4 南宮大災
「陛下、こちらを」
張讓が帝劉宏に濡れた上着を掛ける。まだ火の粉はこちらへは届いていないが、玉体を瑕付ける事はいささかも許されない。
混乱の中の暗殺を警戒し、宦官達が帝の周囲を囲む。そのまま帝を北門へ誘導する。夜空は赤く染まっており、そこここから悲鳴が、怒号が聞こえる。
洛陽北宮と南宮を繋ぐ復道に入った時、ようやく宦官達の顔に安堵が見えた。
「徳陽殿まで気を抜くな!」
張讓は叱咤した。火事からは逃れられたが、暗殺の危険は消えていない。だが実際張讓も半ば安堵していた。
(今晩ばかりは帝のお付きで良かった)
張讓は帝お一人を護ればいいが、他の後宮の宦官たちは四千もの女達を、他の男と会わせることなく北宮に避難させる、という難事にあたっている筈だからだ。趙忠は大長秋という立場もあり、何皇后や董太后の避難も采配していることだろう。
見上げれば中天を焦がす赤い炎。
中平二年二月に洛陽南宮で起きた火災は、半月も延焼を続け、洛陽南宮を焼き尽くした。
***
「銭がない、とな?」
大司農の言葉に帝は肩を落した。洛陽南宮の再建を命じたところ、大司農よりその財源がない事が報告されたからである。
「はい。乱の鎮圧にいささか費用を使いましたので」
「本当にか?」
「ははっ」
恐懼で縮こまる大司農を見下ろし、帝劉宏は途方に暮れていた。洛陽の南宮は帝の私生活の拠点であり、後宮のある場所である。南宮が復興しなくてどう暮らせというのか?
同時に思い出してもいた。皇甫嵩からの要請に応じ、中蔵府から財物を出すよう勅を出した記憶を。
洛陽北宮、徳陽殿の仮住い。
移転早々、帝劉宏は不満を感じていた。ここは安心できず不便だし、監禁に近い状態にある後宮の女達にも逢えない。
「陛下、費用について一案がございます」
張讓、趙忠が思いがけない提案をしてきたのである。
「さすが我公、我母である」
この献策により帝に笑顔が戻った。二人の案は二つ。
一つは増税。全国の農地の畝に十銭を掛ける事。もう一つ中央の高級官僚に就任する者に「修宮銭」という名目で金を出させるのである。実質的に売官の拡大化である。
「だが、本当に銭は集まるのか?どこか途中で私されたりしないだろうか?」
この懸念に、二人は鮮やかに応えた。萬金堂の建立である。集めた銭はこの建物に帝に見える様に蓄えられることとなった。
***
王芬は呆れてものも言えなかった。
既に成人男女から一人あたり百二十銭を人頭税に取っているのである。一人十畝程度は耕しているだろうから人頭税が倍になったに等しい。さらに、畝で数えるので本来人頭税の対象外の未成年や老人からも税を取り立てることとなる。
「ますます民が苦しむことになるな」
百二十銭を工面するのに苦労する百姓から二百銭以上絞り取る施策は、ますます地方豪族を肥え太らせる事になるだろう。
肥え太った地方豪族が修宮銭を払って三公に登る。三公に登った彼らは元を取ろうとするだろう。
漢家がまがりなりにも保たれてきたのは中央官僚に腐敗の余地がなかったからである。だが王芬はこれから政治が腐敗していく予感に戦慄した。




