5 頭目たち
蠕く大きな麻袋が二つ。土の上に転がされていた。片方は激しくバタバタと、もう片方はささやかに蠕動していた。
口を縛る紐が切られると、
「うおりゃぁ!」
片方から勢い良く少年が飛び出して来て、両手を胸の前に構えた。
「シャーッ!」
引き足を軸にぐるぐる回りながら四方を囲む男達を威嚇した。
「あれ?」
孺子の回転が止まった。
自分が真定に良く似たどこかの役場の建物に居ること、慣れ親しんだ盗賊風の男達に囲まれていること、そしてその男達の中に、見たことがある人物が居たからである。
貧相なひょろ長い体躯にぎょろぎょろと大きな目玉。昨日会ったその男は、周囲の男達の中でひときわ偉そうに座っていた。
「あ、大目のおじちゃん」
ゆっくりと袋から出て来た侏子も大目に気付いた。
「『あ、大目のおじちゃん』じゃねぇよ」
大目は呆れ顔だった。
「なんでまたうちのシマに迷い込んで来た?この辺に居るのは俺みたいに善良な盗賊だけじゃないんだぞ、まったく」
大目は愚かではない。県境には配下の見張りを立てている。そこからの注進で、県境を越えて子供が二人、九門に入って来たと知った。真定から来た子が誰か悪い奴に捕まって売り飛ばされでもしたら飛燕との関係がこじれかねない。そこで少々手荒に保護したのである。
「ごめんなさい」
「……」
無言の孺子に謝罪を促そうと侏子は肘でつつく。肘から伝わる感触がぶるぶると震えていたので、ぎょっとして侏子は隣を見た。孺子はぐっと唇を噛み締め、顔色は真っ赤になっていた。
「こいつ、なに真っ赤になってんだ?」
「なんでしょうね……あはは」
大目の疑問を侏子ははぐらかす事にした。
(多分、あれだな……)
侏子には見当がついていた。孺子は恥ずかしがっていたのである。武芸にいっぱしの自信があったのにいざ襲われたら一瞬で組み伏せられ袋詰めにされたのである。
孺子に案外繊細な部分があるのを知っている侏子は触れないことにした。
「今ごろ飛燕の頭目がさぞ心配してるだろう。真定まで護衛を付けてやる。日が暮れないうちにお帰り」
大目は優しく言ってくれたのに、孺子の反応は拒絶だった。
「嫌だっ!」
突然の激高に大目は大きな目を白黒させた。
「おいらは張牛角って奴に文句を言ってやるんだ!親父を馬鹿にしやがって!」
大目は侏子を見て小首を傾げた。侏子はこくりと頷いた。
大目は孺子に目線を合わせ、優しく尋ねた。
「お前、張牛角の親分に会いにここまで歩いたのか」
頷く孺子。
「まだ会いたいんだな?」
頷く。
「殺されるかもしれんぞ?」
「覚悟の上だい!」
孺子の叫びに大目はフン、と鼻息で答えた。感心したようでもあり、嘲笑ったかのようでもあった。
「よかろ。俺も張牛角の親分に会いに行く所だ。連れてってやる」
そういうと立ち上がり、周囲の部下に指示を出し始めた。
「子連れで行く!県令が使ってた車をひっぱりだせ!馬は食ってねぇだろうな?」
孺子の目は輝き、そして侏子は明らかに嫌そうな顔になっていた。
***
初めて乗る車に、ワクワクできたのは動き出すまでだった。
揺れる。跳ねる。傾く。狭い。車に立って乗ると言うことがこんなに難しい事だとは思ってもいなかった。揺れれば膝を抜き、跳ねれば屈んで耐え、傾けば逆に反り、ぶつかっても落ちないようしがみつく。
二人は疲れ切ってしまいしゃがみこんでしまうが、座ってしまうと下からの衝撃が背骨を通し頭蓋まで揺らす。渋々立ち上がるが、もう回りを見回す余裕もない。
「着いたぜ」
景色を見る余裕もなく朦朧とした状態でふんばり続けた二人は、車が止まっった時は安堵のあまり降りた地面に頬ずりしたい気持ちになった。
漢昌城の城門の周りのそこここに、盗賊らしき男達が屯していた。そういう光景は二人には見慣れたものである。だが。
「なんか、まばらじゃない?」
侏子の指摘に孺子も頷く。
城門の回りに居る男達は、広い城門前でいくつもの集団に分かれ、それぞれがぎっちりと密集していた。
「いろんな頭領が集まってるんでな。変に近付いて喧嘩にでもなったら互いに困る。だから互いを敬して遠ざけているんだ」
大目に引き連れられ、漢昌の城門を潜る。
城門内の空気はどこかはぴりぴりと緊張していた。張牛角の会合の為に場所貸しした漢昌の盗賊が、責任を全うしようと必死の警備をしているのが見て取れた。大目はその中を悠々と歩く。
「面が通ってるからよ」
特徴的な顔である。誰何する人もいない。
しばらく歩いて、そこそこ綺麗な門にたどり着いた。県令の役所だった場所であろう。それは孺子にも理解できた。県城の構造なんてそうどこも違わないからである。
門を抜けた向こう。奥の庁舎との間に石畳の広場が広がり、強面の男達が一同に会し、座っていた。
二人の目を惹いたのはその中央に座した巨大な塊である。
(牛?)
侏子はそう感じた。圧倒的な迫力をもって筋肉の壁が聳え立っていた。いや、立っていない。安座で地面に腰を下ろしていて、この雄大さなのだ。侏子はこれほどの大きさの生き物は知らない。なので知っている一番大きな生き物である牛として理解した。
「一番大きいのが牛角の親分だ。昔、力較べで牛の角を圧し折って素手で殺してしまったことがあるんだぜ」
牛で無く人である、と理解した時、恐怖が侏子の背筋を通り抜けた。自分などひと撫でで殺されてしまう。それが判ったからだ。
だが孺子は怯まず、頭領達を睨みつける。
大目が孺子たちにそれぞれの親分について耳うちする。
「あのふわふわ白ひげは于羝根。羊みたいだろう?その隣のピンと長い口ヒゲが左髭丈八」
大目の解説は続く。
「その隣が郭大賢。ものすごい賢そうな顔だろ?顔だけなんだ」
連れて来た子供に耳打ちを続ける大目に、イラついた頭目の一人が大声で叫んだ。
「大目!なんだその子供は!?」
「今の雷公みたいな大声だろう?あいつは張雷公」
大目の耳うちは続く。
焦れたのか牛角がゆっくりと動いた。ギシリと首の筋肉が軋む音を立てて李大目の方に目線を送る。
「大目。飛燕殿の首尾は?」
大目は肩をすくめる。
「飛燕の旦那が言うには重大事なんで一両日考えたいとさ」
牛角は予期していた、という風で首を左右に振った。
「噂通り慎重だな……仕方あるまい。ここに居る我らで結義としようか」
「臆病風吹かせたんじゃねぇの?」
そう誰かがつぶやいた。
「いま言った奴!顔は覚えたぞ!」
叫んで指差しで返したのは孺子である。差された小男は間食なのか齧っていたカミキリムシの胴を口に咥えたまま硬直した。
牛角は顎で孺子を指さして大目に問うた。
「この子は?」
「飛燕んトコの秘蔵っ子ですと」
大目は小男へ掴みかかろうと暴れる孺子をがっちり止めながら平然と話を続けた。細身から想像もつかない膂力だった。
「何故こんな所へ連れて来た?」
「……牛角の親分とサシで話をしたいと家出してきたらしいんでさ」
「子供をこんな所へ連れて来る奴があるか」
「なりゆきでね……でもまぁ、この子達が居れば話は早くなるでしょうよ」
大目の懐でようやく暴れるのをやめた孺子に牛角が問いかける。
「孺子。話とはなんだ?」
自分の名前を知らないだろう牛角に、普段からの呼び名「孺子」と呼び捨てされた事で、ほんの少し対等な気分になった孺子は不敵に笑って答えた。
「牛角。お前朝廷と戦う気なんだろう?」
子供が群盗の首領を呼び捨てにした事で、座がざわめいた。
「だったら、朝廷に本気で勝ちたいんなら、飛燕の頭目の下で戦え!」
唐突な降伏勧告に更に場がどよめいた。大目はくすくすと笑っていた。苦笑しながら牛角が聞き返した。
「飛燕の頭目ってのは俺が配下にならなきゃいけないほど凄いのかね?」
孺子は自信満々に答えた。
「飛ぶ燕は誰にも捕まえられない。頭目は無敵なんだ」
「ほう、ほう」
感心する様子の牛角に、孺子は気分良く続けた。
「頭目なのに学があるんだ。字を教えてくれるし書だって読み聞かせてくれる」
「そりゃ本当に凄いな……お前らん中で、本を読み聞かせできる奴がいるか?」
牛角が一同に問いかけると、なぜか視線が郭大賢に集中した。大賢はものすごく「なにもかも判っている」という表情のまま首を横に振った。結局手を挙げるものはいなかった。
「で、他は?」
「人徳?ってのがある!……だから一万の手下に慕われてる」
「ここにいる奴は多かれ少なかれそうだ。他は?」
「他は……」
牛角の問いに孺子は考え込んだ。
「他は……」
ご飯をいっぱいお代わりするとか、そういう事ではないだろうというのは孺子にも判った。
「……誇らしいおいら達の親父なんだ!ぜったい高祖みたいに天下を奪ってくれる!」
孺子の叫びに牛角はくすりと笑った。意外に可愛い笑顔だった。
「孺子。お前の方がよっぽど蛮勇がある。どうせならお前が俺達を率いて天下を奪ればいいんじゃないか?三尺の剣をひっ提げて、な」
座の一同がどっと笑った。
「おいらにゃ高祖なんて無理!だって馬鹿だから!」
孺子の叫びはさらなる爆笑を誘った。
「じゃあお前は飛燕の驥尾に付して二代目にでもなるのか?帝だって馬鹿にはなれんぞ?」
「馬鹿にするな!おいらがなりたいのは樊噲だ!」
樊噲は高祖劉邦の、旗上げからの家臣として数々の戦いで武勲を挙げた人物である。
「樊噲っていうと……あの生肉食ちゃう奴か?」
「うん、生肉食っちゃう奴」
項羽と劉邦が最後の会談をした鴻門の会で、項羽の軍師范增は劉邦を暗殺しようとした項莊に余興といて剣舞を指示した。樊噲はその危機に乱入して阻止。項羽から壮士と評され賜った酒と豚の生肉をその場で食べた。
その武勲は首を幾つ斬っただの城攻めで先頭を切っただの武将というより豪傑といった風である。
「おいらは樊噲になって!親父を助けて!そんで史記に列伝してもらう!」
「列伝?」
「今は名前の無いおいらだけど、親父に付けてもらった名前を歴史に残すんだ!」
それが孺子のささやかでそれでいて野心的な、本当の願いだった。
「あいつ……子供に史記を読み聞かせてるのか」
「論語も法もだぞ!……おいら苦手だけど」
孺子が自信満々な表情からどんどん嫌そうな顔になったので牛角は苦笑いした。
「飛燕がいい親父さんなのはまぁ判った。けどな、飛燕に大将を譲るわけにはいかねぇな」
「なんでだよぉ」
「飛燕殿はこの会盟に来てくださらなかったから、だ」
牛角は首を左右に振った。残念そうだった。
「孺子。戦さってのはな、強い気持ちがないと続けられねぇんだ。部下が死んでも、家族が死んでも、それでも歯を食いしばって勝つまで戦い続けるような……そんな狂った奴にしかできねぇ事なんだ」
牛角は、何故か寂しそうにつぶやいた。
「だからよ、はなから『ちょっと考えさせてくれ』なんていってくる奴には従えねぇんだよ」
孺子は褚燕が苦悶の表情で悩み考え続けていた理由がようやく判った。親父が戦さへの参加を渋ったのはおいら達のためだ。子供を戦さに巻き込みたくなかったんだ。
「……」
孺子がみるみる涙目になって、それでも自分を睨み返し続けているのを見た牛角は配下の一人に告げた。
「白馬。この子らを真定まで送ってやれ」
白馬と呼ばれた男は頷くと立ち上がった。
「……必要……ない」
門から声がした。息も絶え絶えの荒い呼吸とともに。
門柱に褚燕がもたれかかっていた。汗だくだった。荒い息だった。孺子は口をぱくぱくとさせた。親父がどうやってここに?簡単だ。褚燕は走ってここまで来たのだ。
「捜した……」
褚燕は二人を見て安堵して肩を落した。
「来ると思ってた」
大目がにやにやと笑った。
「水をくれてやれ」
見兼ねた牛角が命じた。
孺子が褚燕に渡す水を捜しに走っていった。
***
「考えは決まったかね?」
改めて牛角は褚燕に尋ねた。その決断なしにこんな所へ出て来ないだろう?そう言っている。
褚燕は姿勢を正してから答えた。
「正直なところ、戦わずして降伏する、という手はあると思う」
座は落胆と嘲りのため息に満ちた。
「黄巾が鎮圧された今、必ず冀州牧との戦さになる。戦わない方が死者は少なくてすむ。だが漢家はあいかわらず腐敗したままだ。降伏して新たな相、新たな令を受け入れたら、また昔の苦しい生活に戻るだけだろう。それでは生きているとはとても言えない」
皆が頷く。この座に居る皆も認識していることだから。
「だが、国を相手に永遠に戦うわけにもいかない」
孺子はごくり、と喉を鳴らして聞いた。
「落し所をどうするか。それを決める場に俺も参加させてほしい。それが叶うのであれば、この褚燕、そして真定一万は張牛角殿を首領として仰ごう」
褚燕が頭を下げた。孺子は顔を顰めた。
(親父!他の誰かの配下に収まるなんてやめてくれよ!)
ただただ残念だった。そう叫びたかったが、場を読んだ。我慢の為に歯噛みした。侏子は何も考えていないのか、うれしそうに拍手していた。
二呼吸ほど間を置いて、牛角が門の向こうに叫んだ。
「連れて来い!」
門の外が騒がしくなった。ドスドスという響きの後、門の向こうから何か大きなものがぬっと入って来た。
牡牛だった。気性が荒いのか時折地面を蹴って跳ね上がり暴れようとしている。そこを盗賊の男が四人がかりで抑え込んで、やっと門をくぐらせたのだ。
牛角は立ち上がると叫んだ。
「槃を!」
そう指示し、堂々と牡牛の正面に歩み寄った。相対して左右の角を握ると、配下の四人が飛び下がる。
「ふん!」
牛角の腕の筋肉が大きく膨れ上がる。角を捻られて悲痛な鳴き声をあげながら牡牛が四肢を空中に投げ出し、ドウッと地響きをあげて背中から地面に叩き付けられた。
起きようと胴を捻り空中を蹴りながらもがき続ける牡牛を、牛角は驚くべき事に左手一本禦して抑え込むと、腰の短刀を引き抜き、空中で逆手に持ち変えて牡牛の首に突き立て、捻りながら引き抜いた。
一条の鮮血が弧を描いて吹き上がった。銅槃を持った配下が慌てて飛んで来た。血しぶきを浴びて真っ赤になりながら銅槃に降り注ぐ血を溜める。
銅槃に血が一杯溜ったのを見た牛角が短刀に体重を乗せる。すぐに牡牛の動きが止まった。頚椎を切断したのだ。
血塗れの張牛角が宣言する。
「張牛角は誓おう。俺を父として遇してくれる諸君らに勝利をもたらすと」
そう言って銅槃を捧げ持った。血の池に唇を近付けると舌を延ばし、舌先から牛の血を歃った。
「諸君らも互いに兄弟となる事を誓え」
血塗れの笑顔で牛角が周囲を睨めつけてから銅槃を差し出したのは褚燕にだった。
「皆が兄弟同列ではあるが、飛燕には俺の副将になってもらう。異存は?」
一同はそろって首を横に振り、異存無きことを示した。
***
牡牛の肉は脂を滴らせながら直火で炙られ、美味そうな煙があたりに充満した。歃血の盟の後は当然、酒宴となる。
(う…)
褚燕は、門の外へと、這う這うの体で抜け出した。
宴、というのは主が率先して呑むものである。首領たる牛角は期待を裏切らず、浴びる様に酒を呑んだ。相伴する頭目達もどんどんと酔い潰れ、脱落して行った。
酒気に満ちた堂では息も出来ない。褚燕は外の空気を浴びる為に中座したのである。
門の外に立ち、夕陽に向かって長く、大きく、息を吐く。すうっと息を吸い込んで腹筋を緩めた。
瞬間、へそをめがけ雷光の如き棒の一突き。むろん、孺子の待ち伏せである。
褚燕は突き込まれた棒の長さ分、ふわりと下がってその鋭鋒を回避した。
「今日の分は終わりだな」
酔いの残る声でつぶやく。
「ケチ!こんな時くらい当たってくれてもいいだろ!」
「どうにも軽身功が身に染みついちまってるんでなぁ」
顎をぼりぼりと掻きながら答える褚燕を孺子は怒鳴りつける。
「じゃぁその軽身功ってのを教えておくれよ!」
「やめとけやめとけ。お前に樊噲になりたいんだろぅ?軽身功なんてふわふわしたわざは豪傑のやるこっちゃない。ここの頭目にはいろんな武芸の達人が居る。学ぶならそっちにしとけ」
「馬鹿!」
そう叫んだ孺子は褚燕の脛を蹴飛ばす。これも避けられたので、孺子は怒って走り去ってしまった。夕日の方向に駆け出した孺子を遅れて侏子が追いかける。
その後ろ姿を眺めている褚燕に声を掛ける者が居た。
「いいんだぜ、あんたも逃げて」
大目だった。彼も宴席から逃げ出して来たらしい。
「子供らを連れて冀州から逃げる算段をしてたんだろう?」
褚燕は首を横に振った。
「真定で食って行けなくて盗賊になったんだ。逃げた先で食っていけると考えるのは甘すぎるだろう」
「飛燕の旦那が首領になりゃよかったんだ。そうすりゃ財をかすめ取り家族をどこかに匿う算段もできたろうに」
「器じゃないさ。俺は芸人のなれの果てでしかない。大望のない奴に器は宿らんさ」
「そういうものかね?」
「器ってのはあの子の様な、でかい望みのある者に宿るものさ」
褚燕は駆けて、小さくなっていく孺子の背中に向けてつぶやいた。
「あれはいずれきっと龍になるだろうよ。俺と違って、な」
大目は肩をすくめた。信じてはいなさそうだった。
「今はまだ、龍の子だけどな」
褚燕のつぶやきは西の空に消えて、孺子には届かなかった。
孺子はどこまでも、どこまでも、夕陽に向かって駆けて行った。
(了)




