚、字は仲康、という若者と出会うのは、少し先のことになる。
***
洛陽に着いた曹操は旧宅への道を急いだ。
(元讓を労ってやらねば。四年もの間留守宅を守ってくれたんだからな)
中平元年の黄巾の乱の功で濟南国の相として赴任する為、洛陽を離れた曹操が洛陽に残した耳目が夏侯惇である。自分が読書と狩りにうつつを抜かす間、苦労を掛け続けたと思う。止むを得ず官を離れた曹操にとっての希望でもあった。
懐かしの我が家に帰り着いた曹操が見たものは
「あ?」
「あ」
妻と子供たちに囲まれる夏侯惇の姿であった。
「……なんでこんな大事なことを連絡しない?」
曹操は詰め寄った。
「いや、だって妻を迎えたのは私事に過ぎないし……」
「お祝いくらいさせろよ……妙才には言ってあるのかよ」
「いや、それもまだ……」
夏侯惇は照れ臭そうに笑った。
***
「お前をねじこむのに骨が折れたぞ」
議郎に復帰した曹操を迎えてくれた袁紹はそう言ってニヤリと笑った。
「大将軍のお気に入りになってるそうじゃないか」
曹操もそう応酬し、やはりニヤリと笑った。
「孟徳、大事を為そうというんだ。俺は権力を利用する事は辞さないぞ」
「子遠は気に入らなかったようだがな」
四年ぶり、という時間は何の支障にもならなかった。再会は和気藹々としたものだった。
「俺が知る限り、今回都に召喚された中で実戦の経験のある将は孟徳だけだからな。頼りにさせてもらうよ」
「と言うことは、皇甫車騎は呼ばれていないのか……」
「前車騎、な」
張讓が居て皇甫嵩にそんな栄誉を与えるわけがないだろう?袁紹の顔はそう言っていた。
「討伐軍を常設する、というお考えは畏れ多くも陛下がご自身でご発案なされたものだ。反乱が起きる度に討伐軍を編成していては出陣が後手に回ってしまうのを気にしておいででな。実際こうも反乱が常態化してしまうと、討伐軍の方も常設しておかないと間に合わん」
袁紹はため息をついた。
「建軍と動員の建てつけは馬太尉が取り仕切られたんだが──」
「翁叔殿なら安心だ」
曹操は議郎だった時、馬日磾とは面識があった。父が太尉の時にはできなかったろう、とも思った。
「──将の人事は陛下が温められている。つまり詳細がわからん。大将軍に推薦していただいた中で、俺とお前、天水の趙融殿、、あと淳于瓊が呼ばれている」
袁紹の声が小さくなる。
「……おそらく宦官共が誰かをねじこんでくるだろう、と予測している」
袁紹も、そして曹操も、しょうがないな、という顔になった。
「だが、洛陽に常備軍は必要だ」
ここで袁紹の声がさらに小さくなった。
「一朝事ある時、禁軍は頼りにならんからな」
袁紹のいう「事」が挙兵しての宦官誅滅であることは「奔走の友」の中では常識だった。そもそも大将軍何進への接近したのもその為である。そして袁紹は虎賁中郎将を勤めており、禁軍の実力を把握していた。実際、陳蕃と竇武の政変でも禁軍は宦官に対してほとんど役に立たなかった。
袁紹は洛陽に大兵を投入する事が宦官殲滅に必要だと考えており、大将軍から帝にこの言葉を伝えさせたのである。
「太公六韜にこうございます。天子は兵を率い威を以て四方を抑えるべし、と」
帝劉宏はこの言葉を喜び、兵の編成を命じた。
今回の常備軍設立はその運動が実ったものである。
「そこまでする必要が有るのかね?寵愛を楯に罪を犯す奴がいるなら、獄吏の一人もいればいいだけじゃないのか?」
曹操としては武力で宦官を打倒する、という考え方には反対なのだが、自分が宦官の家の出なのでこの件には少々口出ししづらい。袁紹も曹操が言いにくそうにしている理由が判るので、出自には触れない様に答えた。
「孟徳。お前は帝の寵愛を甘く見すぎだ。李元禮も、陽方正も、司隷校尉として宦官を裁こうとしたが逆に滅ぼされた。寵愛というのはそれほどのものだ」
「竇游平と陳仲舉は武力に訴えたが滅ぼされたぞ」
「帝の身柄を押さえずに始めたのが手抜かりよ。常備軍は帝に直属だ」
帝の身柄を確保できれば誰にも邪魔されない、と袁紹は言っている。袁紹の考える「大業」の前提が整いつつあった。




