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俺解釈三国志  作者: じる
幕間11 天下に両首の徴し有(中平四年/187)
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4 東へ。そして西へ。

 とぼとぼと、とぼとぼと、西へ向かって公孫瓚の隊列は進む。その速度は恐ろしいまでに低下していた。一里進んでは休み、一里進んでは休み、ほとんど一箇所に留まっているに等しい。糧秣の差配を担当する主簿は、留まる事で浪費されて行く糧秣にますます不安になってきたが、公孫瓚の吊り上がった目、眉間の皺、こめかみの血管のそれぞれが、俺の機嫌は最悪である、と主張するので、何も言えないでいた。


 実の所、公孫瓚はただ機嫌が悪いというわけではなかった。その頭脳は二つの考えを天秤に掛け、どちらが最善かを悩み続けているんのである。


(このまま部隊の残りを涼州へ届けて任務を全うすべきか……)


 主力である烏桓三千騎が脱走したからといって、涼州への移動が取り止めになったわけではない。これを勝手に放棄するのは許されないであろう。だが、烏桓三千騎の脱走を許したこと自体、許されることではないだろう。


(それとも部隊を離れ、洛陽へ急行し棺桶を担いで許しを乞うか)


 罪に問われるくらいなら、先に謝罪してしまって助命を願う方がましというものだ。


 一番望ましいのは烏桓を説得しもう一度涼州に向かうことだが、秣の配分がどうにもならない以上、無理な話であろう。


(あまり涼州に急がない方がいい)


 洛陽に謝罪に向かう事を考えるならできるだけ洛陽に近い所に留まりたい。公孫瓚が行軍速度を大幅に緩めたのはそれが理由である。


 そして夜毎に滞在する亭で幽州の状況を聞くたびに公孫瓚の顔色は怒りと恐怖でどんどんどす黒くなっていった。


 曰く、戻った烏桓兵が反乱し、薊を焼いた。

 曰く、護烏桓校尉が、右北平郡と遼東郡の太守が殺された。


 そして遂に、洛陽からの書状が、公孫瓚にもたらされたのである。


(来たか──)


 おそらく都への召喚状であろう。更迭され、罪に問われるものであろう。そう覚悟して開いた公孫瓚に、意外な命令が待っていたのである。


***


「今度は幽州を放棄しますかな?」


 朝議の場で不調法にも誰かが言った。クスクスと笑う声が続いた。太尉の崔烈は腹底からこみ上げてくるどろどろした怒りを自制するのに苦労した。


 幽州の状況は日に日に状況は悪化を続けていた。今日はまた最悪のものを帝に披露しなければならない。


「陛下。大変畏れおおい事でありますが、賊より書が送られて参りました」


 朝議はどよめく。近年色々な反乱が起きているとはいえ、賊が書状を送って来たのはこれが初めてである。


「ふむ、読み上げるがよい」


 帝、劉宏は興味深い、という体を隠さなかった。おもしろがっているのである。


 崔烈は手中の竹簡を握り締めた。読み上げる前に辞職したい、という強烈な欲求を感じる。震える手に気力で抗いながら竹簡を広げた。尚書から小さなどよめきが起きる。崔烈の手中には皇帝の詔に使われる尺一の竹簡が握られていたのである。


「東の天子たる張舉より、西の天子たる劉宏へ書を送る」


 群臣の反応はどよめきというより轟きに近かった。


 実のところ、反乱分子が王なり皇帝なり天子なりを勝手に自称する事は度々あった。朝廷では失笑しながら鎮圧したものである。だが対等を気取って文書を送りつけてきた例はない。諱で名指しするなど不敬極まりない。


「朕が漢家に代わり天命を受け継ぐ。漢家の天子は退位なさるがよい。我が公卿として迎えよう」


 読み終えた時、崔烈は汗だくだった。冷たい汗だった。不敬なものを天子に読んで聞かせてしまった恐怖からである。


 とっさに地面に這い、叩頭して謝罪しようとした。


 帝劉宏はそれをやさしく止めた。


「賊の夜郎自大を太尉が謝罪することはあるまい。兵を派遣し、しかるべき刑を与えるように」


 帝の裁可は下った。反乱に対し朝廷がやることは変らないのだ。


 だが、鎮圧軍をどう編成するか、という話で太尉府は揉めに揉めた。


 一番望ましいのは皇甫嵩だが、先年更迭されたばかりだし、張讓と対立している人物を使うのは避けたい。一番ふさわしい、という意味では大将軍の何進、車騎将軍の何苗だが、この兄弟に軍事的な実力が全くないのを崔烈は知っている。たかだか滎陽賊の討伐を成功させるのにどれだけの支援が必要だったか。それを辺境で実現するのは悪夢に近い。

 張溫も更迭に近い状況で司隷校尉に異動したばかり。董卓は応じないだろう。朱儁は母の喪に服している。


 つまり朝廷には今、有力な将も十分な兵も居ないのである。それが居たら黒山賊などとうに鎮圧している筈だ。


「やはり公孫瓚にやらせる他ないか……」


 勇猛で、土地勘があり、経緯が判っていて、烏桓の言葉ができる。だが、同時に崔烈はこの結論を否定したい気持ちでいっぱいになる。


「だが彼はこの件で罰せられるべき人物……」


 公孫瓚が烏桓三千の脱走を許したのがそもそもの発端である。その罪は多大で、とても鎮圧の功で雪がせるわけにはいかない程である。だが、それはまだ許容できる。

 実のところ、公孫瓚に張純討伐を命じる以上、実はそれなりの地位がないと戦えないのだが、それを与えるとその時点で褒美になってしまうのである。


 公孫瓚を護烏桓校尉の後任にする。

 公孫瓚を幽州牧にする。

 公孫瓚を征北将軍にする。


 公孫瓚の現職は烏桓三千の監督という臨時職に過ぎない。どれを採っても栄転にしか見えない。


「現職のまま戦ってもらう他無いな。その分裏からの支援を手厚くして……」


 この曖昧を許す判断が漢家の寿命を損なう事になる。


***


「また駅馬だ」


 地面に寝そべる雑役夫が蹄の音を聞きつけた。


「多いな。一日に何回往復させる気なんだ?」

「都との間で何か交渉している様だな」


 役人は謹厳の風を装う為に立ったままである。


 洛陽から書状が届いて以降、一行は完全に移動を停止し、ただ駅馬だけが公孫瓚の居る亭に出入りしている。


「詳細はさっぱりだが」


 役人は下っ端である。そこまで公孫瓚と親しい地位ではないし、親しくなりたくもない。ここしばらくの公孫瓚の不機嫌から遠い場所にいられるのは幸運だと役人は考えていた。


***


(何か、思いもよらん流れになったな)


 公孫瓚は苦笑した。


 最初に太尉府から来た書状は、涼州へ物資を送る荷駄隊を分遣し、残りの部隊を率いて幽州の烏桓の反乱を討て、というものだった。


 手元の僅かな歩兵ではとても無理である。恐縮してその旨を伝え、お断りした。罰されること覚悟の上である。


 だが、太尉府からの返信には、冀州の黎陽営の騎兵の借用を許す、と書かれていた。黎陽騎兵は漢家が北東の切札にしている常備騎兵である。驃騎將軍が鮮卑を討伐する、などという時に使う兵力である。


 それでも歩兵が足りない。その旨返信した。太尉府からは郡兵の編入を許す、とあった。驚愕した。それでは実質幽州牧ではないか。


 面白くなってしまった。


 もし張純の反乱軍が幽州から冀州青州へ侵攻したらどうすればいいか聞いてみた。張純の討伐に於いて公孫瓚の権限は州境を越えてよいとの判断が下った。


 大軍になるが補給はどうすればいいかも聞いた。冀州に貯えられた対異民族用の軍実の利用を許された。


 これは州牧なぞというケチなものではない。これでは征北将軍の大遠征ではないか。太尉府は反乱を鎮圧したいあまり、大判振舞いをしすぎている。


 そこで気付いた。


(これ、鎮圧しないで賊を少しのさばらした方が美味しいな)


 声を出して笑った。久々の事である。


 亭に割り当てた自室から出て来た公孫瓚は朗らかな顔で宣言した。


「部隊を二つに分ける!武器の輸送をする荷駄はそのまま涼州へ向かえ。残りは幽州へ戻る!忙しくなるぞ!」


 役人と雑役夫は顔を見合わせ、頷き合うとそろって涼州への荷駄隊を志願した。幽州への里心のついた者も多く、それは簡単に認められた。


 役人の名は程普ていふ徳謀とくぼう。雑役夫の名は韓當かんとう義公ぎこう。二人は長安で運命と出会う。


(了)


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