6 官を辞する
曹操は辞令を手に、しばし考えた。
任期である三年を前にして、濟南国相から東郡太守に転任せよという辞令である。
「それなりに評価いただいた、という事かな?」
曹操の猛政で濟南国の民は立ち直った。その手腕を東郡にも奮え、という事だろう。東郡は宦官曹節のいとこである曹紹が太守となった事で民が困窮し、黄巾賊の蜂起まで至った郡である。立て直しは急務であった。
「でもなぁ」
曹操の志望は地方官ではない。中央官として国政に参与すること、でなければ将として辺境で国家の賊を討つことである。
しかし今、中央官になるには修宮銭を払う必要がある。父に頼めばそのくらい難無く払えるだろうが、自分の経歴に「銭で官職を買った」という一文が付け加わってしまう。
人生は長い。政治が清くなってからでも遅くないのではないか?
「よし、辞めよう」
思い付いたら早かった。
病のため官を辞する、と報告し、曹操は沛國へ帰った。
そして故郷譙の東五十里の場所の精舎に引き籠った。
(賓客も謝絶し隠れて暮らそう。二十年も待てば政治も澄むだろうさ)
歴史はそんな悠長な時間を曹操には与えなかった。しかし、役所に籠りっきりで政務に邁進する、という生活から解放された効果は確かにあったらしい。卞夫人に立て続けに子ができたのである。この時産まれた男児は成人し曹丕、という名で呼ばれる事となる。後の文帝である。
(了)




