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俺解釈三国志  作者: じる
幕間12 雌伏と雄飛(中平四年/187)
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3 馬商人

 涿郡も北側の端にもなるとは朝はまだ寒い。簡雍かんようは、温めた薄い酒を客人の杯に注いだ。


 簡雍、字は憲和けんわ。この涿の国境近くで馬宿をやっている平凡な親父である。南からやってくる馬商人を泊め、北の烏桓の居留地に案内し、烏桓との通訳と価格交渉を代行し、馬の運搬を手伝い、手数料を頂戴する。それが生業である。


 今日のお客は中山国から来た張世平ちょうせへい蘇雙そそうの二人。常連の馬商人で上客である。だが簡雍はこの二人を苦手としている。真面目な性格の二人には、簡雍の得意とする艶笑話が通用しない。つまり間がもたないのである。


 酔わない程度の酒で接待を続ける簡雍の後ろに男がひとり静かに立った。


「おやっさん、準備が整いました」


 肩につきそうな長い耳たぶを持つ男が耳打ちしてきた。この男は劉玄徳。簡雍の馬宿に腹ぺこで転がり込んで来た男である。飯を食わせる代わりに働かせていたらいつのまにか若衆たちの取りまとめやら宿のあれこれやらを全部やってくれる様になった。

 

 簡雍はそれを聞いてゆっくりと立ち上がった。


「先生方、準備ができましたので車の方へどうぞ」


 最近の簡雍は客の接待しかしないで済んでいる。ずいぶんと楽ができるようになった。

 

***


 北へ向かう車の前方には見渡すかぎりの広大な平原が広がっている。ここまで来るともはや農家の一つも建っていない。ただ抜けるような青い空がのしかかってくるのみである。


 劉備たち手下の馬が先導して案内し、簡雍が禦する車に張蘇二人の商人。そして二人の護衛たちの馬が続く。


 道とは名ばかりの草原である。車の乗り心地は良くはない。今日の烏桓の集落までは四半刻もある。馬を禦しながら簡雍はちらちらと客人を気遣う。


「おやっさん!前!」


 玄徳の声で簡雍は前方に烏桓らしき二騎の姿に気付き、車を止めた。


「警戒!」


 玄徳が周囲の手下に警戒を促す。時に烏桓は売り手から略奪者に変貌し、商人の銭を狙って来る事があるからだ。


「烏桓が迎えに来ることがあるのかね?」

「いや、記憶にないことですな」


 張世平の疑問に簡雍が答える。


益徳えきとく!話を聞いて来い!」


 玄徳が若衆の一人に命令する。がっちりした体格の若者が馬から降りて走って行く。国境沿いで育った烏桓の言葉を話せる一人である。


 烏桓二人も馬から降り、益徳となにやら話をはじめた。


「言い争っている様に見えるな」

「……なんでしょうね」


 張世平にも簡雍にも、それは口論にしか見えなかった。


 しばらくして、益徳がこちらに向き直って肩をすくめてみせる。議論決裂の雰囲気である。烏桓の二人は横に連れていた馬の前足に足払いをかけた。馬はころんと横倒しになり二人は素早く横倒しになった馬の背をまたいだ。馬が起きた時、二人はすでに乗馬の体勢を整えており、すぐさま彼方の方向に去って行った。


「烏桓は何を言って来た?」

「もう漢人に馬は売れない、帰れってさ」


 これが戻って来た益徳の答えである。たちまち張世平と蘇雙の顔が曇る。


 消え行く烏桓二騎を指さして益徳が答える。


「東の烏桓が朝廷に反乱したらしいぜ。薊が焼かれてそこから東は大変なことになってるってさ」


 薊は幽州の州治所である。そこが混乱して西の涿郡辺境まで情報が回って来なかったらしい。


「それで何故、馬を売らない、という事になる!?」


 張世平が益徳に詰め寄り、声を荒げる。それで護衛達が殺気立ちはじめる。


「あんたら烏桓から買った馬を官軍に売るんだろ?でもそれって東の烏桓への裏切りじゃん?」


 客に対して少々ぞんざいな口調で益徳は答えた。


「さっきの二人が嘘を言ってるのかもしれんぞ。集落へ行けば売ってくれるかも」


 蘇雙の希望的な観測。だがそれは玄徳に斬り捨てられた。


「いや、いつもの集落まで行ったら殺される。ヤバい匂いがする。あの二人はこれまでの付き合いに免じて親切に教えてくれたんだ」

「……」


 閉塞感。あきらかに場の雰囲気は悪くなった。


 蘇雙が張世平に耳打ちをする。


 張世平は咳払いをした後、簡雍に詰め寄った。


「どうしてくれるんだ?あんたの不手際だぞ」


 自分が非難されるとは思っていなかった簡雍はびっくりして数寸飛び下がる。そこへ蘇雙が追い打ちを掛ける。


「烏桓との交渉はあんたの責任だろう?我々がどれだけの財を費してこの辺境へ来てると思うんだ」

 

 さすがに簡雍にも判った。彼らはここでの損を減らすため、難癖を付けて宿代その他を踏み倒す気だ。


 簡雍は計算した。相手はお得意さんである。ここで損しても、次の次くらいで取り戻せるのではないか?


「し」


 ─かたありませんね、と簡雍が言おうとした所で、玄徳が「オイ!」と叫んだ。


 くぐもった声が幾つも響いた。


「え?」


 簡雍は、若衆達がそれぞれ短刀を抜き、護衛たちを刺しているのを見た。劉玄徳が蘇雙を、張益徳が張世平を刺していた。


「ええっ?」


 簡雍は、自分の使用人達は多少なりと荒くれた所があるとは思っていた。だが、殺人ができる連中だとは思っていなかった。


「玄徳?」


 これはどういうことだい?簡雍がそんな視線を送ると、劉備が声を張りあげた。


「お得意さんが烏桓に殺されちまった。いいな?」


 そういうことにする、という事だ。皆が頷いていた。


「国家に乱をおさめる力はない。乱はしばらく続くだろう。馬を売ってもらえなきゃこの商売はなりたたねぇ。干上がっちまう前になんとかしなきゃな」


 若衆達はそれを神妙に聞いている。


「だからこれを期に店を畳もうと思う」


 勝手に店終いをされた。簡雍は自分が店の主人だと思っていたが、いつの間にかそうでなくなっていた事を知った。


「ここで別れるなら銭は持たせてやる」


 劉備はしゃがんで蘇雙の骸を指さした。それでは山賊ではないか!簡雍は思ったがその反発が若衆の誰からも感じられなかった。


「だけどよ、俺について来るなら、食いっぱぐれの無いようにしてやるぜ」


 張益徳が、若衆達が、拳を突き上げ歓声を挙げた。


 劉備がやっと簡雍に向き直った。


「勝手してすまねぇ、おやっさん」


 劉備は謝罪しているつもりらしかった。実際申し訳ない、という顔はしていた。だが、取り返しのつかないほどに人生がねじ曲がったのである。簡雍は悲しみに満ちた顔で応じた。


「知らなかったよ。人殺しさせる程、お前はあの子らを心酔させていたんだね……」


 それを聞いた劉備は何故か照れ臭そうに笑った。


「おやっさん、こんな事になっちまったけど、あんたは俺を拾ってくれた恩人だ。ずっと面倒見る。約束する」


 そう言って劉備は簡雍の両肩に手を置いた。


「だから俺のそばで、俺がどこまで行けるかを見ててくれよ」


 簡雍は得体のしれない何かに巻き込まれたことを感じた。


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