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俺解釈三国志  作者: じる
第九話 涼州動乱(光和七年/184)
138/173

9 八事

わたしは聞いております。事を急ぐ者は静かには言えず、心を痛めるものは声を優しくはできないとか。窺い見ますに天下はすでに張角の乱に遇い、いまや邊章のがいに遇っております。急を告げる声を聞く毎に、心の内は灼け、手足は驚き竦みます」


 諌議太夫劉陶の上奏がはじまると、趙忠ら宦官は皆揃って苦い顔になった。劉陶は気にせず用意して来た竹簡を読み上げ続ける。


(帝は本来英明な方だ。この直諌で目を覚ましていただける筈)


 なにせ彼を皇帝に直接諌言できる諌議太夫にしたのは、彼ら宦官なのだから。


 劉陶は西漢時代の旧王族の裔として、世を正さねば、という一心でここまでやってきた男である。彼が黄巾の危険性を警告したのは二年前の事。それを切っ掛けに、劉陶は帝の尚書学の師となり、ついには侍中となって幾多の諌言を行なってきた。宦官にとっては嫌な存在だろう。


 竹簡を繰り、息を整える間に帝、劉宏の背後に立つ趙忠をちらりと見る。


 趙忠の目には明らかに憎しみが籠っていた。かつて亡き父の墓を暴かせた朱穆を罪に落したにも関わらず、太學を率いて数の暴力で解放させたのが自分だからであろう。


 趙忠らは目障りな自分を讒言しようとしていた。だが劉陶は富貴も求めぬ清貧な生活をしていたので訴える切っ掛けがなかったのであろう。彼らは共謀し、劉陶を長安の太守である京兆尹に除されるよう運動した。つまり栄転、という形で帝と洛陽から引き剥がそうとしたのである。


 だが、宦官の予想の付かない展開が待ち受けていた。帝が修宮銭令が公布したのである。その結果、劉陶が京兆尹になるには帝に一千万銭を納めなければならない、という事になった。清貧に暮らしている劉陶にはそんな財産はない。もし有っても恥じて職を買うなどしない人物である。劉陶は病と称し職を辞した。


 劉陶の才を愛する帝は、この経緯を知って修宮銭を免除し、改めて劉陶を諌議太夫に任命していた。


(道家のいう、天網恢恢,踈にして失わず、という奴だな)


 宦官達は劉陶を廃そうとした結果、かえって諌言を主務とする役職につけてしまう、という結果になったのである。


「今、西羌の逆賊が任じている将帥は、皆、元は段熲の吏であり、戦陣に暁習し山川ちけいを知り変詐に萬端な者達です。臣は、彼らが軽々と河東を突破し、馮翊にいる西征軍の後方に出、東の函谷関を取り、そこでこちらの様子を窺うのを常に懼れております。今、すでに河東を攻めております彼らが。方向を変え洛陽に突進して来ることを恐れております。そうすれば南への道が断たれ、張車騎の征西軍は孤立し、関東は肝を潰し、四方は動搖し,命令しても兵は集まらず、叫べども応ずる者なく、田單や陳平の奇策があっても使いようがなくなります」


 西は長安、東は司隷に至る東西に延びる関中盆地は南からの攻撃に対しては強力な要害として働くものの、北の并州側から河南郡に南下されると弱い。涼州へ向かった張溫殿の征西軍の後方に北から侵入された場合、征西軍の補給は寸断される。もし征西軍が全滅した場合、朝廷にはもう外征軍を再編成する余裕はないのだ。


「今、三郡の民は皆、奔亡し、武関の南を出、壺谷の北を渡り、氷が解ける様に風に散るようにただ逃げ遅れることを恐れております。今、残っている者は十に三、四でありましょう。軍吏士民は悲愁して相守り、民は百度でも退き逃げ死ぬという心があっても、一度でも前を向いて戦えるという計略を持ちません。西寇は進み、敵は軍の営より咫尺の間に近付いており、胡騎は園陵にまで来ております。将軍張溫は勇猛ですが、主力の命運は旦夕に迫り、征西軍に後詰はおりません。もし敗北したら救うことはできないでしょう」


(黄巾に対する進言は取り上げていただけなかったが、今回こそは!)


「臣がこのようなくだくだしいことをおめおめ申しますのは、国家が安んじれば臣もその慶びをこうむり、国家が危なければ臣も先に亡ぶからでございます。謹んで今、八つの急事を述べますので、僅かでもお時間を頂き、お聞き戴きたく存じます」


 今から述べる「八事」は、過去も、今も、天下の大乱は皆宦官に原因がある、と言う内容である。冀州の黄巾も、涼州の邊章も、會稽の妖賊許昌も、いや、陳蕃竇武の事も。

 全てが宦官の専横のせいであると帝に御理解戴きたい。宦官の専横をお許しになった帝に反省して戴きたい。


 これが劉陶の切なる願いである。


 心有る者は度重なる反乱の原因は宦官にあると知っている。実の所そんな事は西羌すら知っていて、戦術に組み込んでいるのである。


 これを正すのに力は要らない、というのが劉陶の考えである。帝を説得し、宦官を誅してもらうだけで済む。黄巾の際に帝を諌め、それを行なおうとしたのが張鈞であり、呂強である。正しく導けば政治は正せる、という士太夫の考え方、と言っていい。


 劉陶が八事を説明しはじめると同時に、帝の後ろに立っていた趙忠の姿が消えた。


(どこに?)


 気になる動きだが、帝の御前である。劉陶は八事を説明し続けるしかなかった。


***


 趙忠は朝堂を抜け出すと素早く裏に回り、子飼いの中書令に命令した。


「劉陶を讒言する。文書を用意しろ。急げ!」


 劉陶の奏上が終わった後、帝の裁可が下る前に、続けて趙忠の書かせた弾劾文が読み上げられた。


「以前、張角の事がありました時、陛下は詔でもって威恩をお示しになりました。それ以来、各地は悔い改め、四方は安静となっております。なれどただ陶のみが聖政に疾害ありと妖しいことを言っております。州郡もまだ報告していないような話を、陶はどこから知ったのでしょうか?陶こそが賊と通じているとしか思えません」


 涼州に反乱はあれど、それを除けば全国的に問題はない、と矮小化したのである。それはそうである。黄巾の乱で各地は疲弊し、更なる乱を起こす余力すらないのだ。


 帝は八事を受け入れなかった。かえって劉陶は黄門北寺獄に収容されることとなったのである。


「賊と通じていると白状せよ!誰と繋がっている?何を伝えた?」


 厳しい拷問が行なわれた。元より無実の劉陶には答える事ができない。劉陶が自白しない事で拷問はますます激しくなった。


 今日も尋問の為に使者が訪れた。


(この責めではもう生き延びれまい)


 全身の傷と痣からの高熱の中で劉陶は思った。


 自分は間違っていた。張鈞も呂強も間違っていた。この帝は諭しても無益だ。


(おそらく王芬がやろうとしていた方法しかないかもしれぬ)


 王芬は帝をすげかえようとしていたのだとうすうす劉陶は理解している。


 王芬だけではない。実際には閻忠も、張玄も、宦官を廃すには力を以てでも行なうしかないと考えていたのだが、劉陶には知る由もなかった。


 劉陶は苦しい息の中で使者に告げた。


「朝廷は以前、臣を侯に封じたのに、臣は今や邪悪な譖りを受けている。恨むとすれば伊呂と同列になれなかった事。よもや三仁の輩になるとは」


 そう言って劉陶は静かに息を止め──強烈な自制心でもって窒息死した。


 伊呂とは伊尹、呂尚。どちらも前の王朝を倒した名臣である。三仁は微子、箕子、比干の事。殷の王族で紂王に諌言をしたが破滅した三人を言う。


 劉陶は最期の瞬間、帝劉宏に絶望して死んだ。


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