33、水簾洞にて②
※このお話はフィクションです。本文中の孫悟空がしている行為は、あくまでも人助けですが実際の急性アルコール中毒の対処法ではありません。ご注意下さいますよう、よろしくお願いします。
孫悟空は深く深呼吸を一つしてから、眠ったままの沙胡蝶の唇に自分の唇を押し当てた。あの瓢箪の中で、沙胡蝶が孫悟空に空気を分け与え助けようとしたように、今度は自分が沙胡蝶の体内から強い酒精を取り除いて助けようと自らの舌を使い唇を割り開けると、そのまま口吸いを始める。
急く気持ちとは裏腹に口吸いは慎重に行わねばならない。何故なら孫悟空の肺活量なら、沙胡蝶の酒精どころか、唾液から胃液や腸液に留まらず、全ての臓器や血液や髄液等の諸々を全て吸い出せてしまうからだ。孫悟空は細心の注意を払いながら、ゆっくり少しづつ沙胡蝶の体内を巡る酒精を吸い出していく。
孫悟空は口吸いで酒精を取り込みつつ、沙胡蝶の体の負担になっていないかを調べるために自分の片手を、沙胡蝶の左胸の膨らみのやや斜め上の辺りに乗せた。先ほど体を洗っているときに探して見つけた場所は沙胡蝶の膨らんだ胸でわかりにくかった、沙胡蝶の心音が唯一聞ける場所だった。心音が早くなるのは、体に負担をかけている兆候なので、それを確かめながら慎重に口吸いを続ける。
「……ん!」
体内の中の酒精がほぼ取り除けた頃に意識のないままだった沙胡蝶が、くぐもった声をあげた。もうじき目覚めるだろう。その声は流砂河で会ったときの少年らしい美しいボーイソプラノではなかった。本来の沙胡蝶の声は、くぐもった声でさえ可愛らしい、少女のソプラノだった。
孫悟空は酒精を吸い込む時に、沙胡蝶の唾液も多少吸い込んでいた。沙胡蝶の唾液も変身が解かれた沙胡蝶の体臭同様に爽やかな甘みがあった。口吸いをしつつ、孫悟空は内心、不思議に思った。それは沙胡蝶の唾液から蟠桃園の不老の仙桃や太上老君の金丹のような薬効を僅かに舌に感じたからだった。
何故そんなものを感じるのだろうか?沙胡蝶の酒精を取るのに、孫悟空は薬などは用いていない。もしかしたら離れている間に沙胡蝶が病気か怪我を患って、薬を飲んだのだろうか?いや、そんなはずがない。先程体を洗ったときに外傷はなかったし、抱きしめた時の熱も心音も平常のものだったのだから。孫悟空は念のため、沙胡蝶の体内の気も探ってみたが、酒精以外の異常はどこにもなかった。
暫くして孫悟空は、ああ、そうだったな!とその理由に思い当たった。沙胡蝶は半分とはいえ、竜王の血を引く者である。古来より竜王の血を引く人魚は不老不死の薬になると言い伝えられている。半分は人である沙胡蝶の血液ならば不老不死にはなれないだろうが、それでも数年くらいならば無病でいられるだろう。
……でも、それだって、健康を望む者なら喉から手が出るほどに欲しいものに違いない。このことが露見すれば、沙胡蝶は大勢の者に狙われるだろう。丸ごと食べなくとも、その体液を数滴ずつ口にすれば、効果は得られるのだから攫って囲おうとする者が沢山現れるはずだ。
「……ん。……ん?悟空……さん?」
酒精が取り除かれたことで、沙胡蝶の体内が正常に戻ったのだろう。ゆっくりと目を開かせた沙胡蝶は、目の前の孫悟空の名前を呼んだ。沙胡蝶の大きくて丸い目のエメラルドグリーンの色を見た孫悟空は息を呑んだ。孫悟空は大げさなほどの海の魔女の過保護の象徴として見ていた真珠への認識を改める。
瞳を閉じている顔でさえ、とんでもなく美しいのに、その瞳の威力と来たら!それに……それに、この瞳の色は!?たった4本の足で、よくもここまで隠せたものだ……と海の魔女の底知れぬ魔力に、孫悟空は背筋が凍りそうだった。




