5 西からの客
火災のあった同じ二月の事である。
冀州常山郡で張牛角という頭目を中心に盗賊の連合が蜂起した。
普通なら冀州への北巡自体が中止になる事態である。だがこれは王芬が期待していた事態でもあった。
「陛下。自分に一時で構いませんので、兵をお預けください。必ずや賊を鎮圧し陛下の露払いをさせていただきます」
王芬はそう申し出たのである。
「許可戴いた!これで我が事は成れるぞ!」
許攸とともに喜んだ王芬だが、しばらくして我に返った。
「……私には黒山賊を撃破し、禁軍を打倒する自信がない」
王芬には全く武の心得えが無い。実のところ陶丘洪と華歆にもそれで見捨てられたのだが、本人は気付いていない。
「許子遠、卿はどうだ……?」
深刻な顔で尋ねられたが、許攸にだってそんな心得えがある筈がない。
「……誰か味方になってくれる武将は居ないだろうか。兵を率いた事があって、天子の廃立に賛同してくれそうな武将が」
そんな武将は全国の反乱に対応していて手一杯の筈である。しかし許攸にはたった一人だけ、心当たりがあった。
***
「北巡で冀州に誘い込んだ今上を廃し奉り、合肥侯を立てる。味方してくれ」
久しぶりに会った旧友、許攸の要請に曹操は頭を抱える羽目になった。
しばらく考えてから、曹操は尋ねた。
「お前、伊尹、霍光にでもなったつもりか?そもそも合肥侯とはどのような方だ?評判を聞いたことがないぞ」
許攸は言い淀んだ。曹操にはそれで想像がついた。
「王族というだけの子供を帝にして、政事を壟断する気だな」
許攸の沈黙が答えを示していた。
「合肥侯が有徳で知られた方ならまだしも……国家が三つに割れるぞ」
今上には何皇后の産んだ史公、董太后の養育する董公の二子がいる。幼子を旅に連れて行くわけもない。合肥侯と三つ巴の戦いになると曹操は見た。
許攸がようやく口を開いた。
「だが、今上はあまりにも暗愚に過ぎる。算を倍にしたんだぞ……子供の頃畑を耕して苦労を知ってたんじゃなかったのかよ」
裕福な家の出ではない許攸がぼやくのも曹操には理解できた。同時に許攸は理解していないことも。まがりなりにも王族である。様々な税や労役が免除されていたに違いないのだ。
「子遠。この話、袁本初は知っているのか?」
許攸は首を横に振りながら答えた。
「あの人は変ってしまった。大将軍に取り入ろうと必死だ」
大将軍は何進である。彼の権力の源泉は妹の何皇后であり、彼女を皇后の座に押し上げたのは宦官たちである。なるほど。これは変節だ。
「本初は権力を利用してでも、本懐を遂げる気なんだな」
曹操は許攸がこの陰謀に荷担したわけがようやく判った。変節した袁紹にすねているのだ。子供なのだ。では子供として扱おう。
「子遠。この計画は必ず失敗する」
曹操は告げた。
「本初も俺もこんなずさんな謀り事で卿を失いたくはない。王冀州の元から去れ。いや、このまま逃げて身を隠せ」
曹操は言葉を尽くし、熱心に説得した。最後には皮袋に銭を詰め、旅費として目の前に置いた。ようやく許攸が首を縦に振った。
***
黒山賊を討つ、という名目で兵を集める事を許可された王芬は、冀州に赴任し、さっそくそのための手配を始めた。
黒山賊との戦さの為の徴兵である。いくら金を積まれても弱そうな士太夫が将では人は集まらない。王芬に軍事的な名声がないことで徴兵は遅々として進まなかった。
(子遠、はやく軍事に明るい誰ぞを連れて来てくれ……!)
いつまで経っても戻らない許攸を、王芬はいらいらとしながら待っていた。「心当たり」とやらを連れて帰って来てくれないと、軍が整わない。
そんなある日である。
突然、帝から勅命が下った。
「徴兵を中止して派遣軍を解散せよ……?」
加えて冀州刺史王芬へ対する洛陽への召喚である。
洛陽で、天文を観測していた太史が北方に赤い気が立ち昇ったのを見たのである。そして帝に「陰謀があるようです。北に行くのはよろしくございません」そう報告したのである。
「──終わった」
王芬は自分の計略が露見した事を知った。
酒を温めて盃に注ぐと、毒鳥鴆の羽根をそこに浸した。




