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俺解釈三国志  作者: じる
幕間9 河間陰謀(中平元年/184)
124/173

1 濟南国

 党錮の解除に伴い、国相が逃亡した濟南国。そこへ着任した曹操が見たものは、貴戚におもねる県令であり、狼籍をはたらく官僚達だった。前国相が汚職を重ねていたのである。その下の全てが清くある筈もない。


「残った汚れを除かねばな。さぁ、始める事としよう」


 曹操は状況を確認し証拠を集め能力を査定し、濟南国十県のうち、八県の県長を罷免するよう奏上した。国相には県令に対する直接の人事権はないからである。


 曹操が厳しい国相である、と知った汚職官僚は相次いで逃げ出し、近隣の郡へ去ってしまった。その結果、濟南国は清平となったのである。


 同時に曹操は淫祀邪教を廃止した。


 淫とは回数の多いことである。邪とは形のいびつなことである。つまり淫祀邪教とは度を越した儀式であり礼から外れた教えを言う。


 前漢の呂氏専制の時代。劉邦の孫に城陽景王劉章という人が居た。この人は呂后の死後、呂氏の排斥に活躍した王である。この周辺を領国にしていた事もあり、この王を崇める城陽景王信仰、というのが青州濟南国では盛んであった。その祠が国内に六百以上も立っていた。


 城陽景王の祠は漢の王族を奉ったものである、という憚りから、専門の役人が管理し、地域住民の負担で豪華な祭祀が行なわれていた。

 祠の前で城陽景王に仕える二千石の国相に扮し、衣服や従者をしつらえて、音楽まで奏でるというもので、年々華美になっていっているという。


(こんな出費をしていては身が保つまい)


 濟南の人口四十五万から考えると、祠一つあたり千人に満たない人数で祀っている事になる。こんな馬鹿をやらせていてはいけない。だが一度はじめた信仰をやめるのは難しいものである。誰かが「やはり祭祀は続けるべきでは?」と口にしたら復活してしまうだろう。

 

「壊せ。全てだ」


 曹操の命で全ての祠が破壊された。官による管理もやめ、祭祀自体も禁止してしまった。この件で曹操が厳しい政治家──猛政の人である、と言う評判が、濟南国ばかりか青州全体に轟き渡った。


 これらの施策の為に多忙を極める曹操の元に、思いがけない来客があったのはそんな時である。

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