3 両頭児
烏桓三千は不足する秣と馬の体力と相談しながら、苦難の旅を続けた。馬の胴を締めつける両足がごつごつしたあばら骨を感じる度、烏桓達は馬に謝りながら北への道を急いだ。留まっていても秣が増えるわけではない。時間は敵なのだ。往路に通過した宿営地に残った秣を食い繋ぎ、なんとしてでも故郷に帰るのである。
ようやく幽州の県治所、廣陽郡の薊県に入った烏桓達だったが、そこに安堵はあっても喜びは無かった。別れ際、公孫瓚から警告されていたのである。
「お前達脱走兵には必ず処罰がある。薊で刺史殿からの裁きを待て」
ここから更に東の果て、遼西へ帰るのは簡単だが、それでは一族全てが処罰される。望郷の念をぐっと堪え、県城に出頭しようとした烏桓達を予想外の人物が待っていた。
「皆、苦労した様だな」
烏桓の大人である丘力居である。遥か遼西に居ると思っていた大人が薊で待っていて、帰って来た一人一人の背中を抱いて労ったのである。烏桓達は予想外の事に呆然とし、そして感激した。
「王よ、申し訳ございません、我らは脱走の罪を犯しました」
烏桓達は涙を流し丘力居に謝罪した。丘力居は一族に対し「王」を称していた。明確に漢家への反逆だが、どうせ漢人には烏桓の言葉が判らない。だから丘力居は人目を気にもしていなかった。
「何、罪など問わせなければ無いのと同じよ」
そういうと丘力居は後ろを振り向いた。そこには見慣れぬ漢人が二人立っていた。丘力居は漢語で二人に話しかけると、漢人の一人が右手を挙げ、県城を指さした。
丘力居は宣言した。
「疲れている所悪いが、これより県城を攻め落とす!」
***
少し時は遡る。
烏桓兵三千の脱走は、本人達の移動よりもずっと先に薊の県城に伝わっていた。いかに騎兵といえども郵の速度には勝てないからだ。
この情報を、州郡の官吏でもないのにいち早く得た人物がいる。幽州は漁陽郡の張純である。
張純は以前宦官に周旋してもらい冀州中山国の相となって私腹を肥していた。黄巾の乱の為に辞任したことで、賄賂の元を取り損ねた、という無念を抱えて漁陽に帰って来ていた。
二年前、張溫が三千の烏桓突騎を要求した時、張純は閃いた。烏桓三千の指揮官になれば、予算の着服が捗る、という事に。国家を貪ろうとする士太夫にとって、涼州というのは実に魅力的な場所なのである。
金を送り宦官達に猟官運動をさせた張純だが、騎兵運用の実績があったわけでも、烏桓の言葉ができるわけでもない。欲しかった地位は両方を兼ね備えた公孫瓚のものとなり、張純には賄賂の出費だけが残った。
諦め切れない張純は、なんとかして公孫瓚を引きずり落し、自分が後釜に座るために情報収集を欠かさなかったのである。
張純は郵からの漏洩で烏桓三千が脱走し戻って来ることを知ると、張舉を訪ねた。張舉は以前太山郡の太守をしていた──つまり太山で私腹を肥していた──男で、張純には気心の知れた親戚である。
「烏桓が薊に帰って来る」
張舉は意味が判らず、きょとんとしていた。
「脱走に相応の罰を与えるよう、公孫瓚が刺史に連絡していた奴だ」
張舉は張純の関心を思い出し「それで?」と聞き返した。
「罰が与えられるくらいなら、いっそ暴れてやれ、と思っているに違いない」
張純は断定した。
「今、涼州の賊を朝廷はどうにもできていない」
張純は今、剣呑な事を言い出そうとしている。張舉は理解した。
「おう」
その上で先を促した。
「洛陽で頭が二つある男の子が生まれたという話、知っているか?」
都の風聞はこの辺境へも伝わって来ている。張舉は応えた。
「ああ、一昨年に続いて、な。何かの兆しかと皆の話題だよ」
「これはな、漢の祚は衰え尽くした…天下に二つの主があってもよいではないか、という徴だ。そう説明できないか?」
つまり庶民をそれでだまそう、というのだ。
「お前と俺とで烏桓を動かし、取ってやろうぜ……天下って奴をよ」
張純が張舉の胸にこぶしを当てていった。張舉は笑顔で頷いた。邪悪な笑みだった。
***
燃え上がる薊の役所を眺めながら、張純は自分達が賭けに勝ったことを知った。
烏桓の大人である丘力居は、自分の一族の若者を脱走者として処分される事より、漢に反旗を翻す事を選んだのだ。
「はじめちまったなぁ」
張舉のつぶやきに張純が応えた。
「こうなったら最後まで派手に行こう。その方が──」
「その方が?」
「──追随するものが出るだろう?」
黄巾賊は鎮圧されたが、西涼に邊章韓遂、冀州に黒山賊と乱は次々に起き、漢家はそれを制することができないでいる。自分達が暴れれば呼応するものが更に出、漢家の手は回らなくなる筈だ。
「まずはどうする?」
「護烏桓校尉が邪魔だ。殺して東へ行こう。遼東の烏桓全てを掌握したい」
「次は?」
「南へ。洛陽に遠い方へ進んで俺達の土地を広げよう」
張純の乱のはじまりである。




