1 糧秣
「どうやら前の方、かなり困った事になってるな」
戻って来た役人は言った。
「へぇ?何か起きたのかね?」
雑役夫はのんきに答えた。
役人と雑役夫。この二人が居るのは司隷それも河内郡を通る黄河北岸の大道。軍の隊列の後方である。
二年前の事である。北西の辺境、涼州で北宮伯玉らが反乱し旧都長安付近まで攻め込んで来た。防衛の任を与えられたのは皇甫嵩。だが決定的な勝利を得られず更迭された。朝廷は代わって張溫を送り込んだ。張溫の遠征軍は美陽の戦いで長安の防衛に成功すると涼州に逆侵攻。だが結果は手痛い敗北となった。無事に帰還できたのは董卓の軍のみ。しかも董卓は独断で右扶風に駐屯し、実質的に張溫の指揮下を離れてしまった。兵力不足に陥った遠征軍を再建する為、張溫は北東の幽州から三千の烏桓突騎を回してもらう様上表した。
長い準備と根回しの結果、ついに今年、幽州烏桓三千が北東の辺境幽州から涼州へ援軍として加わることになった。率いるは公孫瓚。今、役人と雑役夫が居るのはその最後尾である。烏桓の騎兵三千、と言っても、烏桓の異民族の義従三千人とその馬三千頭だけで構成されているわけではない。歩兵もついて来ているし、武器など様々な装備品、食料を運ぶ輜重の車も曳き連れている。役人はその後列の雑用を管理する為に遠征に志願した。雑役夫はその雑用を行なう為に志願して来ている。
共に志願して遠征に参加したこの二人は立場を越えた友情を育んでいた。二人の気持ちは一つ。
「命を掛けるに足る、熱い人生を送りたい!」
幽州の田舎で平穏に人生を終える、などというのは真っ平なのだった。二人は、そんな浮わついた冒険心で遠く西涼への遠征に志願した物好きなのである。
漢家の北東の端幽州を出た一行は、西南に進み、冀州を抜け黄河にたどり着いた。その北岸を西に進み、司隷に入った直後。ここで急に行軍が停止したのである。
前方へ状況を窺いに行った役人が戻って来て言った。
「伯珪殿が烏桓となにやら言い争っておったわ」
伯珪というのはこの一行を率いる監督役、公孫瓚の字である。
「何て?」
「烏桓の言葉だったからなぁ、ぜんぜん判らん」
公孫瓚は以前遼東属国長吏として鮮卑と激闘し名を挙げた人物である。烏桓の義従騎兵を率い、数倍の鮮卑に突入。両刃の矛を振るって奮戦、これを撃退したという。その頃に烏桓の言葉を覚えたのであろう。
輜重の列がぴくりとも動かない状態が半刻程続いた。雑役夫など、道端にごろりと横になり体を休めている。役人は体裁上、そうもいかず、立ったまま列の動きを待っている。こっそりと荷車に体を預けながら。
「ん?」
最初に気付いたのは寝そべっていた雑役夫である。むくりと起き上がり、街道の先を見た。役人はより高い視点だったので、続いて前方の土煙に気付いた。
「来る?」
「ああ、来た!」
ドッ、ドッ、ドッっという規則正しい音がこちらに近付いて来る。それはすぐにドドドドドドという複雑な響きとなり、地面をも揺らす。
馬である。馬達である。轟音と共に騎馬の一隊が輜重の横を駆け抜ける。
乱雑に並んだ輜重の車の列から、人夫達が慌てて逃げ出す。騎馬はそれすら器用に避けて駆ける。
騎兵通過の音と振動は永遠かとも思える長さと量で二人を震えさせた。
急に静寂が戻って来た。微かに馬の蹄の音が遠くに去っていくのが聴こえた。その方向は間違いなく、ここまでやって来た方向……冀州を抜け幽州へ戻る道である。
「今のは……」
「烏桓の連中だ……もしかして、全軍?」
数えていたわけではないが、あれ程長い時間通りすぎて行ったのである。
しばらくして列はゆっくりと動きだし、次の亭にたどり着いた。そこで役人は事態を把握することになった。全役人に対し亭の建物に集まるよう、招集がかかったのである。
***
「烏桓突騎のほとんどが勝手に隊を離れ、幽州へ帰った」
公孫瓚の割れるような大声が響く。
「脱走兵には相応の処罰が必要だが、騎兵三千を取り締まる兵力は我々にはない。追って別の形で罰が与えられるだろう」
(こういう時は美形は損だなぁ……凄げぇ怖い)
公孫瓚の美しい顔が、凄惨に歪んでいた。
「我々の任務はどうなりますか?」
誰かが当然の質問をした。三千の騎兵を移動させる任務から、三千の騎兵が脱走したのである。当初の目的は果たせなくなっている。
命令で来ている多くの役人は、すでに里心がついている。故郷への帰還を願う気持ちがそう聞かせたのだろう。その心を裏切るように公孫瓚は回答した。
「我々の任務は解除されていない。送らねばならない物資も運んでいる。このまま涼州への移動を続ける」
幽州には鉄の産地が多い。そこで作った武具を運ぶのも、確かに任務の一環ではあった。公孫瓚は更に続けた。
「脱走兵が出たからと言って任務を取り止める軍はない!」
そう言って説明を打ち切った。
(高祖は勝手に止めちゃう人でしたよ)
役人は心の中でだけそう答えた。
***
「どうだった?」
雑役夫の質問に、役人は答えた。
「糧秣が足りなくなったのが、烏桓が逃げ出した原因だった」
公孫瓚の説明と、自身での聞き込みの結果を説明する。
「三千、という大軍を東から西に横断させる為、各方面は事前にちゃんと準備をしていたわけよ」
道中の宿営地を選定し、そこへ必要なだけ糧秣を蓄積したのである。糧は兵士の食料であり、秣は馬の餌である。これを以て、幽州から行軍する際の輜重列を短くし、身軽に移動させる、というのが本来の計画であった。
「でもな、それがこの前の滎陽賊で崩れてたんだと」
滎陽は司隷の中でも洛陽のある河南尹の東にある。二月ばかり前そこで賊が反乱を起こしたのである。賊は隣の中牟県に攻め込み県令を殺した。洛陽から見て目と鼻の先の県である。都は震撼した。
司隷の中の出来事であるから司隷校尉がこれを討伐した。問題は司隷校尉があの何苗だったことである。何苗は何進大将軍と何皇后の弟である。失敗は許されなかった。膨大な戦争資源が投入され……この一帯にあった糧秣も持って行かれてしまったのだ。
「──ようやく烏桓の気持ちが理解できた。馬は道端の草を食ってりゃいいってもんじゃない」
雑役夫は心の底から同情した。彼は馬を知っていた。馬の食う草はなんでもいいわけではない。そしてそれ用の草は嵩ばるしどこでも採れるものではない。補給の秣をここまで運んで来ることがこの行軍に間に合わなかったのだ。このまま進むと馬が先に餓死しかねない。馬を大事にする烏桓達はそれを拒否したのであろう。
「少しばかりあった秣を伯珪殿が白馬に回せと指示したので、残りの烏桓が怒ったらしくてな」
公孫瓚はかつて死地を共にした烏桓の義従兵に白馬を与え私兵として囲っていた。人呼んで「白馬義従」。彼らの乗る白馬に対して秣の割り当てを優先したのだと言う。
「そういうお人だよ、あの人は」
雑役夫はあきれ顔になった。彼は公孫瓚と同じ、遼西郡の令支県の出で、公孫瓚の行状をよく知っていた。
「親しい人はひいきし、恨みは忘れない……陰湿なんだ」
さすがに小声だった。
公孫瓚の家は代々二千石を排出する名家だったが、公孫瓚は母の身分が賎しかったので冷遇されて育った。だが造作が美男で姿が立派なので時の太守の婿に迎えられた。その外親のおかげで、涿郡の盧植の元で学ぶ事が出来、そこから彼の出世は始まったのである。恵まれた美貌がなければ、奴隷同然の庶子として終わっていたかもしれない。公孫瓚が実家に復讐を誓っている事など、地元の人間には公然の事実だった。二人は我が命を掛けるに足る、面白い主君につきたい、そう願っている。その主君の選択肢から公孫瓚はとっくに外れていた。




