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俺解釈三国志  作者: じる
第九話 涼州動乱(光和七年/184)
131/173

2 名を変える

「我々は国家に反逆するものではない」


 馬上の湟中義従胡、北宮伯玉は城壁に向かって叫んだ。


 湟中、というのはこの涼州の西の果てである隴西郡の更に西、つまり王朝の外の地域である。義従胡、というのは漢王朝に従ってきた異民族の意である。漢に叛いたのであるから、もはや湟中胡と呼ぶべきかもしれないが、その長である北宮伯玉は大月氏に属し、彫りが深い特徴的な顔立ちをしていた。


 彼の後ろには隴西郡枹罕県の宋建そうけんがいる。彼もこの地域で知られた悪人である。


「誤解を解きたい。涼州にその人ありと知られた邊新安殿、韓従事殿ならば安心できる。お二人に投降したい」


 邊允は楊州の新安で県令をして、任期を終え帰ってきていた。韓約は上計として先日都に登ったばかりである。どちらもこの金城の名士である。


「会う必要はありませんよ」


 韓約は金城太守の陳懿にそう答えた。勝手に反乱を起こしたのだ、勝手に降伏すればいい。


「まぁそうは言ってもな。包囲が解けないと我々は干上がる。話だけでも聞いてやれ」


 突然現れた異民族の反乱軍が允悟の県城を囲んだ。半月ほどの包囲で県が飢えはじめている。陳懿の困り顔にも理由はあった。

 だが、この戦況で、攻めている胡側からの突然の降伏宣言である。韓約には全く意味が判らなかった。だが太守である陳懿の願いである。二人とも肯んじるしかなかった。


 城門が僅かに開かれ、邊允と韓約と護衛の兵は城外に滑べり出た。


 北宮伯玉は下馬すると、にこやかに二人を迎え、後方の廬落ゲルへ招いた。


 そこには知らない男が待っていた。


「よう、歓迎するぜお二人さん」


 その羌の男は、並んだ胡床の一つに足を組みふんぞり返って座っていた。


「先零の李文侯だ。これからよろしくな」


 やはり。韓約は思った。西の湟中胡は東の先零羌と連係している。


(これは大変な事になるぞ)


「よろしくな、とはどういう意味だ?賊と馴れあう気は無いが」


 邊允が尋ねた。敵中でも強気を崩さない。韓約も頷いた。だが李文侯はニヤリと笑って答えた。


「馴れあうも何も、あんたらには俺らの頭目になってもらうつもりさ」


 そういった途端、四方八方から手が延びてきて、邊允も、韓約も、護衛の兵達も地面に抑えつけられ、後ろ手に縄までされた。


「未来の頭目に申し訳ないんだが、当面は捕虜、という形にさせてもらう」


 猿ぐつわまでされ、動くも叫ぶもどうにもならない。韓約は地面から上目遣いに李文侯を睨んだ。


 しばらくして、縛られた二人を背後に置いて北宮伯玉がまたも城壁に向かって叫んだ。


「だまして申し訳ないが、お二人の身柄は預かりました!お二人を害する気は全くありません!我々が泠護羌の所へ出頭するまで辛抱いただきたい!陳金城殿も保証人として御同行願えないであろうか!我々が欲するのはただ、身の安全のみなのです!」


 護羌校尉は泠徴れいちょう。羌族等の異民族を監督する役割で、允悟郊外の護羌営に駐屯していた。


(そんな馬鹿な話に陳金城が乗るわけがないだろう!)


 韓約の思いに反し、城門がゆっくり開くと陳懿の車とその護衛の一団がしずしずと出てきた。


 北宮伯玉は下馬せずそのまま陳懿の車に馬を寄せた。


「陳金城殿。御出座感謝いたします」


 馬上の礼で謝意を示し、それから切り出した。


「ところで泠護羌の件ですが──」


 笑顔のまま鞍に下がった短戟を抜いた。


「──既にぶっ殺し済みなんですわ」


 おそろしくあっけなく陳懿は死んだ。その後允悟の城が落ちるのに時間は掛からなかった。羌族は手を抜いていたのだ。允悟は略奪を受けそして焼亡した。


***


「なぜ俺達を生かした?」


 縄を解かれた邊允が、手首をさすりながら尋ねた。


「そりゃあ俺達は漢人じゃないからよ」


 北宮伯玉の、判ったような判らないような答えを李文侯が補足する。


「簡単にいうとだな、俺達は涼州を支配したいんだ。だが、涼州の漢人は俺達に従わないだろう?だから、形式上あんたらが首領ってことにしたいんだ」

「断わる!」


 邊允の食い気味の即答に韓約も強く頷いた。


「……これは巷の噂なんだが」


 李文侯がニタニタと笑う。


「允悟の落城も、泠護羌、陳金城の死も、ぜーんぶ邊韓二人の裏切りが原因らしいぜ」

「はぁ?!」


 韓約には李文侯の仕掛けが判った。


「お前ら、全部俺達の悪事として喧伝しているな!」


 李文侯は軽々しく何度も頷いた。


「今、金城の各県に侵攻してるが、兵には邊と韓の旗を掲げさせてる。あんたらもう大罪人だよ」

「そんな馬鹿な話、いったい誰が信じる」


 邊允は言い切ったが、韓約の顔がみるみる曇った。


「いや、左涼州なら……」

「そう。ケチの左昌なら信じる。軍を出すよりお前らの首に賞金を懸ける方が安いからな。首を洛陽に送れば軍を編成しないで済むと思ってる。そうだろ?」


 韓約は反論する言葉を持たなかった。


 それから軟禁一ヶ月。絶望の中で過ごした二人の元に、李文侯が門から引き剥したたてふだを片手にやって来た。


「州があんたらに賞金を懸けたぜ。首を送ったら一つで千戸侯だってよ……俺もちょっと考えちゃうね」


 韓約はため息をついてから、邊允を説得した。


「事ここに至っては申し開きも難しいようだ。要求を呑もう」


 申し開きの場に出るまでに欲に釣られた誰かに首を掻かれかねない。邊允は力なく首を横に振った。


「いやだ。俺には家族がいる。護らねばならん」


 今はまだ彼ら個人の命の話に過ぎない。だがこのまま事態が進めば三族の連座も有り得る。だが邊允が突然、天啓を得た。という顔になった。


「そうだ。名を変えよう。別人になれば、一族は助かる……」


 邊允が裏切った、というのは間違いという事にする。今後俺は邊章、と名乗る。邊允はそう言った。


「いや、親にもらった名だぞ……」


 親孝行で知られた韓約である。ひどく抵抗感があった。それに、名前を変え別人になるということは結局漢に背くことではないか。


 だが。


「死んだ親に義理立てして三族を滅ぼす気か?祭祀が絶えては親に申し訳ないぞ」


 そう言われてしまっては仕方が無い。


「遂だ。今後、俺は韓遂と名乗る。それで噂を上書きしてくれ……頼む」

「お安い御用だ」


 罪を背負った絶望と、親にもらった名を捨てる背信。だが韓遂は、どうしたわけか不思議な高揚も感じていた。


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