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俺解釈三国志  作者: じる
幕間10 飛燕(中平二年/185)
142/173

1 甑(光和六年/183)

 冀州、常山国。


 丘陵を縫う様に走る細い道を、荷車の列がのろのろと登っている。


 荷車にはぱんぱんに膨れた麻袋が満載で、先頭と最後の車両には「田租」と立て札が立てられている。この秋に収穫した粟の、おおよそ百分の一を納めるものである。徭役で集められた農民達が荷車の両脇を懸命に押している。先頭と最後には監督の役人が一人ずつ付いて歩いている。


 見上げれば丘陵の頂きには松林が有り、街道はそこをくねくねと通り抜けている。夏であれば強い日差しを防いでくれるありがたい場所であるが、秋のこの時期には常緑の林はうっそうとして暗く、見るだけで寒さすら覚える。


 先頭が松林に差し掛かった頃、突然、荷車の列が停止した。列の最後尾で脱落者がいないか監視していた県の役人は、先頭の異変を感じ、前に向かって走りはじめた。


 たどり着くと、そこでは同僚が大仰な見ぶりで列の前に向かって叫んでいた。


「邪魔だぞ!はやくそれをどけろ!こわっぱ共が!」


 その先を見ると、どういうわけか道の真中に大きなこしきが湯気を立てており、数人の子供達がはしゃぎながら甑の下へ薪を投げ込み、火勢を煽っていた。


 道の真中に甑が据えられているので車を進めることができない。丘の頂上で子供が炊事をしていること自体異様だが、登る途中で炊煙に気付かなかった事もまた不思議である。


 同僚は子供達を叱り付け、追い散らそうとしていたが、子供達ははしゃいで逃げ回るばかり。こちらを振り向いて「……見た通りだよ」困った顔で肩を竦めた。


 後ろから来た役人は同僚の弱腰に腹を立て、大声で叫び、剣を抜いた。


「とっとと片付けろ。さもなくば斬るぞ!」


 鈍く赤みがかった刃の光を見た子供達は、きゃいきゃいとはしゃぎながら松林に逃げ込んだ。


 役人はため息をついた。徭役の者達に命令し、甑を片付けさせなければならない。それには坂に車を止めさせる、という難儀な準備が要る。


 役人が甑に近付くと、逃げた筈の子供の一人がひょっこりと松林から顔を出した。ほとんど大人のような体格に少年の顔が乗っていた。


「ご馳走するよ!」


 そう叫ぶと少年はまた松林に消えた。


 役人はご馳走とやらに別段興味は無かったが、中身を見ないと甑をどける作業に追加の一人か二人を割り当てるべきかの判断ができない。


 役人は甑の蓋を開けて中を覗き込んだ。白い湯気が立ち登り、役人の顔を包み、役人は視界を喪った。唯一見えたのは湯気の底で、そこには食材も何もなかった。


 荷車の側に残って居た同僚は、甑を覗きこんだ役人の頭上から、何かが落ちてくるのを見た。男であった。男は、甑の上に伸びた松の枝から、ふわりと、そして軽々と落ちて来た。男の足は軽やかに役人の肩に着地し──鮮やかに後頭部を蹴り飛ばしていた。


 昏倒する役人の首から音も立てずに地面に降りた男は、ひらりとこちらに走って来た。


(賊?!)


 腰の刀に手を伸ばしたが相手は想像以上に俊敏だった。刀を抜く間もなく顎にトンっと衝撃が走り、それを最後に、同僚も意識を手放した。


***


 子供達が松林からわらわらと出て来て、松の木から飛び降りて来た男の所に駆け寄って、ズボンの裾に取り付いた。先程の年嵩の子ともう一人が、気絶した監督の役人二人を縛り上げている。男は、子供達の頭を次々にぽんぽんと撫でながら、荷車の回りでおろおろする民に告げた。


「諸君らの運ぶ田租はこの飛燕様が頂戴した」


 妙に芝居がかったしぐさだった。


 徭役で来ている農民達が安堵と落胆のため息を漏らす。安堵は自分達が殺されるような事はなさそうと言う事に。落胆は奪われる粟の一部は自分達の納めたもので、もしかすると再度納め直すことになるかもという不安から。


「しかしこの分量、運ぶのも面倒」


 男はニヤっと笑って親指を立て、背後の甑を差して言った。


「腹も減ってるんでここで食ってしまう事にした。せっかくだから諸君らも相伴していかんか?」


 子供達は既に炊事の準備を始めていた。


 男は褚燕ちょえん。無論、本名ではない。燕の如く身軽なこの男は飛燕と号しており、いつしかそれが名になったのである。冀州常山国を荒し回っている山賊の一人である。


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