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俺解釈三国志  作者: じる
幕間9 河間陰謀(中平元年/184)
125/173

2 東方の客

 洛陽の北を黄河は西から東へ流れる。

 黄河を下って東へ行くと、下流が青州でがある。

 青州に入った黄河は濟南国の北よりを通過する。

 濟南国から更に東に行くと、東海にたどり着く。

 その東端は、海に突き出した半島、東莱郡である。

 東莱の半島からは舟が出ており、対岸は幽州の遼東半島である。

 渡って幽州を東に行くと地の果ての樂浪であり帯方である──ここは罪人がながされる場所である。


 もし罪人が許された場合、この道を逆に辿る事になる。つまり、許され洛陽周辺の本籍地へ戻る流刑者は濟南国を通る。


 かくして、曹操は国相の館に李膺の子、李瓚とその家族を迎えていた。光和七年三月の大赦により党錮が解除され、流刑者も故郷へ帰る事が許可された為である。


 曹操は下手な慰めは言わなかった。十四年にも及ぶ苛酷な辺境の暮らしで、痩せこけ、やつれた彼ら家族に手厚く衣食を提供し、潁川までの車の手配をしてやっただけである。そして無言で送り出した。落魄したとはいえ誇りある士太夫に、こんな事で礼を言われたくなかったからである。


 李瓚も何も言わなかった。親切が骨身に染みていたが、曹操の気持ちを買ったのである。


 だが、車の中で李瓚は我が子に語り掛けた。


「父は張孟卓ちょうばくとは友人だし、袁本初えんしょうはお前達の外親ははかただが、窮地に手を差し延べてはくれなかった。なにかあったら必ず曹孟徳を頼りなさい」


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