2 東方の客
洛陽の北を黄河は西から東へ流れる。
黄河を下って東へ行くと、下流が青州でがある。
青州に入った黄河は濟南国の北よりを通過する。
濟南国から更に東に行くと、東海にたどり着く。
その東端は、海に突き出した半島、東莱郡である。
東莱の半島からは舟が出ており、対岸は幽州の遼東半島である。
渡って幽州を東に行くと地の果ての樂浪であり帯方である──ここは罪人が遷される場所である。
もし罪人が許された場合、この道を逆に辿る事になる。つまり、許され洛陽周辺の本籍地へ戻る流刑者は濟南国を通る。
かくして、曹操は国相の館に李膺の子、李瓚とその家族を迎えていた。光和七年三月の大赦により党錮が解除され、流刑者も故郷へ帰る事が許可された為である。
曹操は下手な慰めは言わなかった。十四年にも及ぶ苛酷な辺境の暮らしで、痩せこけ、やつれた彼ら家族に手厚く衣食を提供し、潁川までの車の手配をしてやっただけである。そして無言で送り出した。落魄したとはいえ誇りある士太夫に、こんな事で礼を言われたくなかったからである。
李瓚も何も言わなかった。親切が骨身に染みていたが、曹操の気持ちを買ったのである。
だが、車の中で李瓚は我が子に語り掛けた。
「父は張孟卓とは友人だし、袁本初はお前達の外親だが、窮地に手を差し延べてはくれなかった。なにかあったら必ず曹孟徳を頼りなさい」




