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俺解釈三国志  作者: じる
第八話 歳在甲子(光和七年/184)
118/173

11 武の人(光和七年五月)

 轘轅関へ戻り再編成を行なう朱儁の軍と入れ替わりに、皇甫嵩の軍が潁川に入った。あの敗北の後である。さすがに皇甫嵩は慎重に軍を進めた。斥候を放ちつつ、皇甫嵩は黄巾本隊の場所を探った。


「いました!鄢陵です!大軍です!三万じゃ済みません!」

「案内しろ」


 斥候に行っていた傅燮の報告を聞くや、皇甫嵩は馬上の人となった。自分の目で確認に行くのだ。


 許県の北に鄢陵はある。


 遠くその県城を眺め、その城壁の周囲に屯している黄巾賊を確認する。


「城外であれだと、城内含め十万という所か」

「七倍……」


 傅燮は顔を顰めた。三河で徴兵された兵は四万余り。それを三将で分けた為、皇甫嵩の隊は一万四千程度の兵力である。とても対抗できる数ではない。


「炊煙が見えない」


 皇甫嵩はそうつぶやくと、踵を返した。


「長社に兵糧を運び込め。県の城兵達を城門から引き剥し、念の為監禁しろ」


 長社県は鄢陵に最も近い県である。

 

「奴らに我らを包囲させる」


***


 傅燮が城壁の上から見下ろすと、見渡す限りが人また人で黄色く染まっていた。皇甫嵩の一万四千は長社の県城で十万を超える大軍に包囲されていた。


 ヒュン、という音と共に、矢が飛来し、傅燮は片足を上げてそれを避けてから皇甫嵩に報告した。


「……兵が騒いでいます。我々は全滅するのではないか、と」

「兵は奇変に有りて衆寡に在らず、だ。私に策があり、時を待っているのだと噂を流せ」


 ごく散発的にだが矢の降る中、皇甫嵩は城壁の上を堂々と歩いた。敵を視察するためでなく、城内の兵に自分を見せるためである。


 それが判っている傅燮も、余裕の顔を演じたが、声は疑問形だった。


「どんな秘策がおありで?」

「包囲側の炊煙を数えた」


 傅燮は小首を傾けた。将軍はそんな事を観察していたのか?


「どんどん本数が減っている。連中は飢えている。春だからな」


 冬を越えて迎えた春は餓死の季節でもある。秋に貯め込んだ食糧を冬の間に食べ尽くしたにも関わらず、まだ実は成らず、なのに労働は多いからだ。


「あの兵力を支えるだけの食糧を彼らは持っていない。鄢陵は既に食い尽くしただろう。他の県を蚕食したいだろうが、包囲を解けば我々の追撃が怖い。分遣隊を出す程の指揮能力はない。そろそろ浮き足立ち始めている頃合いだ」


 皇甫嵩の声が小さくなった。


「見ろ。今、賊は草原に宿営している。風を使い火で焼けば、必ず驚き乱れるだろう。そこに兵を出して撃てば、これぞ田單の功というものだ」


 田單は昔の斉の国の将軍で、火牛の計で燕軍を驚かし、斉を大勝に導いた人物である。傅燮にだけ火計を打ち明けたのである。


 皇甫嵩は数日を待った。そしてある夕、賊営に向かう大風が吹いた。


「南容。君は精鋭を率いて密かに城外で待機したまえ。城壁でかがりびを焚く。それにまぎれて松明を投げ降ろすから、草原に火を付け、大声を上げよ。呼応して本隊が城から突撃する」


 夕闇に隠れ、傅燮と彼の精兵は城を抜け出した。


 暗くなると、城壁の上で煌々と苣が焚かれた。


 城を包囲する黄巾賊は一旦はその輝きに目を奪われたが、しばらくするとそれにも慣れ、ひもじさを我慢しながら眠りについた。


***


「!」


 外からの悲鳴と怒号で、ようやく就いた眠りから波才は引き戻された。


 見回すと、まだ夜半の筈なのに天幕の外が明るい。慌てて飛び出すと、そこは混乱の坩堝だった。


 天を焦がす炎の壁が吹き上がっていた。逃げる男達。混乱する女達。踏み殺される子供達。その向こうから、太鼓を鳴らしながら勢子の如く迫ってくる官軍がやってくる。


「ひぃっ」


 波才も、他の黄巾も、炎の無い方向に逃れることしか頭の中に無かった。


***


 黄巾を巻いた男が背中から斬られ地面に突っ伏す。


 逃げる敵は反撃してこないし避けることも難しい。一方的に相手を屠る、追撃は戦場の華である。


 安定の悪い馬上から器用に戟を振るった皇甫嵩は、戟を振って血糊を吹き飛ばすと、前後周囲を確認する。周囲を覆う炎と煙の壁のすき間から、前には逃げ惑う黄巾賊が、横とま後ろには追随する味方の兵が見える。


 炎と炎、煙と煙の間を走りながら、後ろの兵が迷わぬ様に誘導する。


「喚け」


 皇甫嵩の命令で兵達が奇声を上げる。


 雄叫びと共に煙の壁を割って現れた官軍に、まだ秩序を保って踏み留まっていた黄巾の一隊が潰走をはじめ、それを兵達が次々と始末してゆく。


 炎の中、逃げ惑う黄巾賊を背中から斬り捨てながら、皇甫嵩は強烈な不満を感じていた。

(兵が足りぬ)


 せっかくの追撃で戦果の拡大をしようにも、追撃の兵力がどうにも足りないのだ。


(もっと、もう少しでいい。兵がいれば!)


 このままでは十分な戦果の拡大ができないまま、敵が冷静になってしまうかもしれない。そうなったらまた兵力差がものを言ってしまう。


 燻る草原と黄巾賊の背中を踏み超えて皇甫嵩は前進に前進を続ける。敵を冷静に戻してはならない。それだけの為に将である皇甫嵩自らが先頭に立って黄巾賊を壊乱させていく。


 ふと、皇甫嵩は奇妙な事に気付いた。前方の煙の向こうから剣撃の音が聞こえる。惑乱の叫びではなく、断末魔の魂消える声が聞こえる。最前線の、その先頭に立つ自分よりも前で戦闘の音がする。


「中郎将!お下がりを!」


 傅燮が前に出て皇甫嵩の盾になろうとする。


「いや、官軍だ」


 皇甫嵩はそれを退け、煙の向こうに抜ける。見知らぬ官軍が追撃戦を行なっていた。


「皇甫中郎将とお見受けします!」


 炎と煙の中、指揮官らしき小柄な青年が馬上のまま声を掛けてきた。


「騎都尉の曹孟徳と申します。援軍二千、お届けに参りました!」


 皇甫嵩は笑顔で即答した。


「受け取った!」


 将としての売り込みに失敗した曹操だが、太尉府の主簿は曹操の名を覚えてくれたらしい。援軍の運搬役として曹操は招集された。騎都尉を拝命する時、こう説明されている。「貴官は援軍を届けるのが任務で、自衛以外の戦闘は慎む様に。援軍をお渡ししたらすぐ戻ってくるように」と。


 皇甫嵩の後を追って長社に到着した時は絶望した。長社城の周囲は黄巾賊に埋め尽くされ、包囲されていたからである。


 ここに突っ込んでも全滅するばかりである。曹操は兵を離れた場所に伏せ、時を待った。皇甫嵩が噂通りの戦上手であれば必ずどうにかして解囲する筈だと考えたからである。


 炎と共に突入し、ここに合流を果たした所で曹操の任務は終了した。が。


「自分にはもう兵の指揮権はありませんが、後学の為同行を許していただけないでしょうか?」


 曹操はそう申し出た。皇甫嵩は無造作に応えた。


「ついて参られよ」


 皇甫嵩の脇にいた副官らしき男は嫌そうだったが、曹操はいつもの様に無視した。自分を宦官の孫と蔑む視線だった。そんな程度で戦上手の手腕を観戦できる機会を逃すことなど考えられなかった。


 長社の戦いで、皇甫嵩が黄巾賊から取った首級は数万という。実数ははっきりしない。炎に消え、馬で踏み潰し、混乱の中だったからである。さらに正確な数を数え直す事もできなかった。逃げる波才を追い、追撃が続いたのだ。


***


 追われ追われ、安息の時が無いまま、波才は西へ逃げ続けた。


「西だ!西へ行けば、陽翟へ行けば飯も食える、安心して眠れるぞ!」


 波才はそう言って皆を鼓舞した。長社での被害で兵は半減していた。だが県城一つ落すには十分な筈だ。東へ戻ることは考えられなかった。そちらの県は全て食べ尽くしてしまっていたからだ。


  陽翟は長社の西、潁川郡の中央にある。


 飢えと疲れと睡眠不足の中、陽翟までたどり着いた黄巾賊はいつもの通り、信者の内応で城門を抜け、県を奪うつもりでいた。


「行けっ!」


 いつもの様に城門に攻めよせた。この攻めに城内の信者が内応して開門する。この手で難なく県城を落してきたのだ。


 だが、城門にたどり着いた彼らが見たのは、閉ざされた門前に晒された首であった。わざわざ黄色の布が頭に巻かれていた。


 県城を略奪し、補給と休息とを期待していた皆の落胆はそれは恐ろしい程だった。実際波才も途方に暮れていた。官軍に追われながら、他の県へたどり着ける自信が無かった。


 不敵な声が響いた。


「おう、賊徒共。ここから西には行かせねぇ。あ、東にも、な」


 県城の西を官軍の別動隊が塞いでいた。官軍にしてはいやにやくざな感じの男が叫んでいた。


「ここで終わりだ!孫文臺様の名を覚えて死ね!」


 皇甫嵩の連絡を受け、再編成を済ませた朱儁が南下、この陽翟へ先回りしていたのだ。


 西から朱儁、東からは皇甫嵩。ここ陽翟の県城前の耕地で波才の黄巾賊は包囲されたのだ。


「丁度いい。官軍は糧食を抱えて来てくれたぞ!我らの方が多いのだ!食い破って連中の糧食を奪うぞ!」


 波才にはそれぐらいしか与える言葉がなかった。


***


 皇甫嵩に同行した曹操が戦場に到達した時、戦闘は既にはじまっていた。朱儁の軍の若い将が縦横無尽に黄巾賊を斬り割いていた。


 皇甫嵩が全軍に指示を与える。


「前軍は左右へ展開。中軍は整列せよ!後軍は待機!」


 号令に従い、部隊が展開して行く。五営の兵を卒として再編成したおかげで命令はつつがなく伝達されていく。


 皇甫嵩が曹操に解説する。


公偉しゅしゅん殿は待てなかったようだが仕方あるまい。拘束してくれただけ感謝せねばな」


 前軍が翼となって包囲し、中軍が打撃を与える布陣である。


「相手の方が多いのに包囲できますか?」

「連中は密集する陣しか布けない。延翼に応じれば統制が取れない」


 緒戦の朱儁からの報告で、黄巾賊は官軍と兵の質に大差はないが、指揮官の数が不足していると皇甫嵩は知っていた。単純に前後するくらいしかできないのだ。


「叫べ」


 皇甫嵩の命令で中軍の兵達が大声を上げた。それに気付いた黄巾賊の列後方がこちらに向き直し、陣を組む。


「油断している所を急襲しても良かったのでは?」


 曹操の疑問に皇甫嵩は首を振った。


「戦は結局の所、どちらが先に相手の士気を崩壊させるかだ。兵の多寡はその一要素に過ぎない。賊共には包囲された事を教えてやらねばな」


 なるほど、後方で着々と陣形を整えている敵がいるのに士気が上がる筈が無い。黄巾賊の、西側……朱儁の隊への圧力も減った気がする。


「……それにしても派手な奴だ」


 曹操がつぶやいた。


 朱儁隊の先鋒の若い将は、短戟一本で派手に動き回り、華々しく斬り殺している。その勢いに三倍はいる筈の黄巾賊が何もできずに殺されている。


「卿も行きたいなら中軍に加わるといい」


 その視線の先を見た皇甫嵩が曹操に先鋒に加わる様勧めてくれた。

 曹操は苦笑して応えた。


「ああいう兵隊になりたいわけではないので」


 くすり、と笑って皇甫嵩が手を上げた。


「太鼓を!」


 その音で整列した兵が前進する。中軍を中心に包囲が絞られていく。


「包囲は完全ではない。が、環のすき間を抜けて反撃できる程、連中の統率はとれていない」

 

 中軍が黄巾賊の背後に到達。戦闘がはじまった。


「正面からの力押しでは不確実では?」


 遠いが、空気は伝わってくる。


 思ったより多数の黄巾賊が反撃して来て、前線が攻めあぐんでいる。なにせ相手はまだこちらの倍居るのだ。寡兵側は戦っているうちに疲れ、士気も衰えていく。曹操はそれを心配した。


「心配無用」


 皇甫嵩は片手を挙げる。後軍から一隊が進み出、前進する。


「後詰が続く限り士気は回復する」


 皇甫嵩が指示する度、後詰が前線に参加し、疲労した前線を支える。


 だがそれも永遠には続かない。やがて全ての後詰が戦闘に参加した。曹操の目で見る限り、官軍は疲れた黄巾を押しに押している。優勢である。


「後はもう打つ手はない。せいぜいわたし自ら斬り込む事ぐらいだ」


 だが指揮官先頭は一歩間違うと指揮官の戦死で全てを失うかもしれない危険な手である。


「状況はどうです?」


 曹操の問いに、皇甫嵩は前方をじっと見据える。


「連中思ったよりやるな。もう崩壊してもいい筈なんだが持ち応えている。こちらが息切れする前にはいけると思うが」


 評判高い皇甫嵩が、どの辺を見てそう判断したのか知りたい曹操も、前線に目を凝らした。


「ん?」


 戦闘の後方、朱儁隊の向こう、陽翟の城壁を、縄ですべり降りる数人の男が見えた。


 その男達が朱儁隊の背中越しに、包囲されつつある黄巾に向かい叫んだ。


『黄天!』


 その叫びに皇甫嵩の顔が曇った。


「今のは?」


 戦況に影響がある人数とも思えない。曹操は皇甫嵩の苦渋の理由を知りたかった。


「陽翟に潜んでいた残党だろう。いかんな。公偉殿の部隊は先日側面を突かれて負けたばかりだ」


 ここからでも判る。黄巾賊の勢いが上がっている。城内に味方が残っている、というのに勇気をもらったのだ。


 前線で奮闘する若武者の活躍にも関わらず、彼の居ない包囲環の部分で朱儁軍が押され始めた。後ろにいるたった数人の黄巾賊が気になって腰が引けているのだ。


「ま、戦さとは何が起きるかわからんものだ。時にこういう事もある。全てが計算できるわけではない」


 諦観の表情で肩をすくめる皇甫嵩に、曹操は提案した。


「我々が突撃するのはどうです?」

「東を強くしても西を助けるのに間にあわん」


 曹操もようやく、皇甫嵩と同じ諦観の表情になった。ここからでは朱儁隊の崩壊を防ぐ手立てがない事に納得したからである。


 汗ばむ掌を握りしめながら、曹操はその時……包囲の環が西でちぎれ、朱儁隊が壊滅する時を待った。ごくり、と唾を飲み込みたかったが、口が渇いていて何も飲めない事に曹操は気付いた。

 朱儁隊が壊滅したら、黄巾賊は東に切り返し、こちらを飲み込むだろう。


 その時である。


「悪党ばらよ!おとなしく縛につけぇ!」


 東西の包囲環のすき間、南側から大声が轟いた。


 一両の戦車を先頭に数百の歩兵の一隊が突入し、黄巾賊の側面を突いた。


 荀爽が必死の形相で禦する戦車の上で、豫州刺史の王允が長い戈をぶんぶんと振り回し、黄巾賊を刈り取っている。孔融があわあわと弩を射ちまくっている。


 この奇襲の効果は覿面だった。官軍と対峙している側面を突かれ、黄巾賊の隊列が乱れ、崩れ、東西の二軍の挟撃を支えられなくなっていく。


 曹操と皇甫嵩は顔を見合わせた。


「なるほど。何が起きるかわからないものですな」

「全くだ」


 かくして波才の率いる潁川黄巾は崩壊した。


***


 武装を解かれた捕虜達が穴を掘っている。双方の戦死者を埋めるのだ。


 そんな中を荀爽と孔融を引き連れて王允が歩いていた。


 捕虜に聞き込み、渠帥の波才を探しているのだ。


「それらしい人物は捕虜の中にはいない様です。後は戦死者という事ですが」

「渠帥と区別できる身なりの死体は無いようです」

「渠帥とやらが包囲の中、最後に居た位置は割り出したいな」


 捕虜を一名借り、死体の残る現場を検証していく。


「見ろ」


 王允が杖で指す先には、黄色の長い布が踏みつけられ、半ば埋まっていた。


「身分が判るものを捨てて、逃げだしたんじゃろうな」


 おそらく渠帥を示す黄色の綬だと思われた。


 王允は孔融に辺りに散らばるものを全て回収させた。


「これは」


 一枚の細長い木辺……笏である。そこには教団から渠帥に宛てた指示が記されていた。


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