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俺解釈三国志  作者: じる
第九話 涼州動乱(光和七年/184)
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8 交替(中平二年七月)

「烏桓は弱すぎます。どうせなら鮮卑を募ればいいのでは?」


 皇甫嵩の要望した三千の烏桓突騎を送って欲しい、との要望について、北軍中候の鄒靖すうせいがそう上言した。


 大将軍何進が四府を招集し、この件を検討するよう要請した。大将軍掾である韓卓かんたくが言った。


「烏桓は兵が少なく、鮮卑とは代々仇敵であります。烏桓を動員したらその留守を鮮卑が攻めるでしょう。それでは烏桓は戦えない。鄒靖は塞外近くに居るのでその辺の事情が判っているようだ。鄒靖に鮮卑の騎兵五千の徴兵をさせれば、必ず敵を破ってくれるでしょう」


 反論したのは應劭おうしょうである。


「鮮卑は犬羊の様に群れ、長を持ちません。天性貪暴で信義を気に掛けません。彼らが欲するのはわが国の珍貨のみ。過去、鮮卑を徴募した例はありますが、略奪や軍令違反で現地は大変な迷惑を受けており、後悔しか残しておりません。愚かにも臣は考えます。隴西には賊に身を投じず善を守っている胡が残っている筈と。彼らをまとめ、手厚く恩賞を与えればいかがでしょうか。隴西太守の李參は沈静有謀です。必ず死力を尽くすことでしょう」


 應劭と韓卓の議論は決着が付かず、朝堂で、百官の前で採決が取られた。皆、應劭の策を支持した。


(まずいな。これでは皇甫嵩に難しい話になってしまった。)


 司空の張溫は、二人が妥当な募兵方法を検討してしまったが故に、皇甫嵩に兵が与えられる、という話自体が消えてしまった事に気付いた。


 どうにか助けてやれないか、と思案しているうち、話題は次に移った。


「兵が足らぬ、といたずらに吹聴する皇甫嵩は、果たして車騎にふさわしいのでありましょうか?」


 皇甫嵩への弾劾である。宦官子飼いの尚書からの弾劾であるのを見て取った張溫はだんまりを決め込むことにした。


 実際この上奏は董卓と宦官の結託によるものである。趙忠と張讓は皇甫嵩を恨んでいた。

 趙忠は黄巾討伐の際に鄴を通った皇甫嵩に豪勢な別宅を分を守らぬものとして没収されている。張讓は張讓で要求した賄賂の五千万銭を跳ね付けられていた。どちらも逆恨みだが、彼らは正当な恨みと考えていた。


「嵩は連戦すれど功なく、ただ多くを費すのみでございます」


 帝劉宏は皇甫嵩への弾劾を聞きながら、小さなため息をついた。


(期待していたんだけどな)


 黄巾相手に鮮やかな勝利をおさめた皇甫嵩が、着任半年、ひとつも大きな勝利を挙げることができないとは思ってもみなかった。


 宦官達が、士太夫達が、皇甫嵩のだらしなさを批判していた。皇甫嵩は少なくとも園陵を暴かせるような失態はしなかったし、三輔の治安は少なからず維持できていたが、その功績は顧みられることは無かった。それどころか、皇甫嵩が抜けた冀州で黒山賊が跋扈しはじめ冀州刺史の王芬が大変疑わしい状況で自殺した件も、皇甫嵩が離任した後の話なのに、皇甫嵩に責を負わせようという空気が朝廷にはあった。


「では後任はどうする?」


 朝廷は静まり返った。皆が皇甫嵩を誹っているが、皇甫嵩の実力は心中で認めているのである。皇甫嵩が勝てない相手に勝てるだろうか?皆が皆、自問自答し「否」という答えを得ているのだ。


 長い間の後、張溫が答えた。


わたくしめが参りましょう」


***


「後はお委せてあれ。園陵には指一本触れさせませんよ」


 笑顔で送る董卓に、皇甫嵩はくどくどしいことは何も言わず去った。


「さてと」


 東の果てに消え行く皇甫嵩を見送った董卓は、揉み手せんばかりにほくほく顔で陣に向き直った。

 眼前には車を立てて並べて壁にした陣。そして無数の天幕が並ぶ。


(全部、俺のだ)


 董卓は、失脚した皇甫嵩の兵を預かった事で歩騎三万を指揮する権限を得た。


(適当にこなしながらちょいちょいと摘んでいくか)


 兵を預かると同時に、それに見合う財源を得たのである。


 董卓には私腹を肥す趣味は無い。摘んだ軍資金は敵に融通し味方の兵に奢るのである。兵に優しい将。それが董卓の目指すところである。


 陣内に屯する兵達を眺めながら、董卓は思う。


(本当に俺の物にできねーかな……まだ無理か)


 先程まで皇甫嵩と寝食を共にしてきた部隊である。手懐けるにしても時間がかかりそうだ。それに、三万ぽっちの兵で反乱を起こしても、すぐに鎮圧されてしまうだろう。

 董卓は、涼州で独立する、という目的を忘れた事はなかったが、それは単純に兵を集めて蜂起する、というやり方では無理だろう、そうも思っていた。


(反乱軍という形ではなく、漢朝から涼州を委託される、というような形にならんものかな)


 だが、董卓の妄想は長くは続かなかった。一月も経たないうちに、新しい遠征軍が派遣されてきたからである。


***


 黄巾賊を相手に戦った戦力のまま冀州から戦地に赴いた皇甫嵩と違い、洛陽で編成する張溫の第二次遠征隊は重厚だった。


 出陣を前に、朝廷は張溫をかりの車騎将軍へ任命した。副将には温厚で知られる袁滂えんぼう

。現地に居る董卓は破虜将軍へ昇進。新たに加わった盪寇とうこう将軍の周慎しゅうしんと並び張溫の指揮下に入る。更に右扶風の守備に鮑鴻ほうこう

 更に張溫は二人の士太夫を軍事ばくりょうとして参加させた。一人は陶謙とうけん、字は恭祖きょうそ。先の涼州刺史である。もう一人は孫堅。黄巾の乱での勇猛を評価された。


 実の所、張溫が辟そうとしていた士太夫はもう一人居た。張玄ちょうげん字は處虚しょきょ。過去、張溫が何回招いても叶わなかった人物である。


 張溫は出陣前の忙しい時間を割いて張玄の家を訪ねた。出陣前の最後の勧誘、ということになる。それだけ張溫は張玄の才覚を買っていた。


 張溫の訪問を聞いた張玄は、ボロを着て縄で帯をしたままの恰好で出てきた。畑の世話をしていたらしい。そういう人物であると張溫は知っていたので別に腹も立たなかった。


「處虚殿。あなたには才略があり、沈着で思慮深い方だと信じている。どうか涼州に平和をもたらす為に策を与えてくれないか?」

「ようございますとも」


 張溫の求めに、張玄は快く承諾した。今まででは何をどういっても断わるだけだったので、策を授けてくれるのはこれが初めてである。


「天下に賊が雲のようにわきおこるのは、黄門常侍かんがんが無道だから。違いますかな?」


 いきなり不穏な切り出しで、張溫は胸騒ぎを感じた。


「聞くところによると中貴人公卿らが平樂觀に祖道みおくりに来られるとか」


 平樂觀は洛陽宮の西園にあり、閲兵ができるほどの空間がある。出発前に百官による見送りの宴が予定されている。


明公あなたは六師の要を握っていらしゃる。宴もたけなわの頃に中坐し、金鼓を鳴らし、陣を整え、軍正けんぺいを召して罪あるものを誅し、兵を都亭に引き返し、宦官どもを取り除いて天下の苦しみを解き、海内の怨毒に報い、しかるのちに隠逸忠正の士を顕用すれば、邊章なんぞは掌の上で転がすようなものではないですかな?」


 あきらかに反逆への誘い。それも手段を備えた具体的なものである。

 張溫は頭脳明晰である。それを聞いた瞬間、それが可能かどうか計算してしまった。瞬時に可能だと判断してしまい、全身がぶるぶると震えだした。恐怖でうつむいて張玄の顔を見ることすらできない。可能だ、ということは、そのことを誰かに気付かれたら、自分の命はなくなる、ということだから。


 しばらくして、ようやく落ち着いた張溫が答えた。


「處虚よ、あなたが助言してくれたことはうれしい。しかし実際、それは不可能というものだろう」


 張玄は悲しそうに首を振った。


「それなりにいい結果になったと思うんですがね。でも、しない以上は賊のたわごとです。長々とお話ししましたな」


 そう言って張玄は懐に手を入れ、天を仰いだ。


(毒!)


 張玄の意図に気付いた張溫はとっさにその手を掴んだ。張玄の手から丸薬らしきものが転がり、土に紛れた。

 張玄は悲しい目で張溫を見返した。


「あなたの忠を私は用いることができなかった。これは私の罪だ。口から出た言葉は耳から抜けた。誰がそれを知るだろう」


 張溫はそう言って立ち去った。彼の後ろ姿が見えなくなった後、張玄は黙って家を出た。よろよろと山に入り、そして世を捨てて隠棲する道を選んだ。


***


 洛陽を発った張溫の軍は関中を進み、何事もなく長安に到着した。


 旧都は廃されたとはいえ巨大で、七万の兵をやすやすと呑み込んでいく。


 中軍で、車に揺られながら張溫が周囲に尋ねた。


「破虜はどこかね?」


 董卓の迎えがなかった。董卓と彼の預かる兵三万が長安で待っている筈だった。その指示自体、破虜将軍へ任命の詔に明記してあった。


「ちょっくら聞いてきます」


 孫堅が馬を駆って長安の街中に向かった。陶謙も別方向に駆け出した。


***


「ぐるっと回ったんですが、董卓の奴ぁこの長安にいない感じですぜ」

「運穀車の行き先は美陽から変っておりません。董破虜は動いていないと思われます」

 

 孫堅が大汗で、陶謙が涼しい顔で報告した。

 張溫は温厚で知られた士太夫である。微笑みを崩さずに命令した。


「なにかあったのだろう。馬を出して確認しなさい」


 賊の活動によって郵が寸断している現状である。張溫は直接の伝令を命じた。


 長安の西にある雍門、別名西城門から騎兵の一隊が飛び出して行った。


***


「周辺に敵が潜伏している恐れがある?それはまぁそうだろうとも。園陵の守護を疎かにできぬ?確かにそれも正しかろう」


 伝令が持ち帰った董卓の報告に張溫は頷いた。


「……明公との。董仲穎と急ぎ合流し再編成を行なわねばなりません」


 副将の袁滂がたしなめる。


 董卓の言は理としては間違っていない。だが、そうも言っていられない事情がある。董卓が預かる三万の兵は、皇甫嵩の配下として死戦をくぐり抜けてきた古強者達である。徴用してきたばかりの七万とはわけが違う。彼らを取り込み、征西軍の中核になるよう再編成せねばならない。


「もう一度伝令を出しなさい。董卓に至急長安へ戻るように、と」


 董卓の返信はこうである。


「園陵の安全を見極め、可能な限り早く参上する」


 馬なら一日。軍勢でも二日の距離である。だが撤収もあるだろうからと五日くらいはかかるだろう。大方がそう観測していた。


 十日を過ぎても董卓は来なかった。催促はした。しかし答えは「賊が跳梁しており、園陵が暴かれるおそれがある」であった。


 さすがの張溫も心穏やかなままではいられなかった。


「董卓を呼べ!」


 怒気を込めて叫んだ。だが董卓は来なかった。


 数日を待って、冷静さを取り戻した張溫が左右に尋ねた。


「これはもう、我々が美陽へ向かうべきかな?」


 袁滂が否定した。


「命令無視を肯定する事になれば張車騎の軽重が問われます」

「……なにかいい案はないかね?」

「そうですな。園陵が守れればいいのですから、美陽の守備に最低限の兵を残す事を許可すれば破虜も来ざるを得ないのでは?」


 この案により、ようやく董卓はやって来た。実に一ヶ月の遅参である。


 腹回りの大きな男が、大きな馬に揺られて西城門を通って入ってくる。供回りはごく少数。官兵とは思えぬまちまちな左衽を纏った異民族を百人ばかり引き連れて西城門を通過すると、長安の民から悲鳴があがる。


 異民族の取り巻きを引き連れた董卓に、張溫はなんとか笑顔を作って応対した。


「……董破虜。兵はどこにおられる?」


 董卓は余裕の笑みを浮かべて答えた。


「万一にも園陵が侵されてはなりませんので、全て弟に託し、美陽を守らせております。護衛として同行してくれたのはこの苦難の中、こちらに残ってくれた義従胡の方々。失礼の無いようにしていただきたいですな」


 董卓の報告に一同は落胆した。長安、という安全地帯での再編成が叶わなくなったからである。


「なぜすぐに来なんだのかね?」

「賊どもが跳梁していた、とご報告差し上げた筈です」

「なぜ兵をもっと連れてこなんだ?」

「園陵が暴かれる、という失態を無くす事こそ車騎の御為でございます故」


 董卓の応答に張溫はやる気をなくし、口をつぐんだ。


 一瞬の沈黙があった。


 ごくごくふわっと軽い口調で孫堅が言った。


「いけしゃあしゃあと偉そうに。アイツ殺しちゃっていいスか?」


 場が凍り付く。言葉の意味がようやく理解できたのか、董卓が孫堅を睨み付けた。困った顔の張溫が孫堅にだけ聞こえるように囁く。


「……董卓はこの辺では知られた男だ。いないと涼州へ入ってから困る」


 この囁きは董卓の耳には入らなかった。だが孫堅は董卓を指さしながら囁き返した。


明公とのは王兵を率い威は天下を震わしてるんだ。なんであんなのに頼る必要が?」


 この孫堅の声は実際には大して顰まっておらず、董卓に充分に届いた。あわてて袁滂が止めようとするが、孫堅は止まらなかった。指折り数えながら囁いた。


「やつは態度が悪過ぎだ。賊とまともにやりあってるようにゃ見えねぇ。それに明公の言うことを聞きやしねえ。……将軍の鉞ってのはこういうのの首を斬るためにあるんでしょう?」


 口を押えようとする袁滂の手を軽々と振り解きながら孫堅は言いきり、言い終わったところでようやく袁滂は孫堅の口を塞いだ。

 将軍が出征にあたり帝から与えられる斧鉞、というものは、武器ではなく処刑具であり、逆らう兵あれば処刑してよい、という帝からの許可なのである。


 董卓は弁解も怒りもしなかった。ただ獰猛な笑みを浮かべて言った。


「小僧、文句が言いたいなら破虜タメになってから言え」


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