14 宛(光和七年八月)
朱儁が宛の包囲を開始したのは六月の終わり。閏六月と七月が過ぎ、既に八月に入っていた。未だ宛は落ちなかったが、朱儁は焦れていなかった。住民に加え、十数万の黄巾賊が宛に籠っているのである。兵糧は恐ろしい早さで減っている筈だ。
焦れていたのは洛陽である。
六月に左豐の讒言で盧植が檻車で都に送還された。一月程度の包囲が怠慢であるなら、三ヶ月なら、どうか?
気を効かせた有司が朱儁も送還すべきではないか、と提議した。
司空の張溫が諌めた。
「昔、秦が白起を用い、燕が樂毅に任じましたが、みな年歴をかけて敵に克ったのです。今、儁は潁川で功をあげた上で南に師を向けたのです。方略ぐらい設けていることでしょう。軍に臨んで将を易えることは兵家の忌む所。日月を与えて成功をお責めください」
帝は追及を止めた。だが、帝が早急な成果を求めている、と聞いた朱儁は、楽観しなかった。戦果をあげねば次がないかもしれない。
だが官軍は黄巾賊の五分の一程度の兵力である。宛城を陥落させるのは難しい。朱儁は狙いを絞ることとした。
「神上使」張曼成程ではないが、城外にあぶれた信徒に布教する為、趙弘は城の外に出て来る事がある。包囲を開始してから三ヶ月、朱儁は一度も攻撃を試みていない。その為趙弘は官軍は何もしてこないだろうと考えているふしがあった。つまりなめられていたのである。
「やってくれるか?」
「おうよ。包囲なんてかっ怠くて飽き飽きだったんだ。」
孫堅は満面の笑みをたたえて応じた。方針変更。趙弘を急襲するのである。
「無茶はするなよ」
「そいつばかりは約束できねぇなぁ」
孫堅は先日の西華の戦いで勝ちに乗じ単身で突出し、重傷を負って一時行方不明になっていた。放たれた愛馬の導きで部下が見つけ出し、本営にかつぎ込まれ命をながらえたのである。
朱儁はこの若者を気に入り、真面目に心配していた。一軍の将としては軽率に過ぎるが、先鋒の兵としては有能で配下にも馬にさえ愛される好男子だったからである。
突如、宛城を包囲する囲みから、稲妻の様に少数の騎兵が飛び出した。孫堅と彼を慕う下邳組から馬に乗れるものを募った精鋭である。
するすると接近すると油断していた黄巾賊を踏みつけ跳ね飛ばした。孫堅達は城外に駐留する黄巾の一群を蹂躙し切り裂いた。趙弘を探すの事自体は簡単だった。一人黄巾を巻かず、道士の恰好をしていたからである。
馬の腹に足の力で抱きついた不安定な状態で馬上から斬り掛かるのでは確実性に欠ける。斬り損ねたら戻って来る機会はない。孫堅はそう判断し、ふわりと後ろに飛んだ。愛馬は孫堅が飛び降りた荷重の変化にひと跳ねしたがそのまま駆け去って行く。次々追い越していく味方の馬たち。
黄巾賊の集団の中央、敵しかいない場に孫堅は一人立ち止まった。
目の前には驚きに硬直している白装束の道士。
「わかるわかる。命のやりとりに慣れてないと、カチンカチンになるよな」
孫堅はにやりと笑った。
「死ね」
趙弘を斬り殺した。恐怖におびえる周囲の黄巾を無視し、敢えて残虐に趙弘の首を斬り取り、左手で掲げる。
悲鳴と怒号が上がる中、孫堅は深い満足を感じていた。
(あとはどうなろうが構うものかい)
周囲の黄巾が混乱から回復した時、自分は死ぬであろうと思った。だが、目的さえ達成できれば自分の生死は問わない。それが自分の生き方なのだ。
その時である。
呼んだわけでもない愛馬が一周旋回して来て迎えに来た。
「ははっ」
孫堅は笑ってたてがみを掴んだ。
「ハッ!」
首にしがみついたまま馬の耳に声を掛けると馬は心得顔で加速し、自陣に戻っていく。城外の黄巾賊が大いに混乱している間に孫堅達は陣へ戻った。
血塗れの孫堅を朱儁が労う。
「城外に居た黄巾賊の多くが投降した。蜂起後の布教で集まった連中だ。大した信心でもない。首謀者が死んだ以上、おいおい散りじりになるだろう」
だが朱儁は楽観的に過ぎたらしい。南陽黄巾は新しい渠帥を選出した。韓忠である。
「これはどうやっても宛を落さねばならんようだな」
趙弘の首なぞ送っても意味はないだろうし、韓忠の首を取ってもまた新しい渠帥が埋まれるだけだろう。そもそも黄巾賊も先の襲撃に懲りたのか、城外に屯していた兵を全て宛城内に収容してしまった。渠帥を急襲するにもその隙がなかった。
圧倒的な多数が籠る宛城を攻略するのには策が要る。
朱儁は包囲陣から精鋭を抽出した。宛の包囲がぎりぎり成立している様に見える程度に兵を抽出し、五千の兵を得た。この精鋭を城を囲む土塁の東北側に隠した。
その他の兵を宛城の西南に移動させ、太鼓を鳴らし声を上げさせ、攻めよせる形勢を見せた。
渠帥の韓忠はこの陽動にひっかかり、全兵力を宛の西南に集め防御を固めた。
「今だ!」
朱儁自らが指揮し、先鋒に孫堅を置いた精鋭五千が宛の手薄な東北側に襲い掛かった。
土を突き固めた版築の城壁は垂直ではない。よじ登ることはできるのである。だが、少ないながら守備に残った黄巾賊が石を投げ落して来る。登っている最中は反撃もできない、上すら見上げられない恐怖の中で黙々と登る、勇気が試される局面である。
孫堅は上からの攻撃など意にも介さず、誰よりも先に城壁を駆け登って叫んだ。
「孫文臺!一番乗り!」
そう叫びながら城壁上の黄巾賊を投げ落す。この快男児を一人死なすわけにはいかない。五千の精鋭も必死に後を追って城壁を越えた。
城内に入ったら、後は簡単だった。籠城中の黄巾賊の搾取に反発する住人も協力してくれた。
韓忠は兵を集めていた宛城の西南の一角を封鎖し、立て籠った。形勢は完全に逆転した。
籠城する黄巾賊から使いが来た。投降したい、命をばかりはと打診してきたのである。
「よいのではないですか。これ以上お味方にも損害は出したくないですし」
張超は言った。降伏を許してやれ、という事である。徐璆、秦頡も頷いた。朱雋は首を横に振った。
「兵には形が同じでも勢が異なる場合がある。昔、秦や項羽の際は、民には定まった主なく、ゆえに漢は投降を勧めていた。今や海内は一統し、ただ黄巾だけが寇をなしているのだ。許しても勧善とは言えず討てば懲悪に足りるのだ。もしこれを受ければ賊は利があるなら進んで戦い、なくなれば投降するようになるだろう。敵にほしいままにさせ寇を長引かせるのは良計にあらず、だ」
かくして韓忠の守備する一角を力攻めした。だが一角は落ちなかった。何回攻めても、黄巾賊は必死に守り突入を拒んだ。
「連中必死ですな。死を覚悟して向かって来ますぜ。なかなか手強い」
孫堅は相手が死兵である、と報告してきた。
朱雋は築かせた土山に登った。ここからなら韓忠の籠る一角が丸見えである。
孫堅が戦っているのが小さく見える。孫堅の動きも人間離れしていたが、黄巾の防御もすさまじい。明らかに孫堅が攻めあぐんでいる。
「子並殿」
朱雋は張超に言った、
「わかったぞ。賊は今、完全に包囲されていて、兵糧もさし迫っており、降りるに受け入れられない。出たくとも出れない。それで死戦を行なっているのだな。万人が心を一つにしただけでも当たるべからざるのに、十万人だぞ!その害や甚だしい。囲みを緩めれば、韓忠は必ず出て来るだろう。出れば心を一つのままではおれまい。これが容易い方法だ」
張超は良く判らない、という顔で頷いた。
朱雋は包囲を緩めさせ、宛の城外への道を開けた。
韓忠と黄巾賊はそれを知ると城外に脱出し、陣を構えた。人数はまだ黄巾賊の方が多い。野戦なら勝てるかもしれない、という一縷の望みに賭けたのである。
「文臺」
「言われずとも!」
鎧袖一触。
黄巾賊はまとまりなく、投降するもの、逃げる去るもの、韓忠を守ろうとするものに分裂し、散りじりになった。
朱雋は韓忠を守る一隊を追撃し、一万余りを斬首した。韓忠は降伏を願ったが、秦頡が殺した。
残党が宛に戻ろうとしたが、これも急襲し追撃し隣の西鄂県まで追い詰め、また一万余りを斬った。ここに荊州黄巾も終焉を迎えた。




