10 敗北(光和七年四月)
洛陽を発った北中郎将盧植の軍は、黄河の南岸を東に進み、守備を固めつつある旋門関を抜けると延津で黄河の北岸へ渡った。ここは既に冀州魏郡である。黎陽営の騎兵を北中郎将持節の権限で戦力として組み込んだ。
ここから鄴はもう目前。その向こうに太平道の本拠地、鉅鹿がある。
(所詮、道士の反乱だろう)
盧植は数万からなる反乱なら経験がある。賊を倒し、民を安んじれば済むことである。
異変が起きたのは黎陽を出て北上してすぐ。内黄県に近付いた頃である。
「おい!誰か!前方に煙が上がっておる。状況を偵察して来い!」
盧植の大声が林の枝を震わし、小鳥が飛び上がる。
進行方向に幾条かの黒煙が上がっている。こういった煙は時に敵の滞陣を示す場合があるからだ。
「なんだこれは?」
煙の下には役場が焼け落ちた内黄の県城があった。そこここに点々と死体が転がっていたが、生存者の姿はない。
「状況がまるで判らんな。生きている者を探せ!」
手分けして県の生き残りを探させた。四半刻の捜索で城内に生存者は居ないと判断し、県城の外に手勢を出し、危険覚悟で捜索させた。
しばらくして、数人の生存者が連行されてきた。
「お前達!この城でいったい何があった?!」
響きわたる大声に生き残り達はびくりと体をすくませる。盧植は次は極力声量に注意して、できる限り優しい口調で問いかけ直した。
「君たち、何がこの県に起きたか、教えてくれないかね?」
お互いに顔を見合わせていた生存者達はぼそぼそと語り出した。
「黄色い頭巾の連中がやってきて役所に火を放って。皆連れて行かれたようなのですが、後はよう判りません……わしら先に逃げましたんで」
「抵抗した形跡がない。県令は何をやっとんたんだ?」
内黄の県城は門にも城壁にも、これといった損傷がなかった。つまり組織的な抵抗をせずに賊に降伏したという事になる。なぜこんな事になったのか県令を問いただしたかった。
「県令様はお辞めになられました。ですのでわたしどもも逃げることにしたのです」
黄巾賊が県城に攻めて来る前に、県令は辞職し、逃げ出していたのだと言う。生存者の回答に盧植は驚愕した。
(黄巾共が来るのを察知していた……?)
だが状況を聞いて行くうち、盧植は事の発端が黄巾の襲来ではない、ということに気付いた。県令が辞職したのは先日の勅が届いた直後だったのである。
──天下に党人を大赦する。
その勅が届いた県令は、党錮で官から追われた士太夫達が官に復帰することを知った。党錮を解かれた士太夫が刺史になって取り締まる側に入るのは必定。汚職を暴かれるのを恐れた県令は咎められる前に逃げ出したのである。
(ん、待てよ?)
盧植は気付いた。
(それはここだけの話か……?)
天下の郡県の守令は皆宦官の息が掛かっているといってもいい。当然皆が汚職塗れである。彼らが皆、同じ様に考えてるとしたら?
恐ろしい想像だった。
(全ての郡県から守令が居なくなっていたら)
天下の郡、県全てが守るものもなく無防備な状態になっていたとすれば。そこに賊が襲来したとすれば。
鉅鹿と鄴で起きた道教教団の反乱を鎮圧する。その単純な任務の達成に盧植は困難を感じはじめた。
***
河東に到着した皇甫嵩ら一行を出迎えたのはがっちりとした、だが胴回りの太った役人である。
「義真!待ち兼ねたぞ」
河東太守の董卓は、大仰に胸を張り両手を挙げて近寄ると、皇甫嵩の両肩をバンバンと叩いた。
そのなれなれしい態度に傅燮が嫌な顔をした。
「兵は八千用意した。粟と塩も多めに持たせてある。盧中郎と朱中郎はもう出撃済みだ。涼州人として遅れを取るなよ」
董卓は三河のうち、ここ河東郡での徴兵任務を負っている。
「出撃前の餞だ。今晩は宴を開くから、思う存分飲んでくれ」
「董河東殿、先を急ぐ身なのでこのまま出発したい。卒を招集してくれ」
皇甫嵩の即答に董卓の両の眉がしらが一瞬中央に寄ったが、すぐに顔が緩んで微笑みを取り戻した。
「そりゃそうだよな。待ってててくれ。……武運を祈ってるぜ」
にこにこと董卓は整列する兵達の方へ向かい先導した。
(お前の為に粟と塩を徴発するのに苦労したんだぞ。死人まで出てるんだ。少しは労えよ)
董卓の目は笑っていなかった。
***
各地から洛陽にもたらされる報告は、数多の県が黄巾賊に蹂躙されている、という悲報ばかりだった。豫州の汝南郡では、西からやってきた黄巾賊を汝南太守の趙謙が邵陵で迎え撃ったが、逆に撃破されてしまったという。北の幽州では州の治所である薊で黄巾が反乱。刺史の郭勳と太守の劉衛が殺された。
そして安平国、甘陵国で国王が捕らえられた、という報が届いた。これには帝劉宏も激怒した。
「国王たるものがおめおめと賊に捕まるとは!」
怒り冷めやらぬ帝に、楊賜の後任で太尉となった鄧盛が言いにくそうに報告した。
「右中郎将朱儁が黄巾に敗れたとの報が参りました」
***
洛陽の所属する司隷から豫州に入った場合、最初に入るのが潁川郡である。この郡に黄巾が跋扈している、というのは大変由々しき事態である。
とはいえ、被害が報告されているのは潁川の東、陳国の国境や、潁川の南、汝南国の郡境である。潁川の各県で被害の報告はない。朱儁は潁川で黄巾が蜂起したのではなく、陳国黄巾や汝南黄巾が境界を越えて来たものが、潁川黄巾として報告されてしまったのではないかと考えていた。
潁川と陳国汝南との境近くに許県がある。急報はそこから来た。
許の郊外の亭長からの「許県が占拠され、黄巾が多数駐屯している」という報告である。それを裏付ける様に、他の亭からも同様の報告が次々届いた。
「撃破する」
編成の遅れている皇甫嵩の隊より先に出撃した朱儁は、潁川黄巾を撃破したら部隊を東に向け、孫堅を合流させて最終的には楊州黄巾を討つ。それが楊州出身の自分に課せられた任務と心得ていた。
朱儁は兵を東南に向け急行した。
油断もあった。予断もあった。
許に黄巾が居る、という情報自体が全て偽情報で、亭も郵も太平道の信者だった事を見抜けなかったのである。
「車を立てよ!」
朱儁は声を枯らして叫びながら馬を駆っていた。
陳に急行する朱儁の隊列の横腹に、森から黄色い頭巾の男達が涌き出て来て隊列に襲い掛かって来たのである。
行軍中の部隊はほとんど無防備である。側面から襲われれば列の縦深は数人分の薄さでしかない。各所で隊列は寸断された。恐怖で逃げ出す兵も出た。
「車を立てよ!身を守れ!反撃せよ!」
長い列には命令が行き届かない。一万人を超える部隊の、五里にも及ぶ長い長い隊列の前から後ろまで、朱儁は駆け回って応戦の指示を続けた。部分部分寸断された場所に至っては朱儁自ら馬で蹂躙し突破する必要すらあった。
朱儁の指示にまっさきに反応したのは五営から来た者たちである。命令を受けるのに慣れていた。回りの兵を叱咤して車を横倒しにする。積まれていた武器と兵糧とが地面にぶちまけられ、騒音と粟を巻き散らす。
車の床面を城壁とし、怪我人を陰に引きずり込み、落ちていた武器を拾い、ようやく兵達の戦闘体制が整い始める。
戟を構え、列が整い始めた頃合いで、遠くから引き鉦が聞こえた。黄巾の男達はばらばらと森に取って返していく。
「追うな!罠かもしれん!」
朱儁は今度は追撃を止めさせる為に再度隊列を駆け回った。
(まんまとだまされたか)
忸怩たる思いを抱きながら朱儁は走った。偽情報に踊らされた事にようやく気付いたのである。黄巾にそこまでの組織力があるとは思っていなかったのである。
(地元住民は信用できない。今後は自分の目で確認しなければ)
列のそこここで、引き鉦で退却しなかった黄巾達との戦闘が続いていた。態勢を整えた官軍と退却しそびれた黄巾残兵では勝負にならない筈だが、戦いはぐだぐだと長引いていた。
(黄巾共、指揮が行き届いておらんな。それにどちらも錬度不足だ。徴集兵では仕方無いが)
双方があまり攻める力も意志も持っていなかったため、死者は少なく、黄巾の残兵が降参して事態は終わった。
朱儁は馬を走らせた。張超を探す為である。さっき中軍に居た記憶がある。
「朱中郎将殿。いやいや酷い有り様ですな」
壊れた車、散らばる食糧と武器、何人かの死体。そんな中に張超は立ち、のんきに声を掛けて来た。
「子並殿、無事だったか」
一応気遣う体を取った朱儁に、張超は応えた。
「こういう時の為に族子を連れて来ておりまして」
なるほど。屈強な若者が油断なく周囲を見回していた。
「軍を立て直す必要がある」
「左様ですな」
死傷者はほとんど無かったが、武器の損傷、兵糧の損失、車の破損は出征軍としての継戦能力を大いに低下させる域に達していた。
「状況を報告し、再編成を陳情する。一筆頼む」
張超は周囲をもう一度見回し、とぼけた顔でこういった。
「敵を撃退し、勝ったと報告します?」
部隊は損傷を受けたが、戦場に残ったのは官軍である。勝ったと言っても通るかもしれない。
朱儁は苦笑して首を横に振った。
「現状は詳かにご報告しよう。義真殿まで同じ目にあわせたら申し訳ない。捕虜からの聞き取りも頼む」
***
豫州の黄巾を束ねる波才は、奇襲が成功した、という報告を受け、胸をなでおろす思いだった。
太平道は郡にも県にも亭にも郵にも信者がいる。
この儒教の盛んな潁川でも、太平道は下々の信仰を集めていた。なぜなら、そんな場所でも百姓の生活は苦しいからである。
よそからやって来る県令は苛斂誅求を止めないし、宦官の親族賓客は横暴だ。士太夫は実際には多くが地元の有力者であって、つまり秋には百姓の粟を買い叩いて儲けているのだ。苦しい民衆が頼れるのは、自分達ぐらいしかいない。だから彼らは自分達に荷担してくれる。
(次はこうはいかないだろうな)
信者を使った偽情報は、二回は通用しないだろう。相手は学識も経験もある士太夫である。道士くずれの思い付きなど、すぐに対応してしまうだろう。
「波渠帥、この後はどうなさいますか?」
部下が問いかけてくる。
波才は渠帥、と呼ばれた事にむず痒いものをおぼえた。
そもそも自分は一介の道士でしかない。本当はこんな大げさな呼び方は勘弁してもらいたい。だが太平道は急速に軍事化を進めていた。方は渠帥に。大賢良師は天公将軍に。弟御達は地公将軍、人公将軍と呼ぶように改められた。
戦いには威勢のいい呼称が必要なのは理解できたが、波才には昔……ほんの数日前がもう懐かしかった。
(たぶん、天公将軍が大賢良師様の事と理解していない者すらいるだろうな)
だが、自分は渠帥である。その能力があるかは自信がなかったが、どう戦うかは自分が決断しなければならない。
「許へ向かいましょう。今度こそ本当に占拠するのです」
***
朱儁の敗報を読み終えた帝劉宏に、太尉の鄧盛はおそるおそる尋ねた。
「朱中郎将にどの様な処罰をお下しになられますか?」
帝劉宏は、静かに否定した。
「それには及ばぬ。儁に伝えよ。一度兵を引く事を許可すると。儁の報告を他の中郎将にも共有してやれ」
鄧盛は一礼し、帝の意に従う事を表明した。
帝劉宏は、微笑んで付け加えた。
「それとな、張超に伝えよ。公文書に草書は止めよと。さすがに読むのに苦労する」
後ろに控えた趙忠らは表情を殺し、無言を貫いていた。帝が寵愛する張超を讒して不興を買うのはまっぴらだったからである。
「ところで鄧盛よ。この報告だが……反乱兵と我が兵。能力に大差ないとは本当か?」
帝が残念そうに疑問を呈した。官軍が賊軍と能力で互角、というのは自分の顔に泥を塗られているような気がしたからである。
「畏れながら陛下。今回の兵は虎賁と羽林を外した為、ほとんどが三河の徴集兵でございます。軍務の経験はせいぜい兵役程度でしょう。反乱兵にも兵役の済んだものがおりましょうから、兵の質は変らないかと」
宗教への熱狂が兵を強くするかもしれない事を鄧盛は言わなかった。帝にとって面白くないことだろうから。
「……訓練を積んだ兵で軍を整える必要がありそうだな」
この時帝の洩らしたのは感想であって政策ではない。実現したのは数年先の事である。




