61、孫悟空、玄奘の姿に戸惑う
羨ましげな化生達の声が聞こえているはずなのに玄奘は涼しげな表情で、それを無視して沙胡蝶を餌付けしようとしているのを、玄奘の供として暫く一緒に旅をしていた孫悟空と猪八戒は信じられない気持ちで眺めていた。
『あのっ!あのっ!私、下ります!一人で食べられます!私、16才なんですよ!?』
『ええ、わかっていますよ。ちなみに私は21才です。16才でも、そんなに小さくてはここのソファやテーブルは使いづらいでしょう?遠慮はいらないですよ』
『三時のおやつの時間ですからね。例え16才でも、沙胡蝶さんは小さくなったのですから、大きくなるためにはしっかり食べないといけませんよ』
いつもとは違う様子の玄奘の姿に、孫悟空と猪八戒は戸惑った表情で、お互いに視線を交わす。一見、穏やかで理性的な文学青年に見える玄奘だが、実は彼は、隙あらば孫悟空や猪八戒と組み手をしたがる根っからの武道大好き青年なのだ。しかも、だ。普通の人間がここまで鍛えることが出来るのかと、長い年月生きてきた孫悟空でさえ驚くほど、人とは思えない技を繰り出すほどの伝説級の腕前の持ち主だった。
見た目は細マッチョな体なのに、どこからあんな力が出てくるのか、一度とことん調べ上げたいぐらいに人間離れしている玄奘が、ほのぼのとした空気をまとって、なごんでいる姿なんて、今まで一度も見たことがない。二人は顎が外れそうなほど口をポカンと開けて驚いていていた。
「ねぇ、悟空の兄貴。お師匠様さぁ、なごんでるね。やっぱり、俺の張りぼての脱力系キャラよりも、子どもの天然癒やしキャラには勝てないよね……」
「キャラ言うな!沙胡蝶のあれはキャラでも何でも無い!本当に天然100%の本物なの!ってか、お前張りぼてすぎるから、もう素に戻れ!」
沙胡蝶のもきゅもきゅと食べる姿は、小動物を思わせる可愛らしさだ。いつの間にか、化生達もなごんでいる。それを見て悟空は、小さくため息をついた。海の魔女の呪いが込められた、沙胡蝶の頭に乗る真珠が、フルに稼働しているというのに……今では完璧な男の姿をとっているはずの沙胡蝶が、あそこまでしか可愛いさを落とせないなんて、やっぱりこの地上では沙胡蝶の頭に被せられた真珠は外せないなと、孫悟空は密かに思った。多分、沙胡蝶の素性が明らかになったら、色々な意味で大勢の人間や化生達が彼女を奪い合い、事によっては国が傾くだろう。
『おやつ、ごちそうさまでした。あ、あのですね、三蔵様!私は攫われたけれど、みど……いえ、鉄扇公主さんはとても優しい女性でしたし、誠実に謝罪もされましたので、それ以上の謝罪は望みません。檜さんや楡さん達は、お友達です。ちょっぴり瓢箪のことは驚きましたが、試練というのを知らずに割り込んだ私がいけなかったので、彼らは悪くないんです』
沙胡蝶のこの言葉に、檜達が感涙しだした。
「さっちゃん、何て優しいの!」
「本当にお人好しだよね、あの子。あんな目にあってるのにさ。いつか誰かに悪いようにされないか心配になるよ……」
「本当に沙胡蝶殿は、お優しい!」
ほんわかした男達の表情が沙胡蝶の表情を見て、怪訝そうに俺を見てくる。沙胡蝶がホゥと熱い息を吐き、黒い瞳がキラキラと輝かせて、遠くの席にいる孫悟空を憧れるような眼差しで見ていたからだ。
『悟空さんも三蔵様みたいに、とても優しくて、すっごくかっこいい人ですね!瓢箪の酒精で溺れた私を一所懸命にいっぱい口吸いして助けてくれたんですよ!体だって綺麗に手洗いしてくれたそうで、もうすっかりお酒の匂いも消えてるし、このお洋服だって……あっ!私、助けに来てくれたことのお礼をまだきちんと言ってなかった!もうすぐ成人なのに不作法するところでした!三蔵様!ここまで助けに来て下さって、本当にありがとうございました!嬉しかったです!』
そう言った沙胡蝶によって、なごやかムードが一転して男達から冷気が迸ることとなった。
「あ~、沙胡蝶の体を手洗いね……そりゃあ、頭の先から足の先まで悟空の兄貴の匂いするよね……」
ジト目で孫悟空を見つめる八戒の視線が突き刺さるように厳しくなる。
「何だよ?瓢箪の酒の酒精が強くて、べたついてたんだから体を洗っただけだぞ?あいつは意識がなかったんだし、俺が洗うのは当然だろう?」
「そう言われたら、そうだとも言えるけど……。ものすごく酒精が強かったのは確かだし」
八戒の視線が和らぎ、悟浄もウンウンと頷いた。
「そうですな!八戒の兄者は半里先で酔われて、三蔵様に背負われていましたし!」
「もう!悟浄!俺の黒歴史を披露しないの!……てか、悟空の兄貴。体中の匂いの理由はわかったけどさ。あの子の呼気が悟空の兄貴の匂いがするくらいにキスしたんだよね?」
「悟空の兄者は何故、沙胡蝶殿にキスをしたんですか?」
「もしかして無理矢理したんですか?いや、無理矢理ではなくとも、そういう行為を未成年にするのは道理に反していますよ!」
五宝貝の7人兄弟プラス八戒・悟浄の声が揃って叫び声や疑問を上げている席の方へ、玄奘は、ゆっくりと歩いていった。
「キスじゃねぇし、人命救助だし!沙胡蝶は大量の酒精のせいで溺れていたから、口吸いで酒精を取り除いただけだ!キ、キスなんてそんな男女の付き合いのような表現されると照れてしまうじゃないか!」
頬を赤らめながら弁解していた孫悟空は、近づく玄奘の姿を見つけた瞬間、ギョッとした表情となった。
「ヒッ!?お師匠さん?」
「お師匠様ぁ、笑顔なのにぃ、その顔ぉ、超怖いッス!」
「げん……いえ、三蔵様、抑えてくだされ!人間離れどころか魔王降臨かと思われますぞ!」
人間の玄奘よりも強いはずの3人の化生の供の声は、何故か震えていた。




