6 涼州放棄
帝劉宏の指示で司徒、崔烈の提案が公卿百官の議論の場で開陳された。
「戦費がかさみ過ぎでございます。烈は司徒として申し上げます。涼州は漢家の塞外と見倣し、夷狄の好きにさせておけばよろしいかと」
涼州反乱の鎮圧に掛かる費用は膨大で、黄巾賊で荒れた漢朝の手には余る。少なくとも涼州があることで得られる収益を戦費が遥かに超えていて、治める意味が無い。
国庫の窮乏は百官の知るところである。なにしろ官に就く人間から修宮銭、などというものまで取っているのだ。
黙り込む官僚達の中で、一人立ち上がった者がいる。皇甫嵩の副将として黄巾の鎮圧に功のあった傅燮である。宦官との圧轢で正当な評価をもらえず、この時は議郎となっていた。
傅燮はよく通る声で告げた。
「崔司徒をお斬りください。それによって天下を安んじられますように」
尚書郎の楊贊が即座に奏上した。
「恐れながら、燮は大臣を辱めようとしております!」
帝は楊贊の意見を止め、聞いた。
「傅燮は発言の意図を説明するように」
傅燮は威儀を正すと、説明を始めた。
「昔、冒頓単于が逆いた時、樊噲は興奮し自らが上将となり軍勢十万を率いて匈奴中を行くと願いました。樊噲は人臣の節を失いはしていませんでしたが、季布はそれでも『樊噲を斬るべきです』と申しました」
帝の「続けよ」という手振りを確認し、傅燮は続けた。
「今、涼州は天下の要衝、国家の藩衛であり、高祖が初めて興きた時酈商を使い別して隴右を定め、世宗が国境を拓いて四郡を置いたものです。それを以て、張騫の言う『匈奴の右肘を断った』ことと見倣したのです。しかし今、牧の御は和を失い、一州を反逆させ、海内は騒動し、陛下におかれましては不安で御寝もままならないかとお察しします」
そこで傅燮はちらりと崔烈を見た。
「崔烈は宰相として国のために乱を弭させる策を考えるわけでなく、むしろ一方萬里の土地を捨て去ろうとしております。臣はおかしなことだと戸惑うところです。もしこの地が左衽のものになってしまったら、彼らの兵士は勁く甲は堅く、乱をおこさない筈がありません。これは天下の慮る所、社稷の深く憂う所です。もし崔烈がそんなことも知らないのであれば、極めて問題です。知っていて言ったとしたらこれこそ不忠というものです」
実の所漢王朝で涼州を放棄するかどうかの議論は歴史的には三度目である。それだけ反乱が多く、そして戦費も掛かるのだ。
だが、劉宏の脳裏には一人の英雄の姿が浮かんでいた。
(皇甫嵩なら、やってくれるだろう)
その為に居る様な一族なのだ。帝は傅燮の意見に従うことにした。
収まらないのは崔烈である。
三公であるのにたかだか議郎に断罪されたのである。いくらなんでも侮られ過ぎではあるまいか?
崔烈は非常に不機嫌な顔で朝議から退出すると、その足で虎賁中郎将である長男、崔鈞に面会した。
「鈞」
「はい」
「三公として、私は皆にどう思われておる?」
侮られているのではないか、という意識から確認せずにはおれなかったのである。息子は少し困った顔になってから、意を決して答えた。
「お父上は若い頃から名高く、卿も太守も歴任され、だれもが三公になって当然と申しておりました。ただ、今その位に登られてからは、天下は失望しております」
「何故?」
崔鈞は本当に困った、という顔になった。
「……皆は父上の銅臭が嫌だといっております」
帝、劉宏は公職に就くものに修宮銭を要求した。崔烈が要求されたのは五百万銭。苦もなくそれを払った崔烈に帝は「惜しいことをした。千万銭要求すればよかった」と言った。清廉な士太夫なら持っている筈のない巨額。崔烈の声望は司徒になった事で地に堕ちていたのである。
反射的に崔烈は杖で崔鈞に殴りかかった。崔鈞は後ろに飛び、逃げ出した。
「父の杖から逃げるか?親不孝者め!」
崔烈の罵りに、息子は答えた。
「舜ですら父の杖からは逃げたのです。不孝とは思いません!」
崔烈はやつ当たりした自分の愚かさに気付き、杖を降ろした。
(国の為に帝に従っただけなのに……)
司徒に指名され拒否することはできなかったし、銭を出さない事も許されなかっただけなのである。司徒を買った、という意識は崔烈には無かった。




