10 議郎(光和三年/180)
(話し相手がおらんのはつまらんな)
帝、劉宏は退屈していた。
前年の秋、陽球らの反乱計画を潰したが、それでも都のあれこれを恐れたのか流刑先から蔡邕は帰って来なかった。大赦で五原から離れたのは確実だが、洛陽にも、故郷である陳留にも戻って来ずにそのまま失踪したようなのだ。
そこで詔を出すこととした。
「公卿は欧陽尚書、毛氏詩経、春秋左氏伝、春秋穀梁伝に通じるものをそれぞれ一人ずつ挙げよ」
学識のあるものが周囲に増えれば絶対楽しい筈だ。全員議郎にして迎え入れて、いろんな話をしよう。
***
沛国譙郡。譙の県城から五十里ばかり東に、こじんまりした家が一軒建っていた。家の大きさは大したことはないが、建材の質や彫刻の意匠など、凡百の屋敷とは一線を画した贅沢な家である。
父、曹嵩の財力で、曹操が作った精舎……官を辞した身での隠居場所である。
洛陽に出仕し、王朝の汚い面を目の当たりにした。奔走の友となったが、若い力を少々発揮したくらいでは政治の汚濁は止まらなかった。最終的には今は亡き王甫のたくらみで、官から逐われる羽目になった。
だが、同時に韓約の父の様に、五十を超えて官に就く人間も見た。……じゃぁ、今すぐ出仕しなくてもいいのではないか?誰かが世を清めてからでも遅くないのでは?そう思って隠居先としてこの精舎を建てたのである。親の金で。
ここで秋と夏は読書を。冬と春は狩猟をして過ごそう。そういう決意であった。その決意からは晴れたら耕す、という生産行為はすっぽりと抜けていた。
今は六月、つまり真夏。炎暑を避け、精舎で静かに読書をする時である。
曹操は経書を、韋も切れよとばかり繰りながら読んでいた。その読書への没頭を、甲高い声が妨げた。
「掃除がなってないっ!」
庭で丁夫人の叫び声が聞こえたからだ。
曹操はため息をついて巻物を几上にそっと戻した。立ち上がると庭へ出る。
案の定、庭では丁夫人が掃き掃除をしている卞夫人を叱りとばしていた。庭掃除など婢にやらせればいい事である。曹操は介入しようとして──声を出す前にやめた。卞夫人が目配せをして止めたからである。
以前、卞夫人は言っていた。
──丁夫人は自分が正妻である事を、私に納得させたいのです。劉夫人から預かった子供達の嫡母であることを、私の身に刻まれたいのです。もっと丁夫人を御寵愛なさって、安心させてあげてください。
卞夫人が子を産めば、丁夫人は立場がなくなるだろう。それだけではない。卞夫人の子が嫡子、という事にでもなれば、劉夫人の子もないがしろにされるだろう。
──それがお嫌なのです。
そう卞夫人は説明した。
気を使わせているな、すまない。
曹操の謝罪に卞夫人は微笑んで答えた。
──好きでもない男に抱かれるより、婢の真似の方がましですよ?
(できた女だな)
そう思う。同時に甘えすぎてもいけない、とも。
だが状況はあまり変らなかった。根本的に丁夫人が孕まなければ解消しない問題なのだ。
そんな曹操の隠遁生活は二年に満たず終わった。県令から通達が来たのである。
「光禄勲府から?」
古学に明るい、という理由に帝に推薦していただける、という話であった。直感で判った。橋公祖殿が手を回してくださったんだな、と。
両手がうずうずとした。顔がニヤついて止まらない。
──判ってた。俺は隠遁に向いていない。
五十まで水が澄むのを待つなんてできない。今すぐ生き急ぎたい!本音が勝った。
「洛陽へ向かうぞ!帝にお仕えする!」
辞令の竹簡を片手に、喜色満面で妻子に宣言した。
「私、この子達とここに残ります」
丁夫人が子供達の肩を抱いて宣言した。
八才の長男を頭に次男、長女。劉夫人の忘れ形見である。
「今の洛陽は危なすぎて、子育てには向きません」
数年に一回くらい政変が起きる不安定さなのである。
「あと、貴方、また危ない事に首を突っ込むんでしょう?ここならお爺様に庇護いただけるわ」
曹操には反論のしようがなかった。そもそも卞夫人がその「危ない事」の結果なのである。捕まって殺される結果だって有り得た。都に居ては逃げる間もなく連座である。
「……すまん。元讓は残せない」
曹操は父曹嵩の事を信頼していない。大事なところで腰がひけるかもしれないと思っている。本当に信頼できるのは夏侯惇で、彼なら命を掛けて守ってくれるだろうと思う。だが、彼には洛陽で手足になってもらわないと困るのである。
丁夫人の答えは予想と違ったものだった。卞夫人の前に立つと、曹操を指さして言った。
「あなた、あの人をちゃんと見張りなさいよ。これ以上女が増えるのは勘弁だわ」
丁夫人が自分との子を諦めた事を曹操は知った。勝手に諦めないでくれ!そう叫びたかったが、言葉を飲み込んだ。それはそれで残酷な物言いかもしれなかったから。




