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俺解釈三国志  作者: じる
第八話 歳在甲子(光和七年/184)
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12 公よ母よ

 長社の戦いの後、曹操は皇甫嵩の軍を離れ、洛陽に帰還した。


(ああ、もっと従軍していたかった……)


 できればなし崩しに皇甫嵩の将となって、功名を挙げたかった。しかし実際には増援任務達成の報告を要求する選部尚書からの要求に逆らえなかったのである。


 騎都尉としての実績を報告に行った曹操を待っていたものは濟南国の国相への辞令であった。


「待ってくれ。騎都尉で実績を残しただろう?未だ乱は治まらず。私を一軍の将としてくれれば必ず成果を残すつもりだ」


 せっかくの反乱である。乱世の姦雄としては是非とも爪跡を残さねばならない局面なのである。曹操は辞令を持って出てきた選部の尚書郎に食って掛かった。

 尚書郎は大きなため息をついてから、まくし立てた。


「今、全国の郡という郡。県という県の守令が勝手に辞任してしまったのだ。選部はその手当で死ぬ程忙しい。まともな統治のできそうな奴は片っ端から使い倒させてもらう。濟南国は反乱の多い泰山の隣で太平道も根強く信仰されている。容易い役目ではないのでお主をあてがったのだ。今更代わりを探させるな!とっとと青州へ行け!」


 尚書郎としては暴言に近い叫びだったが、その血走った目、疲労の滲む頬を見ると曹操は何も言い返せなかった。


***


 一枚の笏を手に、帝は激怒していた。


「お前達、これは一体どういうわけだ?」


 いつにない帝の剣幕に、宦官達は恐縮し、平伏した。


「これは王豫州が滅ぼした黄巾賊の陣より回収したものだ」


 張讓は内容に想像がついたので、全力で言い訳を考え始めた。


「張角らは信者に中常侍らと交通し、洛陽突入の機会を窺えと指示していたようだぞ」


 やはり洛陽突入に関する指示が廃棄されていなかったのだ。張讓が答えた。


「それは封諝、徐奉らの事でございましょう。帝の御慧眼を彼らは欺けず、ついに罰せられました。悪い事はできないものでございます」

「あの二人にはそのような企みをするだけの器がない。誰か別の者が糸を引いていたはずだ」


 帝は不満げに詰問した。


「おまえたちは常々、党人は不軌を企てているから禁錮するか誅に伏せよ、そう言っておったな。だが今、彼ら党人は国の役に立っておる。むしろおまえたちこそ張角に通じていたのではないか。私がお前達を斬れないと思っているのか?」


 張讓は他の宦官に目配せした。宦官達が一斉に頭を床に打ちつけ始める。張讓は喉から振り絞るように言上した。


「それは今は亡き王甫、侯覽の仕業でございます……」



 帝の御前を退出して後、他の宦官が安堵のあまり張讓へ語りかけた。


「よくあんな言い訳が通りましたね」


 王甫は五年前。侯覽に至っては九年前に死んでいる。黄巾と共謀しようがない。


「私も無茶だなと思ったとも。だが帝は私が言えば馬も鹿にしてくださるのだ」


 張讓は何食わぬ顔で答えた。


 趙忠と張讓は二人してどちらかかが必ず帝に近侍する様努めてきた。近侍を続けながら、二人は劉宏に条件をつけて育て上げた。時に反乱の恐怖を、時に学問への渇望を、時に食事の喜びを、時に女体の歓びを。そういった感情の動きに織り込んで、趙忠と張讓への親愛を誘導したのである。趙忠と張讓が哀れに懇願する時、劉宏が二人を保護したくなってしまうように。

 哀れな宦官でしかない二人の事を、帝に「我公わがちち」「我母わがはは」と呼ばせる事に成功した時は二人して祝杯を上げたものである。子が両親を守るのに、理も非も必要ないではないか。


 その日、帝が就寝後、趙忠が張讓の元へやってきた。


「士太夫共が張角の罪を我々に擦り付けてくるのは困ったもんだよね」

「もはや張角が勝つ目はない。だから我々は太平道の鎮圧に協力的なのだがな」

「党錮を解除されたのにも反対はしなかったのに、ねぇ?」


 宦官が介入した人事のままで勝てない事は二人には判っていた。無能だから賄賂を送ってえらくなろうとするのである。そんな奴らでは黄巾賊を鎮圧できないのは自明だった。

 

「しかし、いくらなんでも鬱陶しいな」

「いろいろ調べ回っているようだよね」


 いまさら名前をわざわざ上げなかったが、二人の念頭にあるのは同じ顔で、そしてこの瞬間、彼の死は既定の事となったのである。


 数日後……呂強が休沐の日、趙忠は他の宦官と共同で帝に訴え出た。


「陛下。呂強は党人共と今後の朝廷をどうするか共議しております。書を読む姿が幾度も目撃されておりますが、所持していたのがなんと霍光伝だったとか。しかも呂強はあの様に清貧を装っておりますが、なんの事は無い、その兄弟は故郷において皆貪穢と知られております」


 霍光は二百年ほど前の大司馬大将軍であり、歴代の名臣である。だが、霍光の名が朝廷で使われる際はそこに必ず特別な意味が込められていた。霍光は帝を廃しすげ替えた実績があるからである。


 私は帝が廃位されたら生きていけません……そういう切々とした表情で趙忠は訴えかけた。


 帝は苦い顔をした。


「……呂強を呼び出すがよい」


 趙忠は配下の黄門宂従僕射を呼び出すと、小さな紙包みを渡した。


「これは?」


 高価な紙の間には、鳥の羽根らしきものが覗いており、黄門宂従僕射はその正体を悟って顔を遠ざける。鴆毒である。


「これを飲ませよ、という事でしょうか?」


 趙忠は屈託なく笑って答えた。


「飲もうとしないならね。でも多分飲むよ自分から。いや、渡す必要もないかも」



 呂強は大長秋の配下が兵を引き連れて自宅にやって来た事で事態を理解した。


 しばしの時間を乞うと、自室に戻った。


 ささやかだが、静かな庭が見える。他の宦官と違い、呂強は豪邸を建てることもしなかったし、無駄な妻帯もしなかった。身の回りの世話も自分で行なう為使用人も居ない。門の内は静かなものであった。


(ようやく判った。帝の理路はおかしい。脈略が無い)


 あの日あんなに英邁だったのに、別の日には暗愚としかいえない振舞をなされる。黄巾に対抗するのに私を用いられたのに、今は讒を信じておられる。


(理路が張讓の讒言で曲がるなら、如何なる諌言ももはや虚しい)


 懐から、小さな木箱を取り出し、眺める。桐の小さな箱は、からからと乾いた音を立てた。


(これのせいで、私は宦官になるしかなかった)


 呂強は小箱を懐に戻した。


(最後は士太夫として死のう)


 士太夫は獄へ送られる前に、自ら名誉の死を迎えるものだ。


「私が死すれば乱が起きよう。丈夫たるもの国家へ忠を尽くさんと欲するものだ、どうして獄吏などの相手をしておられようか!」


 趙忠は帝劉宏に、呂強が自殺した、という報告を行なった。


「強は、陛下のお召に従わず、何を問われるかも聞かぬまま自殺しました。これは後ろ暗い所がある為でございましょう」


 呂強の家族は連座させられ、財産は没収された。


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